今月のニュースレター

 

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ヴェーダーンタ協会ニュースレター(日本語版)

日本ヴェーターンタ協会の最新情報

20257月 第23 巻 第7

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かく語りき

 

善なる者との交わりをとおして、人は無執着を得る。無執着をとおして、迷いからの解放が生まれる。迷いからの解放をとおして、人は不動の真理を悟る。不動の真理を悟ることで、人は生きながらにして解脱を得る。

…アディ・シャンカラーチャーリヤ

 

常に私を想い、私を信じ、私に供養し、私を礼拝しなさい。そうすれば、君は必ず私の住処(ところ)に来られる。君は私の信愛の友だから、そのことを君に約束する。

…シュリー・クリシュナ

 

私たちは常に心と思いを神に定め、日々の仕事の合間にも愛と喜びをもって頻繁に神のことを考えなければなりません。

…ブラザー・ローレンス

 

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目次

・かく語りき――聖人の言葉

・お知らせ

20259月生誕日

・グル・セヴァ

スワーミー・メーダサーナンダ

・他者のために生きる者だけが生きている

スワーミー・ディッヴィヤーナターナンダ

・忘れられない物語

・今月の思想

 

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お知らせ

・各プログラムに参加を希望される方は、協会までご一報ください。

・日本ヴェーダーンタ協会の行事予定はホームページをご確認ください。

https://www.vedantajp.com/

 

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20259月生誕日 

 

スワーミー・アベダーナンダ          915日(月)

スワーミー・アカンダーナンダ         921日(日)

 

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2025年5月11日 仏陀生誕祝賀会 午後

 

「グル・セヴァ」

スワーミー・メーダサーナンダ

 

グル・セヴァとはどういう意味でしょうか?

 

インドでは、グル・セヴァとは、グルのために料理を作り、給仕し、衣服を洗い、ベッドを整えるなど、日常生活においてグルを助けるあらゆる行為を指します。言い換えれば、グル・セヴァとはグルに捧げられるあらゆる物理的な奉仕を意味します。しかし、スワーミー・ブラフマーナンダジー・マハーラージは、真のグル・セヴァとはグルの指示に従うことだと言いました。

 

午前のセッションで講演者が述べたのは、お釈迦さまの教えに従うためには心を清めなければならないということです。お釈迦様は「世界は苦しみと悲しみに満ちている」と言いました。これを肯定的に解釈すれば、「苦しみがこれほど多いのだから、どうすれば苦しみから逃れられるかを考えよう」という意味になります。

 

 バガヴァッド・ギーターの第1章は「アルジュナ・ヴィシャーダ・ヨーガ」と呼ばれ、アルジュナが深い悲しみに暮れる様子が描かれています。こうした状況を背景に、クリシュナはアルジュナに長々とした説法を与え、それが後にバガヴァッド・ギーターとして知られるようになりました。

 

講演者は、数年にわたって多くの苦行を続けたラーヴァナについても語りました。ついにブラフマー神がラーヴァナの前に現れた時、ラジャスに満ちていたラーヴァナは、全世界の支配者になりたいという願いを表明しました。ブラフマー神は彼にこの恩寵を与えました。この恩寵を受けた後、ラーヴァナは神や女神でさえも恐れる存在となりました。ラーヴァナは多くの苦行をしましたが、心が清らかでなかったため、人類に多くの害を与えました。ラーヴァナは「神々や半神に負けない」という恩寵を求めましたが、人間の力を過小評価していたので「人間に負けない」という恩寵は求めませんでした。そして最後には、人間によって殺されたのです。

 

ですから、心が清らかでないまま力を得ようとすると、結局は人類に害を及ぼすことになります。これは私たちにとって偉大な教えです。心を清める前に瞑想をすると、悪が激化してしまいます。だから、パタンジャリの『ヨーガ・スートラ』では、まずヤマとニヤマと呼ばれる、心を清めるための準備的な実践を定めているのです。瞑想を始める前に、必ずこれらを実践しなければなりません。

 

ある信者がスワーミー・ブラフマーナンダジーにこう言いました。「マハーラージ、あなたは私たちが家庭生活でどれほど苦労を強いられているかご存じないのです」 マハーラージは彼にこう言いました。「あなたも、霊的生活における苦労がどれほどのものか知りません」

 

別の時、ある信者がマハーラージのもとを訪れ、「マハーラージ、私たちはマーヤとは何かを知っています。なのに、なぜそれを捨て去ることができないのでしょうか?」と尋ねました。マハーラージは答えました。「あなたは幾生にもわたってマーヤを現実のものとし、それを愛してきたからです。今、あなたはこの人生でマーヤという概念を抱き始めたばかりですが、無数の過去世におけるサムスカーラはそう簡単には消え去りません。ですから、私たちを縛り付けているマーヤを取り除くのは非常に難しいのです」

 

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2025622日逗子 月例会

 

「他者のために生きる者だけが生きている」

スワーミー・ディッヴィヤーナターナンダ

 

スワーミー・ヴィヴェーカーナンダがシカゴからマイソールのマハラジャに宛てた手紙は、次の言葉で締めくくられています。

 

尊敬する王子様、この人生は短く、この世の虚栄は一時的なものですが、他者のために生きる者だけが生き残り、残りの者は生きているというより死んでいるのです。

 

スワーミージーは同胞に対し、他者の幸福のために人生を捧げるよう強く促しました。スワーミージーの言葉は人々の心に響きました。これからお話しする内容で分かるように、多くの高潔な若者たちが、人間に宿る神に仕えるために人生を捧げ、このスワーミージーの理論を実践に移したのです。

 

サルガチでの最初の奉仕活動:スワーミー・アカンダーナンダ

 

シュリー・ラーマクリシュナのマハーサマーディの後、1896年から1897年にかけて、数名の出家弟子たちがボラノゴル・マトで苦行に励んでいた頃、スワーミー・アカンダーナンダは西ベンガルへ巡礼に出かけました。彼はチャイタンニャ・マハープラブの生誕地であるナヴァドウィープを訪れました。そこからの帰途、彼はサルガチという地を通りました。そこでは干ばつが続いており、彼は食糧不足のために男女が骨と皮ばかりになっているのを目にしました。彼の心は張り裂ける思いでした。

 

彼はある出来事に深く心が動かされました。小さな女の子が地面に座りこんで、すすり泣いていました。傍らには、土製の水差しの割れた破片が転がっていて、その周りには水がこぼれていました。彼女は家族のために水を汲み、水を満たそうとした際に水差しが割れてしまい、どうやって水を手に入れたらいいか分らず、深い自責の念から泣いているようでした。アカンダーナンダジーは水差しを買って、彼女に渡しました。また、貧しい人々にも食料を配りました。翌日、彼が戻ろうとしたとき「ここに留まりなさい」と促す神の声が聞こえました。彼はその声を3日間続けて聞きました。彼はベルル・マトにいる兄弟弟子たちに手紙を書き、干ばつに苦しむ人々のために奉仕したいという希望を伝えました。ダージリンで静養中のスワーミー・ヴィヴェーカーナンダにも手紙を書きました。スワーミージーは、アカンダーナンダジーが干ばつに見舞われた地域の困窮している人々を助けていると聞いて、心が躍るほど嬉しいと返信しました。スワーミージーはまた、二人の若い修行僧にお金を持たせてサルガチへ遣りました。こうしてラーマクリシュナ僧院の最初の奉仕活動が始まったのです。

 

アカンダーナンダジーは干ばつ被害地域での救援活動を成功させました。そして干ばつが終息した後、マフラという村で孤児の少年たちのために孤児院を設立しました。この活動はしばらく続き、14年近く経った後、彼は広大な土地を購入し、孤児院を現在の場所に移転させました。彼は少年たちに基礎教育を与え、生活の糧となる技術も教えました。こうして、生きとし生けるものを礼拝することはシヴァ神を礼拝することと同じだという考え方のもと、彼はそこで奉仕活動を行いました。

 

コルカタのペストとシスター・ニヴェディタの奉仕

 

1899年、カルカッタ(現コルカタ)でペストが大流行すると、スワーミージーは即座に行動を起こしました。彼はペスト救援活動の全責任をシスター・ニヴェディタとスワーミー・サダーナンダに委任しました。ペストは危険で感染力の強い病気であり、外国から到着したばかりの人物に救援活動の指揮を任せることは考えられませんでした。しかし、スワーミージーはためらいませんでした。委員会が結成され、シスター・ニヴェディタが委員長、スワーミー・サダーナンダジーが補佐を務めました。

 

地域を清潔に保つことが最優先事項であったため、スワーミー・サダーナンダジーは掃除人たちの協力を得て路上の清掃を開始しました。地元紙に寄付の呼びかけを掲載すると、すぐに寄付が集まり始めました。シスター・ニヴェディタはカルカッタのクラシック劇場で「ペストと若者の責任」と題した講演を行いました。すぐにその効果はあらわれました。15人もの若者が救援活動への参加を申し出ました。ペスト救援活動は大成功を収め、知識層や政府の注目を集めました。

 

ラダー・ゴーヴィンダ・カー博士はこう述べています。「この時期、シスター・ニヴェディタはペストの被害を受けたほぼすべての地域で、慈悲の体現者と見なされました。彼女はあらゆる方法で被災者に手を差し伸べました。ペスト患者を経済的に支援するために、彼女は毎日飲んでいた牛乳さえも差し出したのです。当時、彼女の唯一の食べ物は牛乳と果物だったにもかかわらず!」

 

ある目撃者は、彼女がどのように彼らに仕えたかを次のように語っています。「ある日の午後、私はある家族の小屋に行きました。そこには小さな女の子が苦しんでいました。その湿っぽくて汚い小屋で、シスター・ニヴェディタは昼夜を問わず、自分の仕事を放り出してその女の子の看護を続けました。女の子が治らないことはわかっていましたが、彼女は看護をやめませんでした。数日間苦しんだ後、女の子は亡くなりました。最期、女の子がシスター・ニヴェディタの膝の上に横たわっているとき、彼女はニヴェディタを自分の母親と間違えて、『お母さん!お母さん!』と叫びました。この出来事はシスター・ニヴェディタの心に消えない傷跡を残しました」

 

実際、シスター・ニヴェディタはペスト救済活動中に素晴らしい手際の良さと慈悲心を発揮し、カルカッタの人々の間で知られるようになっただけでなく、尊敬と賞賛も得ました。

 

カンカルのセヴァアシュラム:スワーミー・カリャナーナンダとスワーミー・ニスチャヤーナンダの献身

 

スワーミー・ヴィヴェーカーナンダの生命力あふれる思想に感銘を受けた多くの若者が、出家生活を送るためにベルル・マトの僧院に入りました。その際の、スワーミー・カリャナーナンダとニスチャヤーナンダの貢献は特筆に値します。スワーミー・カリャナーナンダは、ベルル・マトに入り、しばらくの間、心を込めて奉仕した後、北インドへの巡礼に出発しました。

 

ラージプターナでは飢饉が起こっていました。彼はそのことに心を痛めました。そこで、彼はもう一人の兄弟弟子、スワーミー・スワルーパナンダに出会いました。二人は人々に奉仕することを決意しました。彼らは募金活動を行い、300人もの飢饉に襲われた人々に食事を提供していました。スワーミージーはこのことを知ると、大変喜びました。そして、カリャナーナンダジーに、リシケシ・ハイドワール地域の病人や病に苦しむ僧侶のために何かできることはないかと尋ねました。カリャナーナンダジーはこの考えをグルの命令として受け入れました。彼は、スワルーパナンダジーとともにナイニタールへ資金集めのために出向きました。カリャナーナンダジーはカンカルで2部屋を月々約3ルピーで借り、セヴァ活動を開始しました。

 

彼はホメオパシーの薬を手に入れ、毎日サドゥたちが住む小屋を巡り、彼らの健康状態を尋ねました。病気のサドゥを見つけると、アーシュラムに連れて行き、世話をしました。食事を用意し、食事を与えました。しばらくして、スワーミージーのもう一人の弟子であるスワーミー・ニスチャヤーナンダジーが加わりました。二人は病弱な僧侶や、アウトカーストの人々に全身全霊で仕えました。患者が亡くなると、彼らは遺体を自ら肩に担ぎ、葬儀を執り行いました。

 

スワーミー・カリャナーナンダは、クンバ・メーラに訪れる巡礼者たちへの奉仕も決意し、これもまたアーシュラムの活動スケジュールの一部となりました。彼はまた、アウトカーストの人びとのための夜間学校も設立しました。当時、政府はアウトカーストの人びとにほとんど注意を払っていませんでした。カリャナーナンダジーとニスチャヤーナンダジーは共に、社会に無視されている人びと、すなわち、ごみあさりをする人、掃除員、火葬場で働く人々に深い同情を抱いていました。

 

ラーマクリシュナ僧院 セヴァアシュラム、バラナシ

 

バラナシに住むチャルチャンドラという若者は、スワーミー・ヴィヴェーカーナンダのことを耳にしていました。彼はウドボーダン誌を購読し始め、掲載されている記事を丹念に読みました。そして徐々に、スワーミージーを深く尊敬するバラナシの若者たちと知り合いになりました。彼らは毎晩、その仲間の一人、ケダルナートの家に集まり、ウドボーダン誌の記事を読み、議論を交わしました。

 

ある日、チャルチャンドラはスワーミージーが作った詩「友へ」を読んでいると、血が湧きたち、溢れる感情が全身を駆け巡りました。彼は、ジャミニランジャンという別の友人の家に行き、詩を読み上げました。ジャミニランジャンはガンジス川で沐浴し、ヴィシュワナート寺院を訪れ、霊的修行に励む日々を送っていました。翌日、寺院から帰る途中、路上に瀕死の老女が倒れているのを見つけました。三人の友人は、彼女に心を込めてお世話をしました。これが後のセヴァアシュラムの始まりです。

 

チャルチャンドラは奉仕の誓いを立て、友人とともに路地から路地へと老人や病人を探し回り、見つけるたびに家に連れて帰り、彼らに食事を与え、薬も提供しました。こうして、将来のセヴァアシュラムの種が蒔かれたのです。1900年、ランプラという場所に家を借り、そこをセヴァアシュラムとしました。

そこは当初は貧者救済協会として知られていました。しかしスワーミージーは彼らに「慈悲からではなく、神への奉仕として人々に奉仕をしなさい」と助言しました。スワーミージー自らがセヴァアシュラムのためのアピール文を書きました。1906年、ベンガルの裕福な信者たちの援助により、ルクサ地区に土地が購入されました。1910年、最初の建物が建てられ、患者用の病棟が設けられました。

 

スワーミー・ムクターナンダ:ボン・ビハリ・マハーラージ

 

スワーミー・ムクターナンダ、別称ボン・ビハリ・マハーラージは、バラナシのラーマクリシュナ僧院セヴァアシュラムに見習い僧として参加しました。彼は文字通り、患者への奉仕を礼拝の一形態として実践しました。その献身的な姿勢は、伝説となりました。ボン・ババとしてよく知られる彼は、ラーマクリシュナ僧院セヴァアシュラムの外科部門で働きました。

 

日々熱心な意気込みをもって働き続けた彼は、傷を見るだけで、どのくらいで治るかを予測できる並外れた能力を身につけていました。彼の技術は素晴らしく、彼が包帯を巻いた傷は、他の人が巻いた傷よりも早く治りました。思いがけない時間、たとえ深夜であっても、ボン・ババは患者が来たと連絡が入ると、少しもためらうことなく、その人のお世話をしました。

 

ボン・ババは高齢になると、長時間の立ち仕事が原因で足にリウマチを患いました。介助者が車椅子で彼を外科病棟まで連れて行き、彼は喜んで患者の世話をしました。長年病院で働く人は、患者の死に感情的に影響を受けなくなるようです。しかし、スワーミー・ムクターナンダはそうはならず、亡くなった患者の遺族に深い同情を示しました。彼の愛情深く思いやりのある心は、皆から慕われました。

 

スワーミー・プラバーナンダ:ケタキ・マハーラージ

 

ケタキ・マハーラージはダッカのアーシュラムに見習い僧として入りました。数年後、当局は彼をチェラプンジに派遣し、現地の部族民のための福祉活動を開始する可能性を探らせました。ケタキ・マハーラージはそこで10年間奉仕し、シェラ、チェラプンジ、シロンにラーマクリシュナ僧院の支部を設立しました。

 

数ヶ月のうちに彼はカーシ語を習得しました。最初は夜間学校を開校し、その後6年生までの生徒を対象とする小学校、そして高校へと拡大しました。彼はカーシ語で教科書を執筆しました。シェラはカーシ丘陵の麓に位置し、チェラプンジは標高3000フィート(約900メートル)ほどの高い場所にあります。当時、人々はチェラプンジへ行くには徒歩で丘を登らなければなりませんでした。ケタキ・マハーラージは週に34回も登ったり降りたりしなければならないこともありました。

 

ケタキ・マハーラージは部族の人々と見事に溶け込みました。彼らと共に暮らし、喜びも悲しみも分かち合い、自立できるよう教育し、ヴェーダーンタの生命力あふれる言葉、そしてシュリー・ラーマクリシュナとヴィヴェーカーナンダの教えを彼らに授けました。しかし、山岳地帯での過酷な労働生活に彼の肉体は耐えられなくなりました。彼はほぼ寝たきりになり、地元の信者が彼の世話をする責任を引き受けました。後に、故郷シレットの村人たちの要望を受け入れ、彼はそこで最期の日々を過ごしました。しかし、肉体的な苦しみの中にあっても、彼は皆に笑顔で接しました。

 

これまでに述べた出来事は、スワーミー・ヴィヴェーカーナンダの思想が単なる思想ではなく、いかにして一般的な人びとを聖者へと変貌させたかを私たちに示しています。これらの事例は、私たちがスワーミー・ヴィヴェーカーナンダの生命力あふれる思想を自らの人生に取り入れるためのインスピレーションを与えてくれます。

 

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忘れられない物語

 

「真実の矢」

 

サヴァッティの町の近くにある静かなジェータヴァナの林の大きなバンニャンの木の下でマルーンキャプッタ尊者はお釈迦様に近づいた。彼は疑いで心が重くなっていたからだ。彼は敬意を表してお釈迦様に頭を下げ、脇に座り、こう言った。「尊敬する師よ、私の心は悩んでいます。世界は永遠なのか、永遠でないのか。有限なのか、無限なのか。魂は体と同じなのか、それとも違うのか。タターガタ(如来)は死後も存在するのか、それとも存在しないのか、あるいは両方なのか、それともどちらでもないのか。もしこれらの疑問にお答えいただけなければ、私はこの聖なる生活を生きていくことができません」

 

静かな湖のように静謐なお釈迦様は、マルーンキャプッタを見つめられた。「マルーンキャプッタよ、私はかつて、世界が永遠かそうでないか、有限か無限か、魂は体かそれとも別のものか、如来は死後も存在するのか、存在しないのか、あるいはその両方か、あるいはどちらでもないのかを説明すると言ったことがあるだろうか?」

 

マルーンキャプッタは首を横に振った。「いいえ、ございません」

 

「では、よく聞きなさい」とお釈迦様はおっしゃった。「ある男が毒矢に刺されたとしよう。友人たちが外科医を連れてくるが、彼は助けを拒否してこう言う。『誰が矢を射たのか、戦士か、バラモンか、商人か、それとも労働者か、氏族は何か、背が高いのか低いのか、肌の色は黒いのか白いのか、弓や弦、矢の種類は何だったのか、それを知るまで矢を抜かないでください』 男はそれらを知る前に、矢が刺さったまま死んでしまうだろう」

 

マルーンキャプッタはさらに近づいて、お釈迦様をじっと見つめた。お釈迦様は続けられた。「同様に、もしお前が『これらの疑問が解けるまでは聖なる生活に従わない』と言うならば、私が解き明かす前にお前は死ぬか苦しむであろう。世界が永遠であろうとなかろうと、生、老い、死、悲しみ、苦しみ、絶望はある。私はこれらを今生で消滅させるための教えを説く」

 

「師よ、私は何をすべきでしょうか?」とマルーンキャプッタは真剣に尋ねた。

 

お釈迦様は答えた。「苦しみ(苦諦)、苦しみの原因(集諦)、苦しみを滅ぼすこと(滅諦)、苦しみを滅ぼすための道(道諦)という私の教えを心に留めなさい。歩いているとき、食べているとき、呼吸しているとき、あらゆる瞬間に注意深くありなさい。これら四つの真理(四聖諦)は、思索的な問いではなく、平安へと導くものである」

 

マルーンキャプッタの心は晴れやかになった。「師よ、分かりました」と彼は深々と頭を下げながら言った。

 

喜びに満たされた彼は立ち上がり、他の何物も気にせず、常にダルマ(仏法)を心に留めることを誓った。林はより明るくなり、お釈迦様の言葉の真理で生き生きとしているようであった。

 

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今月の思想

 

神を鏡のようにハートに留め、一見ごとに神の愛を映せ。息をするたびに神の名を囁け。神なしでは、魂は影の中に消えてしまうのだから。喜びの時も苦しみの時も、神の御前で踊れ。神はあらゆる瞬間に最愛のお方なのだから。神を忘れるな、そうすれば、あなたのハートは神の光が永遠に咲き誇る庭園となるであろう。

…ルーミー

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