今月のニュースレター

 

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ヴェーダーンタ協会ニュースレター(日本語版)

日本ヴェーターンタ協会の最新情報

20242 月 第22 巻 第2

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かく語りき――聖人の言葉

 

宇宙のあらゆる力はすでに私たちのものである。目の前に手をかざして「暗い」と叫んでいるのは私たちだ。周りには暗闇など存在しないと知りなさい。目から手を離せば、元からあった光がそこにある。

…スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ

 

今日の素晴らしい新たなマントラは「働く」と「一生懸命働く」です。一生懸命働くことに加え、チームで協力をして賢く働く。すべての偉大な事業はチームワークの賜物です。私たちはこのチームワークの個性を利用した効率化と、智慧をもって一生懸命働くことを習得したときにやっと、自由への挑戦を経験することができます。これは私たちが無意識にではなく、何らかの形でつまずいて意識的に学ばなければならない哲学です。

…スワーミー・ランガナターナンダ

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目次

・かく語りき――聖人の言葉

・お知らせ

2024年3月の生誕日

2023年伊豆サマーリトリート

「心の津波」に抵抗する方法 パート2

スワーミー・メーダサーナンダ

・ホーリー・マザー・シュリー・サーラダー・デーヴィー生誕祝賀会講義

「シュリー・サーラダー・デーヴィーの生涯と教え」

スワーミー・メーダサーナンダ

・スワーミー・メーダサーナンダのオーストラリア旅行のレポート

サルバリ・レイ夫人

・スワーミー・バネーシャーナンダ来日

・忘れられない物語

・今月の思想

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お知らせ

各プログラムに参加を希望される方はご一報ください。

・日本ヴェーダーンタ協会の行事予定はホームページをご確認ください。

https://www.vedantajp.com/

 

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20243月生誕日 (4月以降の生誕日は317日時点で不明です)

シュリー・ラーマクリシュナ      312日(火)

シュリー・ガウラーンガ        325日(月)

スワーミー・ヨーガナンダ       329日(金)

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202398日~10

伊豆サマーリトリート 講義

「『心の津波』(ネガティブな感情の押し寄せ)に抵抗する方法」 パート 2

スワーミー・メーダサーナンダ

 

私たちの心は常に落ち着かず乱れていますが、自分の心をコントロールできる人は本当に強くて幸せです。そういう人は体も心も純粋で敏感です。

 

これから心をコントロールする方法について話します。私たちは自分で自分の責任を取らなくてはなりません。過去の良くないカルマのせいで現在の状態が悪いとしても、これから良いカルマをすれば未来はよくなります。これには神様、運命、他の人は何も関係ありません、自分です。また、私たちは自分の間違いにはとても寛大ですが、他人の間違いには非常に厳しいということに気づいてください。そのような態度を取り続けていては、何も変化しない、前へは進めません。心を飼い慣らすことは象を飼い慣らすよりもはるかに難しいと言いましたが、内省して自分の心の状態を理解してください。現在の混乱した心の状態は、タマスとラジャスがたくさんある状態です。また蓄積されたサムスカーラが心の状態を決めるので、心の状態にはサムスカーラが重要な役割を果たしているといえます。

 

心をコントロールするには、まずその目的を理解しなければなりません。そうしないと、やる気が出ませんから。そして例えば100円ショップの商品や激安の車を買っても品質が良くないので長持ちしないが高価でも高品質なものを買えば長く楽しめるように、一番大変な実践で得られる結果は最高のものです。お金で幸せを買うことはできません。タパッスヤー(苦行)は、幸福を得るために私たちが支払わなければならない代価です。霊的な人の目的は安定した幸せだけでなく、最高の知識、最高の至福、解脱です。それにはまず道徳的になるように努力しますが、それが最後ではありません。サット・チット・アーナンダ、絶対の存在、絶対の意識、絶対の至福になりたい、というのは人生の最高の目的です。

 

ここで西洋心理学と東洋心理学の違いをはっきりさせましょう。なぜなら心をコントロールする方法を学ぶにはその理解が大事だからです。今日よく知られているのは西洋心理学ですが、東洋心理学はとても深くて包括的です。両者の違いを説明します。

・現在の西洋心理学の歴史はそんなに古くないのに対し、東洋心理学は古く3000年以上の歴史があります。

・西洋心理学の研究方法は客観的で、他人の心を観察して特定の結論に達します。フロイト、エリスなどの方法です。一方、東洋心理学のアプローチは主観的で、研究の対象は自分自身の心です。長く自分の心を瞑想して分析します。瞑想の達人で心理学者で哲学者でもあるパタンジャリがその例です。

・西洋心理学では、心の「意識」と「潜在意識」だけを考察しますが、東洋心理学ではそれに加えて「超意識」も考察します。これは大事なポイントです。西洋心理学には超意識の考察がないので、心の説明が難しいです。また、平凡な両親から並外れた資質を持った子どもが生まれたり、同じ環境で育った双子が同じ遺伝子を持ちながら、まったく異なる性格ということもあります。これらは東洋心理学のサムスカーラ(前世から持ち越された傾向)と前世での行為の結果以外に説明ができません。

・睡眠中の意識の研究にも違いがあります。西洋心理学では、レム睡眠など、さまざまな種類の睡眠状態について研究を行ってきましたが、サンスクリット語でスシュプティという「夢を見ない睡眠」についてのアイデアはありません。しかし東洋心理学ではスシュプティ、さらにトゥリーヤ「超越状態」ついても深く研究してきました。

これらのことから、東洋心理学は、深く包括的で論理的といえるのです。

 

心をコントロールするには体と心の本当の機能を知る必要があります。インド心理学は、アンナマヤ・コーシャ (食べ物の鞘)、プラナーヤマ・コーシャ (生命エネルギーの鞘)、マノーマヤ・コーシャ(心の鞘)、ヴィッギャーナマヤ・コーシャ(知性の鞘)、アーナンダマヤ・コーシャ(至福の鞘)からなる五つの鞘(パンチャ・コーシャ)について、またムーラーダーラ・チャクラ (「根」、尾骨神経叢にある)、スヴァーディシュターナ・チャクラ (「自分自身の中に確立された」、仙骨近くにある)、マニプーラ・チャクラ (「宝石の町」、へそのあたりにある」、アナーハタ・チャクラ (「OMというどこにも接しない音」、心臓のあたりにある)、ヴィッギャーナ・チャクラ(「純粋」喉にある)、アッギャー・チャクラ(「眉または第3の目」、眉と眉の間にある)、サハスラーラ・チャクラ(「千の花びら」、頭頂部にある)等のチャクラについてなど、豊富な説明で深く掘り下げています。

 

アートマン、ブラフマン、トゥリーヤ(超越の状態)、バガヴァーン、イーシュワラ、サハスラーラ・チャクラは全部同じことです。しかし、西洋心理学にはそのアイデアがありません。最近少し入るようになりました。カール・ユングはベルル・マトに行ったことがあるほど、インド心理学に興味がありました。彼だけではなく、ジョゼフ・キャンベル、JD・サリンジャー、オルダス・ハクスリーなどの西洋の学識豊富な人達も、インド心理学を深く研究しました。

 

次に、心をコントロールする方法について話します。

あるとき、キツネとネコが話しをしていました。ネコは「もし犬が突然吠えてきたら、君はどうやって逃げるの?」と聞きました。するとキツネは「ボクは逃げる方法をたくさん知っているから、簡単に身を守れるよ。だけど君はどうなんだい?」と言いました。ネコは「ボクが知っている方法は木に登ることだけだよ」と答えました。逃げる方法をたくさん知っているキツネは、自分はとても賢いと思っていました。そんな話をしているとどこからともなく一匹の犬がやってきて、キツネとネコに向かって激しく吠えて突撃しようとしました。ネコは木に登ってすぐに逃げましたが、逃げる方法をたくさん知っていたキツネはどの方法にするかを選べずに、困惑して立ちすくんでしまいました。

 

これは、さまざまな方法が不要であるという意味ではありません。適性や能力の違いよって、さまざまな方法は必要です。しかし各自の適性に応じてさまざまな方法の中から一つか二つだけに従ってもかまいません。それだけに集中しても結構進みます。ハーフィズの物語を思い出してください。彼は毎日イスラム教の聖者のお墓に行ってろうそくを灯していました。そのおかげで堕落から救われ、さらに神の愛の飲み物を飲むこともできました。

 

私たちには欲望があります。欲望から執着が出ます。三つのポイントについて「識別」をして執着をなくしてください。

   「もの、人」について。神以外すべてのものは時間と空間で限定されており一時的。神だけが永遠です。

   「関係性」について。人間関係はすべて一時的。神と自分の関係だけが永遠です。東洋心理学のいう輪廻転生を信じていれば、親や家族の構成をこれまで何度も変えてきたことがすぐ分かります。そしてこのことが分かれば、神との永遠の関係と家族との一時的な関係を簡単に識別することができます。だから東洋心理学の考えが非常に重要なのです。

   「自分の仕事と義務」について。私の仕事は何もない、すべての仕事は神の仕事です。私の義務は何もない、すべての持ち主は神だけです。私たちは神の仕事を司る神の代理人に過ぎません。

 

識別だけでは終わらず、どんな時も永遠なものについて考えていてください。また私たちは家族や他者に対する義務や仕事を絶対にしなければなりません。重大局面に戦場から逃げ出したかったアルジュナのように、私たちは義務から逃げるべきではありません。

 

クリシュナ神はアルジュナに「アルジュナよ、戦いなさい」と言いました。ここで大事なことは、戦い(義務、仕事)の間も常に神のことを思い出し、すべての働きの結果を神に差し出すことです。また無執着になって仕事をしてください、という意味もあります。アルジュナは私たちの象徴です。すべての仕事は神の仕事、自分の能力は神からの授かりものであるということを理解して、いつも神を思いながら仕事をしてください。そして結果は神様に捧げてください。そうすれば世俗的な仕事も霊的な実践になります。

 

カルマ・ヨーガは神を信じていなくてもできますが、神を信じればその実践がやりやすくなるのと同じように、「神への愛」があれば、心のコントロールが楽になります。なぜなら、自分をコントロールできずに堕落したときに「神様、強さと忍耐力を与えてください」と深く祈ることができるからです。親が子供に接するときに、優しく接したり厳しく接したり時には罰を与えることもあります。同じように心に対しても接してください。時には心をやさしく説得し、時には叱り、断食などの罰を与えることもします。

 

私はある方から「私は何が正しいことか分かっていても、時々それをしたくありません。具体的に言うと、仕事から帰ったらリラックスのためにテレビなどをみますが、そうするとどんどん世俗的になってしまいます。どうすればいいでしょうか?」という質問を受けたことがあります。これはとても実際的な問題ですね。ストレスを解消させることは必要ですが、その方法によっては霊的実践の妨げになる可能性があります。同じようにドゥルヨーダナがクリシュナ神に言った有名な言葉があります。「私は何がダルマ(正義)か知っていますがそれを実践したくない。私はアダルマ(不正義)が何かも知っていますが、それを避けたくはありません。それで困っています」 また例えば、糖尿病患者は甘いものを食べると体に悪いとわかっていても、誰も見ていないときに冷蔵庫から出して食べてしまうかもしれません。これはドゥルヨーダナの心の状態と同じではないですか?よくないと知っていても避けることができない。心のコントロールの時、その種類の混乱、シュレーヤとプレーヤの問題もあります。つまり最初は困難だが長期的には有益なものを選択するか、最初は簡単で楽しいが長期的には苦しみと悔い改めの原因となるものを選択するかということです。

 

先ほどの質問に対して私は「あなたはテレビを見ない方がいいです。なぜなら一度テレビをつけてしまうと、後でやめるのが難しいからです」「別のリラックス法をあらかじめ考えておいてください」とアドバイスしました。しかしこのアドバイスは万人のためのものではありません。一人ひとりが抱える問題は違っているので、それぞれの問題をどう解決するかを自分自身で考えてください。そして神に祈ってください。そうすれば神は導いてくださいます。

 

さて、心のコントロールをしたいと考えているのは誰でしょうか?貧しい人は心のコントロールのことを考えません、お金が欲しいと考えています。お金持ちはもっとお金が欲しいと考え、作家や芸術家は本やアルバムを出版して名声を得ることを夢見ています。彼らは心のコントロールのことを考えません。本当の幸せを望む人だけが心をコントロールする方法について興味があります。

 

「瞑想」は心をコントロールするための大事な方法の一つです。ここでは瞑想について重要なポイントだけを言います:

毎日の仕事が些細な仕事でも大きな仕事でも、集中して仕事に取り組んでください。そうすれば瞑想は楽になります。瞑想の対象(神、魂)は非常に精妙なので、集中することは簡単ではありません。しかしさまざまな方法で集中できるようになります。

 

瞑想するときは、ヴィヴェーカ(識別)とヴァイラーギヤ(放棄)を実践し「私は今から坐る。ただ永遠だけを思い、あらゆる一時的なことに無関心でいる。私は家族、友人、好きな人、仕事、未来、現在、過去のことは考えない」と厳しく心に言い聞かせて、永遠なものだけを考えてください。バガヴァッド・ギーター第 6 章「瞑想(心の制御)の道 」の3336節を思い出してください。

 

アルジュナが申します。「おお、マドゥスーダナ様!あなた様が述べられたすべてを同等に視るヨーガは、私の動きやすく頼りない精神(心)では、しっかり実行していけそうにもありません。 6.33

 

おお、クリシュナ様!私の心は絶えずゆれ動き、すぐ荒れ狂い、力強く、そして実に頑迷です。

ですから、私にとってこれを制御することは、風を意のままに支配する以上に難しいのです」 6.34

 

至高者が語られます。「大いなる勇者よ!確かに絶えず揺れ動く心を制御するのは難しい。

だが、クンティー妃の息子(アルジュナ)よ!不断の修練(アビヤーサ)と離欲(ヴァイラーギヤ)によってそれが可能となるのだ」 6.35

 

放逸な心をもった人にとって、ヨーガを体得することは極めてむずかしい。だが、心を制御し正しい方法で精進する人は必ず成功する、というのが私の信念だ」と。6.36

 

心のコントロールができないと嘆くアルジュナに、「不断の修練(アビヤーサ)と離欲(ヴァイラーギヤ)をせよ」とクリシュナ神が答えたのは、それ以外に別の方法がないからです。「ヴァイラーギヤ(放棄)」とは、一時的なものと永遠なものを識別して一時的なものについて執着しないことです。本当の放棄とは心の中から執着をなくすことなのです。僧衣ゲルアを身に着けることではありません。また、「アビヤーサ(修練)」とは一日も実践をやめないことです。例えば瞑想を一日もやめないでください。先ほど話したハーフィズの例を思い出してください。

 

なぜ私たちは集中して瞑想ができないのでしょうか? もし私たちが1日のうち23時間世俗的なことを考えているとしたら、残りの1時間の瞑想中に心の中に浮かぶのは神についてではなく、世俗的なことだけでしょう。ですので、仕事やあらゆることを神とつながった状態で行ってください。そのための方法が「神の御名を繰り返し唱える(ジャパ)」です。そうすれば、集中が容易になり、瞑想中に神についての考えが楽に出るようになります。

 

神への愛がもっと増えれば、自然に神のことを考えることができるようになります。そのために、さまざまな方法で「神への愛を増やす」努力をしてください。神は人生の中心です。神は永遠の友、両親、避難所です。そのことを何回も考えれば、神への愛が増え、瞑想中に容易に神のことを考えることができます。身近な人や大切な人のことを何度も深く考えるのに特別な訓練は必要ないように、神への愛を強めれば、神のことを考えるのが容易になります。

 

瞑想中に眠くなることはよくあります。その理由は神に対して喜びや関心を見いだせない、つまり、神のことを考えるのが面白くないからです。面白いテレビドラマにどれほど夢中になるかを思い出してください。しかし神のことを考えるとき、その時と同じくらい面白いと感じられません。しかしちょっと経験がある人はよく知っていますが、本当の純粋な楽しみは神を考えることだけでできます。別の方法ではできません。

 

花の種を植えてもすぐに花は咲きません。桃栗三年柿八年という言葉があるように、集中力を身につけるにも長い時間がかかります。ですので「忍耐」が必要です。

 

皆さん、たとえどんなに難しくても「私は絶対に心のコントロールができる」と信じてください。決してやめないでください。これはとても難しいチャレンジですが、立ち向かってください。それについて本当にあった二つの出来事を話して終わりにします。

 

かつて、子供たちに人生について大切なことを教えた科学の教師がいました。

「できない(I cannot)」とその教師は黒板に書いて、生徒たちにたずねました。

「私が書いたことは正しいですか?」 

「いいえ、正しくありません」

「それではどう直せばいいかな?」

「『できる(I can)』にしてください」 

先生は生徒たちの答えに満足してこうアドバイスしました。

「生徒たち!ずっと『できる』と言い続けなさい」

 

もう一つの話はかつて自然災害で100億円の損失を出した会社のCEOの話です。彼はそのことを経営者会議の席で伝えました。CEOが出席者に向かって「損失を補うためには私たちは100億円稼がなければならない」と言うと、出席者全員が「それはできません、無理です」と答えました。しかしCEOは「私はあなたたちが『ノー』と言うのを聞くためにここに呼んだのではありません。どうすればできるかを聞くために呼びました」と厳しく言い返しました。そこでメンバー全員で意見交換をして最終的に多くの有名アーティストを呼んでコンサートを開催し、チケットを販売して収益を得るというアイデアを思いつきました。そしてそれを実行して負債の多くを取り戻すことができました。

 

「困難」とは「不可能」という意味ではありません。「できると思えばできる!」そのことを覚えておいてください。心のコントロールも同じです。押し寄せてくるネガティブな感情を制御してポジティブな感情に変えるのは難しいですが、無理ではありません。心をコントロールできると思えばコントロールできます!

 

Q&A

Q:神への愛を増やすにはどうすればいいですか?

 

A:「ラーマクリシュナの福音」の中にいろいろ出ていますので読んでみてください。また「ラーマクリシュナの福音」勉強会でそのことについてたくさん話をしましたので、そのユーチューブを見たり講義録を読んでください。

 

Q:瞑想がどれくらいできているか、ということを実感するにはどうすればいいですか?

 

A:あなたの瞑想の対象は何ですか?

 

Q:私の瞑想の対象は特になく、世俗的なことが頭の中をぐるぐる回っています。ですので、まずは心を静かにしたいと思います。

 

A:心を静かにしたくても心は静かになりません。そのための一つの方法は「何も考えない」です。最初は何も考えない。そして考えが出るとその考えを傍観者として見ます。一つの考えが出るとそれをパスして、また別の考えが出るとパスします。そのように続けていくと、心が何も考えない状態が出ます。何も考えなければ心は静かになりますが、その静けさは一時的なことですぐに心はまた騒がしくなります。なぜならラジャス的タマス的な性格が続いているからです。本当の「心の静けさ」とはそういうものでありません。もう一つ、考えが出てきたらその考えはどこから来ているか「考えの源を探る」という瞑想法もあります。

 

もう一つの方法は、「瞑想の対象を決めてそれに集中する」ことです。瞑想の対象には、魂(形がない)、魂のシンボルである、青空、蓮の花、ろうそくの炎、などがあります。また、神、悟った人、聖者を瞑想の対象にすることもできます。まずは瞑想の対象を決めてください。世俗的なことを考えていることを瞑想とは言いません。瞑想の対象にどれくらい集中しているかで瞑想のレベルが分かります

 

Q:心が形になる、というお話がありました(202312月ニュースレター掲載パート1参照) それは心によい印象を残すためによいものを見たり聞いたりする、ということと同じですか?

 

A:心は形になります。心はいつも考えたいです。考えるには「考えの対象」が必要ですね。もしあなたが意識的に良いものを心に与えなければ、今の心の状態はラジャス的タマス的なので心はラジャス的タマス的な考えを選んでしまいます。シャンカラーチャーリヤの考えで、感覚から入るものも食事です。よくないものを食べると体が悪くなるように、感覚から入るものの波動に気をつけないと、後で心の健康状態は悪くなります。

 

Q:では日常の環境を整えるという努力も必要ですね。

 

A;私たちは、よくない環境の場所に入らないといけないことがあります。そんな時に心の健康のために一番良い方法は、神様の名前を繰り返し唱えること(ジャパ)です。そして歩くときはできるだけジャパをしながら左右を見ないでまっすぐ前だけを見て歩いてください。スワーミー・トゥリヤーナンダジーがマハートマ・ガンジーに会うためにある集会に行ったとき、ガンジーの付き人は左右を見ているのに対し、ガンジーはまっすぐ前を見て歩いていることに気づいて言いました。「マハートマ・ガンジーは心と感覚のコントロールができているから、まっすぐ前だけを見ています」

 

もう一つ、ギャーナ・ヨーガとバクティ・ヨーガの態度について話します。バクティ・ヨーギーは「周りの皆さんの中に神はいる」といつも考えます。相手の外見を見るのではなく、その中に宿る神を見ます。目の前にあるものすべてが神、例えばすべてがシュリー・ラーマクリシュナです。ギャーナ・ヨーギーは「私の目の前の皆さんは本当は骸骨だ。しかしその中に魂がある。すべての形あるものは幻で真実は魂だけだ」とイメージします。バクティ・ヨーガとギャーナ・ヨーガの結果は同じです。なぜなら、シュリー・ラーマクリシュナも魂ですから。私はある時はバクティ・ヨーギーの態度を取り、またある時はギャーナ・ヨーギーの態度を取っています。そのどちらの態度も私を助けていますし、面白いです。心のコントロールは大きなチャレンジなので、さまざまな方法を試してみてください。

 

面白いことに、ある瞬間には目の前の人を「非実在」と考えることができても、次の瞬間には同じ人が「実在」に見えます。なぜなら、これまでずっと非実在のことを実在と誤って考えていたのでそのサムスカーラの影響です。しかし、あきらめずに実践を続けると、絶対に大きな助けになります。

 

シュリー・ラーマクリシュナが晩年にコシポルのガーデンハウスでナレンドラ(後のスワーミー・ヴィヴェーカーナンダ)や他の直弟子たちと話をしていたときのことです。シュリー・ラーマクリシュナは自らの胸に手を置いてから外側に向かって円を描くジェスチャーをしました。そしてナレンドラに「私の言いたいことが分かるかね?」と手話で尋ねました。ナレンドラが「創造物はすべてあなたから出ました」と答えるとシュリー・ラーマクリシュナの顔は喜びで輝きました。このことは、シュリー・ラーマクリシュナの信者にとって、宇宙全体はシュリー・ラーマクリシュナから出ている、ということを意味します。

 

もう一つ大事な話をします。実践には二通りあります。一つは聖典の勉強や瞑想の時の実践です。例えば瞑想の時に誰かの中に神を見るというのは想像的なので比較的簡単です。もう一つの実践は実生活での実践です。例えば電車に乗ったときに電車内のすべての人、全ての存在の中にシュリー・ラーマクリシュナを見るという実践です。これはとても難しい実践です。特に心に津波が起こっているとき、つまり実際に試練にさらされているときは難しい。しかし本当の基準は実際の生活でどれだけうまくやるかということです。もしそれがうまくできれば私たちが勉強し瞑想してきたことを吸収していると言えます。

 

「目覚めよ」の一つの意味は「常にすべての中に神を見ている状態であれ」ということです。お釈迦さまも弟子のアーナンダに「いつも目覚めていなさい」と伝えました。

 

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 2024121

ホーリー・マザー・シュリー・サーラダー・デーヴィー生誕祝賀会講義

「シュリー・サーラダー・デーヴィーの生涯と教え」

スワーミー・メーダサーナンダ

 

皆さんはホーリー・マザーの生涯についてご存じです。彼女の人生はとてもシンプルですが、非常に奥深いものでした。ある時、ギリッシュ・チャンドラ・ゴーシュは信者たちにこう言いました。「村の未亡人のように見えるこの女性が、宇宙の母ということを信じられますか?」 ホーリー・マザーは村の未亡人に過ぎないように見えますが、本当は宇宙の母であり根本エネルギーです。

 

シュリー・ラーマクリシュナの生涯は僧侶にとっての理想ですが、ホーリー・マザーの生涯は在家の人びとにとっての理想です。シュリー・ラーマクリシュナと交流しその弟子となった若者たちは、並外れた放棄の人であり、働き盛りの青年でした。一方、ホーリー・マザーと交流があったのは一般的な人びとでした。のちに、ホーリー・マザーに会ったことのある信者と僧侶になった彼女の弟子たちに、ホーリー・マザーについての印象を尋ねました。彼らのほとんどは、ホーリー・マザーには何も注目に値するものは見出せなかったが、その愛は特別で両親の愛をはるかに超えていた、と言いました。

 

さて、両親の愛とホーリー・マザーの普遍的な愛とはどう違うのでしょうか?第一に両親の愛は時間、空間、条件によって条件づけられています。しかし、ホーリー・マザーの愛はそのようなものではありません。その愛は無限で永遠です。ホーリー・マザーと一般的な母のもう一つの違いは、一般的な母はこの世での子供の幸福について考えるのに対し、ホーリー・マザーの子供に対する愛と配慮には、さらに素晴らしい特徴があったことです。ホーリー・マザーはこの世とあの世での子供の人生について考えていました。

 

もう一つ違いがあります。一般的な母親は、性格が良くて従順でしっかりした子供に対して愛情をより多く示しますが、ホーリー・マザーは子供たちを決して区別しませんでした。彼女の愛は誰に対しても平等でした。

 

次に、ホーリー・マザーが子供たちを正す方法はとてもユニークでした。誰かがマザーの子供たちの欠点を指摘すると、マザーはむしろその子の性格の良い面を見せてそれを指摘します。

 

大部分の人は自分に欠点があっても人から愛されたいですが、なかなかそうはなりません。しかし、ホーリー・マザーは格別でした。彼女のもとにやって来た人々の欠陥や欠点のせいで、彼女の愛が減ることはありませんでした。つまり、彼女は人の欠点を指摘するのではなく、愛を通してその人を正すことができたのです。

 

ホーリー・マザーは生涯、朝から晩まで毎日同じ仕事をしなければならなかったとしても、たくさんの愛と信仰をもってそれができました。しかし私たちはというと、毎日同じ仕事をすることには一種の単調さや退屈さを感じてしまいます。

 

付き人としてホーリー・マザーに仕えていた二人の僧侶が「ホーリー・マザーの特質は何ですか」と尋ねられました。一人の僧侶は「ホーリー・マザーにはエゴの跡形もありませんでした」と答え、もう一人は「彼女は無欲でした」と言いました。彼女の中に欲望はありませんでした。概して在家の人たちは「仕事と責任が多すぎて瞑想や霊的実践の時間が取れない」と不平を言いますが、ホーリー・マザーの生涯は、家事、親戚の世話、信者の世話、イニシエーション伝授などでどんなに忙しくても、毎日瞑想することができることを示しています。

 

ホーリー・マザーの特質であるエゴのなさの具体例があります。才能があって何かを成し遂げた人が名誉を与えられると、だいたいエゴが増えます。一方、すべての化身の中で最も偉大であるシュリー・ラーマクリシュナはドッキネッショルでホーリー・マザーをショーダシー(※)として礼拝し、その礼拝の果実を彼女の御足に捧げました。ホーリー・マザーは彼の礼拝を受けることで最高の名誉を得ましたが、彼女にエゴの跡形もありません。彼女はそれを簡単に消化できたのです。在家の人、特にご婦人たちがホーリー・マザーのような生涯を歩むなら、その恩恵を受けるでしょう。

 

※ショーダシーは母なる神の化身10種のあらわれのうちの一つ。「ラーマクリシュナの生涯」上巻355ページ参照。

 

さて、ホーリー・マザーの教えをお伝えします。

絶対に仕事をしてください。仕事は心がさ迷わないようにします。しかし、祈りと瞑想も必要です。少なくとも朝と夕方に一度は坐って瞑想しなければなりません。瞑想は船の舵のようなものです。夜に坐って瞑想すると、その日の仕事についての反省ができます。

 

このホーリー・マザーの教えには三つのポイントがあります:

1. 働いてください。

2. 瞑想のために坐ってください。

3. 内省をしてください。

 

なぜ私たちは働かなければならないのでしょうか?なぜなら、働いていないと心をコントロールすることができないからです。ご存じのように心は全然落ち着きがありません。働いているときは仕事に集中しているのである程度心をコントロールできますが、働いていないと心はあちこちをさまよいます。

 

二つ目に、仕事のおかげで私たちは自分の性格の否定的な部分に気づけます。私たちの心の中には怒りや嫉妬などが潜んでいますが、仕事はそれらに気づかせてくれます。そして気づいたら修正することができます。またホーリー・マザーは瞑想を勧めます。瞑想は心をコントロールし、心を浄化し、心を集中させるのに役立つからです。私たちの心がコントロールされ、浄化されると、その心でものごとをよりよく学ぶことができ、関係性もよくなります。ご存じのようにエゴは私たちの関係性における最大の問題ですが、瞑想と集中を通じてエゴを制御できるようになります。そして、心を集中させれば、仕事はよりよくなり、間違いが減ります。さらに、瞑想の助けを借りることで神への愛が増し、心の平安を享受できるようになります。

 

そしてホーリー・マザーは一日に二度瞑想しなさいともいいます。なぜ一度ではなく二度なのでしょうか?朝の瞑想は心を落ち着かせるのに役立ちます。その静けさは一日中続くでしょう。つまり、朝に瞑想するとその効果は日中続くのです。観察すると、朝の私たちの心はサットワ的であり、日中はラジャス的、夕方と夜はタマス的です。日中に太陽が強くなるとラジャスの要素も目覚め、私たちは活動的で精力的になり始めます。朝に瞑想をすると、ラジャスをコントロールするのに役立ちます。夜の瞑想は朝の瞑想よりも重要です。なぜでしょうか?なぜなら、私たちの欲望は夕方になるとより優勢になるからです。私たちの怠惰、世俗的な楽しみへの欲望は夕方や夜に増大します。タマスは夕方に増えるからです。夕方に増えるタマスを制御するにはどうすればいいでしょうか?夜に瞑想をすることで、日中に溜まった汚れをきれいにできます。丸一日外で働いた後に家に帰り、顔を洗って口をすすぐのと同じように、心に溜まった汚れもきれいにしなければなりません。第二に、ホーリー・マザーが強調するのは自省です。夜の瞑想は、人を傷つけたかどうか、嘘をついたかどうか、非倫理的なことを言ったかどうかを分析する機会を与えてくれます。この自省は、夜に坐って瞑想することで行うことができます。第三に、夜の瞑想は、夜にタマス的な傾向が増えるのを阻止するのに役立ちます。

 

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スワーミー・メーダサーナンダのオーストラリア旅行のレポート

サルバリ・レイ夫人

202418日~16日)

 

実現すると本当にうれしい夢がある。プージャパッド・スワーミー・メーダサーナンダジー・マハーラージがオーストラリアのメルボルンにある我が家を訪問することは、夢見てきた高遠な夢の一つだ。ちなみに、オーストラリアに移住するまでの日本滞在中に、私たちは日本ヴェーダーンタ協会およびマハーラージと親しくなった。何年も前のある晴れた午後、メルボルンから電話でマハーラージと話していたとき、シュリー・タクールの意志で行く手に立ちはだかるどんな障害もうまく乗り越えて旅を実現できるという心からの信念を持って、私は勇敢にもマハーラージをメルボルンに招待した。しかしその午後から歳月は流れ、パンデミックやその他の災害が次々と起こり、最終的に私は202311 月にマハーラージに昔交わした会話を思い出していただいた。そしてシュリー・タクールの恩寵により、マハーラージは提案した旅行に興味を持たれた。マハーラージの考えを理解すると私たちはすぐにマハーラージのビザを申請した。ビザの最終難関は、オーストラリアのビザに必要な健康診断だった。数日後マハーラージは、健康診断が順調に進んだことを知らせてくださった。私たちは夢が叶うと思って大喜びした。

 

19日の朝、マハーラージがメルボルン空港に到着する日がついにやってきた。マハーラージが私道に着き、車から降りてきたときのことを今でも覚えている。それはあまりにも非現実的だったので、夢を見ているのではないことを思い出すために自分をつねるほどであった。その思い出は永遠に私たちとともにあるだろう。

 

当初から私たちはマハーラージのお世話について、あらゆる面で非常に心配していた。しかし一両日中にマハーラージは私たちの自宅での生活に優雅に適応なさった。マハーラージはプージャの部屋に光彩を与え、その後に日課が行われた。たいていマハーラージの早朝起床から一日は始まり、プージャ部屋で毎朝の祈りが続いた。その後、朝食、賛歌詠唱、『バガヴァッド・ギーター』の朗読が時々説明を加えて行われ、自宅周辺でうちの家族と共に気持ちよく散歩をなさった。マハーラージは物語を話したり、朝食のレシピを教えたり、日課を決めたりしたので、朝食の時間はとても楽しかった。昼食は通常、季節の野菜の簡単なカレーとご飯というシンプルなものだった。中でも、生パパイヤカレーはマハーラージのお気に入りであった。夕食はスープとカッテージチーズでさらにシンプルだった。

 

2日目も変わりなく始まった。午後早く、私たちはメルボルンのリングウッドにあるヴェーダーンタ・センターを訪問した。マハーラージは、常駐僧侶スワーミー・スニスタナーナダジーに会えたことをとても喜んでいるようだった。スニスタナーナンダジーはいつも信者たちにとても親切で、生き生きとした魅力的な笑顔で誰をも迎えてくださる。マハーラージは地元のヒンドゥ教寺院も訪問された。その夜は翌日のマハーラージのシドニー旅行の準備を少し急いでした。シドニーはオーストラリアのもう一つの都市で、メルボルンから空路で 1 時間半の距離にある。シドニー旅行はオーストラリアで最も古いヴェーダーンタ・センターの一つが主催した。そこはラーマクリシュナ・ミッションの年長僧侶で尊敬すべきスワーミー・シュリダーラナンダジー・マハーラージが所長を務めておられる。マハーラージのシドニー旅行が発表されると、アデレード・センターのスワーミー・マニャナンダジー・マハーラージもシドニー・センターでのマハーラージ歓迎に加わられた。

 

マハーラージは私の夫アルンを伴って、翌朝のローカル便でシドニーに向けて出発し、昼過ぎにシドニーに到着した。その時たまたま居合わせたシドニー・センター・アデレード支部のスワーミー・マニャナンダジーを含むシドニー・センターの僧侶たちは、シドニー・センターでの歓迎会に参加なさった。彼らはメーダサーナンダジーを迎えられたことを大喜びし、彼と一緒に有意義な時間を過ごされた。マハーラージはまた、最近の健康上の問題から回復してきているスワーミー・シュリダーラナンダジー・マハーラージを介護病院に訪ねた。尊敬すべきシュリダーラナンダジーは、マハーラージの訪問をひときわ喜ばれ彼を祝福なさった。余談だが、シュリダーラナンダジーはシドニー・アーシュラムが後援したメーダサーナンダジーの2007年のオーストラリア旅行のことを思い出された。マハーラージのシドニー旅行は、久しぶりに結束した僧侶たちとのおしゃべりと笑いにあふれていた。翌日、マハーラージは深い満足感と充実感を感じながらシドニーから戻られた。

 

シドニー旅行が終わると、誰にも邪魔されずにマハーラージと一緒に楽しむ時間になった。マハーラージは、私たちの小さな住居にすぐに落ち着き、とてもうれしいことに私たちの欠点をすべて無視してくださった。私たちはもっと多くの観光地を案内できるような長旅を手配できなかったことに不満を感じていたが、マハーラージはそのような観光にはあまり興味を示さず、時には私たちと一緒に、時にはおひとりで、また私の息子と近所を気持ちよく散歩するのがとても楽しそうだった。さらに、彼はそのような散歩と地元の野生動物をとても楽しみ、1 日に複数回散歩することにこだわられた。撮影された写真の中には、これらの散歩中に撮られたものもあり、私たちの記憶に一生残ると思う。

 

マハーラージの次のプログラムは、メルボルンのヴェーダーンタ・サブセンターが用意した。マハーラージは土曜日の夜に信者が祭殿に集まる前に、日本のヴェーダーンタの活動について話され、その後夕食としてプラサードをいただいた。マハーラージは短く歯切れの良い楽しい話で地元の信者を魅了し、誰もがその優雅な存在に祝福されていると感じた。メルボルン・センターでマハーラージは、シドニー・アーシュラムのブリスベン・サブセンターのスワーミー・アートメシャナンダジーに会われた。スワーミー・アートメシャナンダジーのことは、彼が幼い頃にラーマクリシュナ・ミッションに参加して以来ご存じだった。これらの出会いはマハーラージを大きな喜びで満たした。その後、マハーラージはその日のことを思い出しながら、「私たち三人の僧侶は、朝の11時半から午後4時半まで休みなくおしゃべりしていました!」と話された。マハーラージを知っている人なら、その言葉がどれほどの意味を持つかが簡単に分かるだろう。

 

私たちがマハーラージと一緒に過ごす至福の時間はどんどん過ぎていき、旅の最後の夜を迎えた。マハーラージは翌朝東京に向けて出発する!その日の夜はほとんど日々のスケジュール通りに進んだ。翌日早くに空港に向けて出発しなければならなかったので、少し早めに失礼した。気が付くと私たちはメルボルン空港でマハーラージに別れのプラナームを捧げていた。私たちは静かに心で泣いた。マハーラージをもっと長く留めておく方法があればよかったのにと思った。私たちは空港の混雑した通路の真ん中でサフラン色のシルエットに手を振りながら、シュリー・シュリー・タクール、シュリー・シュリー・マー、そしてスワーミージーに今回のような尊敬すべきスワーミー・メーダサーナンダジー・マハーラージを我が家にお迎えする機会が生涯にもっとたくさんあるようにと祈った。

                                   (この旅行を家族が主催したサルバリ・レイ夫人が作成したレポート)

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スワーミー・バネーシャーナンダ来日

 

ベルリンにあるラーマクリシュナ僧院のドイツ・センター長スワーミー・バネーシャーナンダジーが、125日から30日にかけて初来日し、31日にフィリピンへ出発した。ここに滞在中、彼はドイツのヴェーダーンタ協会について短い講演をし、いくつかの観光地を訪れた。彼の滞在は、日本ヴェーダーンタ協会の常駐僧侶や信者たちをとても喜ばせた。スワーミーは、そのうちの何人かとはインドで知り合っていたのでよくご存じだった。

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忘れられない物語

 

「スワーミー・ブラフマーナンダとの最初の出会い」

 

スワーミー・ブラフマーナンダジーは、コルカタのバグバザール地区に時々住んでいた。私の祖父、プラタープ・チャンドラ・マジュンダル医師は、内科医としてシュリー・ラーマクリシュナの最後の癌治療を担当したが、訪問しているうちにこの高弟をよく知るようになった。祖父は私に「偉大な聖者」であるスワーミー・ブラフマーナンダのところに一緒に行こうと勧めてくれた。私は、シュリー・ラーマクリシュナが「霊性の息子」とよく呼んでいたスワーミー・ブラフマーナンダについて読むべきものはすべて読んでいたので、大喜びした。

 

階段を上がると、線香のよい香りで高揚感に満たされた。それは現代インドの最も偉大なヨーギーの一人であるシュリー・ラーマクリシュナがニッティヤシッダという言葉で表現したヨーギーの臨在によるものだと思った。私たちがスワーミー・ブラフマーナンダのリビングルームに入ると、偉大なヨーギーはこちらを振り返り、素朴な笑顔で私たちを迎えてくれた。

 

「おお、プラタープ・バーブ!」と彼は叫んだ。「いや、じつに嬉しいです!」

 

二人の旧友は大喜びでしばらく話し続け、その後、私は前に出されて紹介された。私は歓喜に震えた。祖父は私が歌えると言った。

 

「坊や、歌うの?それはいい!私たちに何か歌ってくれないかね?マザーの歌を。何でも知っているかい?」

 

私は大喜びして、すぐに応じた。私は偉大な信者カマラーカンタの曲「マジュロ・アマル・マン・ブラマラ」を選んだ。これはシュリー・ラーマクリシュナがかつて愛した曲だ。私が歌うと、スワーミー・ブラフマーナンダの顔は神々しくなり、自らが光を発しているかのようだった。それから彼は外界の意識を失い、サマーディに入った。歌の終わりに音の延ばしていると、私の中に平安が降りてきた。それは深い平安だった。祖父も感動していた。

 

偉大なヨーギーは彫像のようなお姿で、ほとんど呼吸をせず、顔には美しい笑みをたたえて坐っていた。私たちは彼が正常な意識に戻るまで黙って待った。それから彼は黙って私をじっと見つめた。それから、顔を私の方に向けて、「坊や、もっと近づきなさい」と言った。

 

彼の足に額を預けると、喜びと感謝の涙があふれた。彼は私の頭を優しく撫でてくれた。彼の手のひらの感触が私の全身を鎮めた。 

 

「あのぅ 何か、何かアドバイスをいただけませんか?」私は恐れ多くて口ごもった。

 

彼は数秒間私の目を見つめていた。唇に穏やかな笑みが浮かんだ。

 

「たった一つのことを、つねに覚えておきなさい。それはタクールがよく私たちにおっしゃったことです。―『スマラン マナナ、常に思い出すこと』―これはヨーガの本質です。タクールの恩寵を思い出してください。そして自分に言い聞かせ続けてください。『私は彼の恩寵を受けている。それにふさわしくあらねば』 そうすれば―すべてうまくいくでしょう」

 

これはスワーミー・ブラフマーナンダが私にくれた唯一のアドバイスで、それは心に永遠に刻まれた。

 

( https://vivekavani.com/dilip-kumar-roy-and-swami-brahmananda/より転載)

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今月の思想

 

あらわれては消えるいかなる一時的なものとも繋がりをもたず、真我の中にありなさい。一時的なものから喜びを得るようになると、一時的なものに執着するようになる。あなたは一時的なものに執着するようになってから心を浄化しようと奮闘を始め、これがすべき正しいことであると考える – このことが混乱であり、このことが至らない点だ。さらに奮闘のあとに成功しなかったら、落胆し絶望して「兄弟、これは私には無理です」という。なぜあなたは成功しないのか?なぜなら、あなたは一時的なものをつかみ、それに執着しているからだ。一時的なものに惹かれたり、関わったりしなければ、あなたの真我は絶えず存在し、常にそこにある。

 …スワミ・ラムスクダス

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