今月のニュースレター

 

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ヴェーダーンタ協会ニュースレター(日本語版)

 

日本ヴェーターンタ協会の最新情報

 

20202月 第18巻 第2

 

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かく語りき――聖人の言葉

 

 

 

 「『恐れのない(Abhihアビ)』、この形容詞が主に対して用いられているのは、私たちの聖典の中だけです。私たちはアビ、恐れなき者にならねばなりません。そうすれば、課された務めを果たせるでしょう」

 

…スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ

 

 

 

「バガヴァッド・ギーターの一部分だけを読む、ガンジス川の水を一滴だけ飲む、もしくはたった一度だけ主を礼拝する、そうするだけで、死の王に対するすべての恐れは、永遠に止むでしょう」

 

…シュリー・アディ・シャンカラ

 

                                                                                   

 

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目次

 

 

 

・かく語りき――聖人の言葉

 

20203月~20204月の予定

 

20201月逗子例会

 

ホーリー・マザー・シュリー・サーラダー・デーヴィー生誕祝賀会

 

20201月の逗子例会 午後の講話 「プラクリティム・プラマーム」 

 

スワーミー・メーダサーナンダ

 

・クリスマス・イブ礼拝 講話

 

レオナルド・アルヴァレズ

 

・忘れられない物語

 

・今月の思想

 

 

 

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20203月、4月の予定

 

 

 

3月~4月の生誕日

 

シュリー・ガウラーンガ(シュリー・チャイタンニャ)   39日(月)

 

スワーミー・ヨーガナンダ                  313日(金)

 

 

 

ラーマナヴァミ(ラーマの生誕日)             42日(木)

 

 

 

3月~4月の協会の行事

 

 

 

3月予定表

 

 

 

31日(日) 14001630 

 

逗子午後例会 

 

場所:逗子協会本館 

 

スワーミー・メーダサーナンダジによる『瞑想と霊性の生活Ⅰ』の解説

 

お問い合わせ:benkyo.nvk@gmail.com

 

 

 

37日(土) 東京・インド大使館例会は中止になりました。

 

 

 

310日(火) 14001630

 

『ラーマクリシュナの福音』の勉強会 

 

場所:逗子協会本館 

 

お問い合わせ&お申込み:benkyo.nvk@gmail.com

 

※前日までに上記の宛先にメールで予約が必要です。

 

※協会ウェブサイトで事前に確認してください。

 

 

 

15日(日) シュリー・ラーマクリシュナ生誕祝賀会は中止になりました。

 

 

 

27日(金)

 

ホームレス・ナラ・ナーラーヤナへの奉仕活動

 

現地でのお食事配布など。

 

参加ご予定の方は下記までご連絡ください。

 

お問い合わせ:佐藤 urara5599@gmail.com

 

 

 

ハタ・ヨーガ・クラス はすべて休講になりました。

 

お問い合わせ:090-9170-0003(荒井弘人)

 

メール: ochanomizuyoga@gmail.com

 

専用ホームページもご覧ください。

 

http//zushi-hatayoga.jimdo.com/

 

 

 

 

 

4月予定表

 

 

 

4月の予定は確定ではありません。中止になる可能性もございますので、事前にホームページでご確認の上、お越しください。

 

 

 

44日(土) 10301200  

 

東京・インド大使館例会

 

講義:『バガヴァッド・ギーター』

 

場所:インド大使館

 

講師:スワーミー・メーダサーナンダ

 

お問い合わせ:gitaembassy@gmail.com

 

2020年前期分(1月~6月)の受付は定員に達したため終了しております。

 

※入館・受講するには、大使館発行のID カード(2020 年前期分)が必要です。

 

更新した ID カードの受け取りなど、詳細は、協会ウェブサイトのページ左側にあるメニューから「インド大使館 ID」→「ID カード受け取り方法」をご覧ください。

 

 

 

45日(日) 14001630 

 

逗子午後例会 

 

場所:逗子協会本館 

 

スワーミー・メーダサーナンダジによる『瞑想と霊性の生活Ⅰ』の解説

 

お問い合わせ:benkyo.nvk@gmail.com

 

 

 

414日(火) 14001630

 

『ラーマクリシュナの福音』の勉強会 

 

場所:逗子協会本館 

 

お問い合わせ&お申込み:benkyo.nvk@gmail.com

 

※前日までに上記の宛先にメールで予約が必要です。

 

※協会ウェブサイトで事前に確認してください。

 

 

 

419日(日) 10301630

 

逗子例会

 

場所:逗子本部本館

 

午前:講話

 

午後:朗誦・輪読・講話

 

お問い合わせ:046-873-0468

 

 

 

424日(金)

 

ホームレス・ナラ・ナーラーヤナへの奉仕活動

 

現地でのお食事配布など。

 

参加ご予定の方は下記までご連絡ください。

 

お問い合わせ:佐藤 urara5599@gmail.com

 

 

 

4 29 日(月・祝) 5002000

 

アカンダ・ジャパム

 

場所:逗子本部本館シュライン

 

5時から夜 8 時までの間、瞑想とジャパ(神様の名前を心の中で唱え続けること)を切れ目なしに一日行う瞑想会です。宿泊や食事を提供します。

 

お問い合わせ:vedanta.karmayoga@gmail.com まで

 

4 20 日までにご希望の時間帯(1 時間単位で何時間でも)をご連絡下さい。

 

 

 

※ハタ・ヨーガのクラスは現在休校中です。

 

再開の可能性もございますので、直接お問い合わせください。

 

お問い合わせ:090-9170-0003(荒井弘人)

 

ochanomizuyoga@gmail.com

 

専用ホームページもご覧ください。

 

http//zushi-hatayoga.jimdo.com/

 

 

 

 

 

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20201月月例リトリート

 

ホーリー・マザー・シュリー・サーラダー・デーヴィー生誕祝賀会

 

 

 

119日(日)、日本ヴェーダーンタ協会では1月の逗子例会にて第167回ホーリー・マザー・シュリー・サーラダー・デーヴィー生誕祝賀会を開催しました。午前6時、逗子本部本館でマンガラ・アーラティ(朝拝)が行われました。祝賀会の準備のために本部近くのホーリー・マザー・ハウス(女性用宿泊施設)に宿泊していたボランティアの信者たちが参加しました。

 

 

 

本館で早めに朝食を済ませた後、ボランティアは料理や祭壇の花束や花輪など、祝賀会のための多くの最終準備を行いました。近くの別館には儀式台が組み立てられ、プージャーのための祭器や祭具が磨き上げられました。参加者のためのイスが列を作って並べられ、オーディオ班は、オーディオ・ビデオ機器を準備しました。

 

 

 

午前1030分、スワーミー・メーダサーナンダジ(マハーラージ)とスワミ・ディッヴィヤーナターナンダジ(アニルヴァン・マハーラージ)が儀式台に上がり、マハーラージがマントラを先導してプージャー(礼拝)が始まりました。アニルヴァン・マハーラージはマハーラージの指導の下で、供物奉献に定められた所作や勤めを行われました。約50分後、ホラ貝と鐘の音と共にホーリー・マザー・シュリー・サーラダー・デーヴィーへの信仰のマントラを唱える礼拝は、静かな瞑想と共に大詰めを迎え、さらにマントラは続きました。

 

             

 

プージャーはアーラティへと続き、マハーラージはもう一度、マザーにマントラを捧げられました。スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ作曲、『カンダナ・バヴァ・バンダナ(この世の束縛を断ち切るお方)』を祭壇の下のシャンティさんのギーボードの先導で参加者が歌う中、アニルヴァン・マハーラージは五大構成要(エーテル・空気・火・水・土)を象徴する祭具(炎・牡牛の尾でできた扇・織物など)を、ベルを鳴らしながら奉献されました。この時マハーラージは、参加者が祝福を受けられるように火の入った祭器を回されました。

 

 

 

カンダナ バヴァ バンダナ ジャガ ヴァンダナ ヴァンディ トマーイ |

 

ニランジャナ ナラルパダラ ニルグナ グナマイ ||

 

khaṇḍana bhava band­hana jaga van­dana vandi tomāy |

 

nirañ­jana nara-rūpa-dhara nir­guṇa guṇa­may ||

 

 

 

モチャナ アガドゥーシャナ ジャガブーシャナ チッガナカーイ |

 

ギャーナンジャナ ヴィマラナヤナ ヴィクシャネ モハ ジャーイ ||

 

mocana aghadūṣaṇa jagab­hūṣaṇa cidghanakāy |

 

jñānāñjana-vimala-nayana vīkṣaṇe moha jāy ||

 

 

 

バーシュワラ バヴァサーガラ チラウンマダ プレマパータール |

 

バクタールジャナ ユガラ チャラナ ターラナ バヴァ パール ||

 

bhās­vara bhāva-sāgara cira-unmada prema-pāthār |

 

bhaktārjana-yugala caraṇa tāraṇa-bhava-pār ||

 

 

 

ジリムビタ ユガ イーシュワラ ジャガディーシュワラ ヨーガシャハーイ|

 

ニーローダナ サマヒタマナ ニラキ タヴァ クリパーイ ||

 

jṛmbhita-yuga-īśvara jagadīś­vara yogasahāy |

 

nirod­hana samāhi­ta­mana nirakhi tava kṛpāy ||

 

 

 

バンジャナ ドゥッカガンジャナ カルナーガナ カルマカタール |

 

プラーナールパナ ジャガタタラナ クリンタナ カリドール ||

 

bhañjana-duḥkhagañjana karuṇāghana karma-kaṭhor |

 

prāṇār­paṇa jagata-tāraṇa kṛntana-kaliḍor ||

 

 

 

ヴァンチャナ カマカーンチャナ アティニンディタ インドゥリヤラーグ |

 

ティヤーギーシュワラ ヘー ナラヴァラ デハパデ オヌラーグ ||

 

vañcana-kāmakāñcana atinindita-indriyarāg |

 

tyāgīś­vara he nar­avara deha­pade anurāg ||

 

 

 

ニルバヤ ガタサンシャヤ ドゥリハニシュチャヤ マーナサヴァーン |

 

ニシカーラナ バカタ シャラナ ティヤジジャーティ クラ マーン ||

 

nirb­haya gatasaṁśaya dṛṛhaniścaya-mānasavān |

 

niṣkāraṇa-bhakata-śaraṇa tyaji jāti-kula-māna ||

 

 

 

サンパダ タヴァ シュリーパダ バヴァ ゴーシュパダ ヴァーリ ヤターイ |

 

プレマールパナ サマダラシャナ ジャガジャナ ドゥッカ ジャーイ ||

 

sam­pada tava śrī­pada bhava-goṣpada-vāri yathāy |

 

pre­mār­paṇa samadaraśana jagajana-duḥkha jāy ||

 

 

 

ナモ ナモ プラブ ヴァーキャ マナーティタ マノヴァチャ ナイカーダール |

 

ジョーティラ ジョーティ ウジャラ フリディカンダラ トゥミ タモ バンジャナ ハー ||

 

namo namo prabhu vākya-manātīta manova­canaikād­hār |

 

jyotira jyoti ujala-hṛdikandara tumi tamo-bhañjana hār ||

 

 

 

デデデ ランガ ランガ バンガ バージェ アンガ サンガムリダンガ

 

ガイチェ チャンダ バカタヴインダ アーラティ トマール ||

 

dhe dhe dhe laṅga raṅga bhaṅga bāje aṅga saṅga mṛdaṅga

 

gāhiche chanda bhakatavṛnda ārati tomār ||

 

 

 

ジャヤ ジャヤ アーラティ トマール ハラ ハラ アーラティ トマール

 

シヴァ シヴァ アーラティ トマール ||

 

jaya jaya ārati tomār  hara hara ārati tomār  śiva śiva ārati tomār ||

 

 

 

カンダナ バヴァ バンダナ ジャガ ヴァンダナ ヴァンディ トマーイ |

 

khaṇḍana bhava band­hana jaga van­dana vandi tomāy |

 

 

 

アーラティが終わりに近づきました。カンダナ・バヴァ・バンダナが終わると参加者はマザーに手を合わせ、アニルヴァン・マハーラージはマザーにひれ伏してから、儀式台へ戻られました。その後、シャンティさんの先導でチャンディXI10-12聖なる母への賛歌、サルヴァ・マンガラ・マンガリエを参加者全員で歌いました。

 

 

 

オーム サルヴァマンガラマンガリェ シヴェ サルヴァルタサーディケ |

 

シャランニェ トゥランバケ ガウリ ナーラーヤニ ナモストゥ テ || 

 

om sarvamaṅgalamāṅgalye śive sarvārthasādhike |   

 

śaraṇye tryambake gauri nārāyaṇi namo’stu te ||         

 

 

 

シュリスティスティヴィナーシャーナーム シャクティブーテ サナータニ |

 

グナーシュライェ グナマイェ ナーラーヤニ ナモストゥ テ ||

 

sṛṣṭisthitivināśānāṁ śaktibhūte sanātani |      guṇāśraye guṇamaye nārāyaṇi namo’stu te ||

 

 

 

シャラナーガタ ディーナールタパリトラーナパラーヤネ |

 

サルヴァシャルティハレ デヴィ ナーラーヤニ ナモストゥ テ || 

 

śaraṇāgatadīnārtaparitrāṇaparāyaṇe | sarvasyārtihare devi nārāyaṇi namo’stu te ||

 

 

 

ジャヤ ナーラーヤニ ナモストゥテ ジャヤ・ナーラーヤニ ナモストゥ テ |

 

ジャヤ ナーラーヤニ ナモストゥ テ ジャヤ ナーラーヤニ ナモストゥテ ||

 

jaya nārāyaṇi namo’stu te jaya nārāyaṇi namo’stu te |

 

jaya nārāyaṇi namo’stu te jaya nārāyaṇi namo’stu te ||

 

 

 

(翻訳)

 

幸あるもののうちで、最も幸あるものよ! おお、すべての祈りを叶えてくださるシヴァの細君よ! 私たちの唯一の避難所!おお、三つ目のガウリよ! 

 

おお、ナーラーヤニ、あなたに礼拝いたします!

 

 

 

あなたの力は、すべての創造、維持、破壊を超越する! おお、永遠なるお方よ!

 

グナの基礎であり、グナの化身よ! おお、ナーラーヤニ、あなたに礼拝いたします!

 

 

 

あなたを避難所とする弱い者と苦しむ者を救うべく専心されるお方! おお、すべての苦しみを打ち砕くお方! おお、母なる神よ! おお、ナーラーヤニ、あなたに礼拝いたします! 

 

すべての栄光をあなたに、おお、ナーラーヤニ、あなたに礼拝いたします!

 

おお、ナーラーヤニ、栄光と礼拝を繰り返しあなたに!

 

 

 

ジャイ シュリ グル マハーラージ キー ジャイ

 

ジャイ マハー マイキー ジャイ

 

ジャイ シュリー スワミジ キー ジャイ

 

ジャイ シュリー ブッダ デーヴァキー ジャイ シュリー ガンガー マイキー ジャイ

 

 

 

賛歌が終わりに近づくと、二人のスワーミーは最後の祈りと奉献をなさいました。その後、席を立たれました。祭壇の供物は、シュリー・ラーマクリシュナ、シュリー・サーラダー・デーヴィー、スワーミー・ヴィヴェーカーナンダのお写真の前に捧げられた上段の供物を残して、本館の台所へ下げられました。早々に祭壇の下段の供物が片づけられ、プシュパンジャリ(花奉献)の供花を入れる盆を置く場所に変わりました。

 

 

 

祭壇の下段を片付けている間に、全員起立を促され、プシュパンジャリ用の花と葉が配られました。マハーラージは出席者にガンジスの水をふりかけられました。ホーリー・マザーに捧げるプシュパンジャリ(花奉献)とプラナーム(神への挨拶)のマントラ(聖句)を、マハーラーの先導で1フレーズ、1語ごとにサンスクリット語で唱和しました。それから参加者は祭壇に祈りと花を捧げました。その後、皆本館へ移動して、プラサード(お下がり)の昼食をいただきました。

 

 

 

午後のプログラムは1430頃に始まりました。まず朗読が行われ、次にマハーラージの講話が行われました。続く短い音楽プログラムでは、スワーミー・ディッヴィヤーナターナンダジとシャンティさんがホーリー・マザーへの賛歌を歌われました。

 

 

 

短い瞑想の後、本館に移動して、お茶を頂きました。約40人が祝賀会に出席しました。

 

 

 

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1月逗子リトリート2020

 

ホーリー・マザー・シュリー・サーラダー・デーヴィー生誕祝賀会

 

午後の講話

 

「プラクリティム・パラマーム」

 

スワーミー・メーダサーナンダ               

 

 

 

(この講演の前に、別館の儀式台でスワーミー・メーダサーナンダジ(マハーラージ)と、ハーモニウムの伴奏もされたスワーミー・ディッヴィヤーナターナンダジ(アニルヴァン・マハーラージ)はホーリー・マザーへの人気のある賛歌「プラクリティム・プラマーム」を歌われました)

 

 

 

スワーミー・アベダーナンダジが作られた賛歌は以下の通りです。

 

             

 

プラクリティム パラマーム アバヤーム ヴァラダーム  ナラルーパダラーム ジャナターパハラーム| 

 

シャラナーガタセヴァカトシャカリム  プラナマーミ パラーム ジャナニーム ジャガターム||

 

prakṛtiṁ paramām abhayāṁ varadāṁ  nararūpadharāṁ janatāpaharām |

 

śaraṇāgatasevakatoṣakarīṁ  praṇamāmi parāṁ jananīṁ jagatām ||

 

 

 

グナヒナスターン アパラーダユターン クパヤーディァ サムッダラ モハガターン| 

 

タラニーム バヴァサーガラパーラカリム  プラナマーミ パラーム ジャナニーム ジャガターン||

 

guṇahīnasutān aparādhayutān  kṛpayādya samuddhara mohagatān |

 

taraṇīṁ bhavasāgarapārakarīṁ  praṇamāmi parāṁ jananīṁ jagatām ||

 

 

 

ヴィシャヤン クスマン パリフリティァ サダー チャラナームブルハームタ シャーンティスダーン|

 

ピバ ブリンガマノ バヴァロガハラーム  プラナマーミ パラーム ジャナニーム ジャガターム ||

 

viṣayaṁ kusumaṁ parihṛtya sadā  caraṇāmburuhāmṛta-śāntisudhām |

 

piba bhṛṅgamano bhavarogaharāṁ   praṇamāmi parāṁ jananīṁ jagatām ||

 

 

 

 

 

クリパーム クル マハーデヴィ ステシュ プラナテシュ チャ|

 

チャラナーシュラヤダーネナ クリパーマイ ナモーストゥ テ ||

 

kṛpāṁ kuru mahādevi suteṣu praṇateṣu ca |

 

caraṇāśrayadānena kṛpāmayi namo’stu te ||

 

 

 

ラッジャーパターヴリテ ニッティヤム サーラデ ギャーナダーイケ |

 

パーペビョ ナ サダー ラクシャ クリパーマイ ナモーストゥ テ ||

 

lajjāpaṭāvṛte nityaṁ sārade jñānadāyike |

 

pāpebhyo naḥ sadā rakṣa kṛpāmayi namo’stu te ||

 

 

 

ラーマクリシュナガタプラーナーム タンナーマシュラヴァナプリヤム|

 

タドバーヴァランジターカーラーム プラナマーミ ムフールムフー ||

 

rāmakṛṣṇagataprāṇāṁ tannāmaśravaṇapriyām |

 

tadbhāvarañjitākārāṁ praṇamāmi muhurmuhuḥ ||

 

 

 

パヴィトラム チャリタイ ヤッスヤー パヴィトラム ジーヴァナム タター|

 

パヴィトラタースヴァルーピニャイ タッスァイ クーモ ナモー ナマハ||

 

pavitraṁ caritaṁ yasyāḥ pavitraṁ jīvanaṁ tathā |

 

pavitratāsvarūpiṇyai tasyai kurmo namo namaḥ ||

 

 

 

デーヴィム プラサンナーム プラナターリティハントリム ヨギーンドラプージャーム ユガダルマパートリム |

 

ターン サーラダーン バクティヴィッギャーナダートリン ダヤースヴァルーパーム プラナマーミ ニッティヤム ||

 

devīṁ prasannāṁ praṇatārtihantrīṁ   yogīndrapūjyāṁ yugadharmapātrīm |

 

tāṁ sāradāṁ bhaktivijñānadātrīṁ   dayāsvarūpāṁ praṇamāmi nityam ||

 

 

 

スネヘナ バドナーシ マノースマディーヤン  ドシャーナシェシャーン サグニーカロシ|

 

アヘトゥナー ノ ダヤセ サドシャーン  スヴァーンケ グリヒートヮー ヤディダム ヴィチトム ||

 

snehena badhnāsi mano’smadīyaṁ   doṣānaśeṣān saguṇīkaroṣi |

 

ahetunā no dayase sadoṣān   svāṅke gṛhītvā yadidaṁ vicitram ||

 

 

 

プラシーダ マータルヴィナイェーナ ヤーチェ  ニッティヤム バヴァ シュネハヴァティー ステシュ| プレマイカビンドゥン チラダグハチッテ  ヴィシンチャ チッタン クル ナー スシャーンタム ||

 

prasīda mātarvinayena yāce   nityaṁ bhava snehavatī suteṣu |

 

premaikabinduṁ ciradagdhacitte   viṣiñca cittaṁ kuru naḥ suśāntam ||

 

 

 

ジャナニン サーラダーム デヴィーム ラーマクリシュナム ジャガッドグルム |

 

パーダパドメ タヨー シュリットヴァー プラナマーミ ムフールムフ ||

 

jananīṁ sāradāṁ devīṁ rāmakṛṣṇaṁ jagadgurum |

 

pādapadme tayoḥ śritvā praṇamāmi muhurmuhuḥ ||

 

 

 

(翻訳)

 

人の形に化身した神聖なシャクティ、恩恵の与え手、恐れを払うお方、悲しみの火を消し、「彼女」に避難する人々の心を喜びで満たすお方

 

あなたを礼拝いたします。 おお、至高のお方、全世界の母よ!

 

 

 

あなたの慈悲であなたの子供をお救いください!たとえ私たちが過ちをたくさん犯し、幻惑されており、取柄が何もなくても。

 

あなたはサムサーラの海を渡らせてくださる真実の船。

 

礼拝いたします。 おお、至高のお方、全世界の母よ!

 

 

 

世間の楽しみという花を捨て、おお、私の心のミツバチは、母の蓮華の御足で永遠に平安な甘露をいつも飲む。それはこの世の病気の確かな万能薬。

 

礼拝いたします。 おお、至高のお方、全世界の母よ!

 

 

 

おお、偉大なる神よ、あなたの恩寵をお与えください、あなたにひれ伏し拝むあなたの子どもたちに。そして私たちにあなたの御足の避難所をお与えください、おお、情け深いお方よ。あなたを礼拝いたします!

 

 

 

謙虚さのベールで覆われているが、おお、実にマザー・サーラダーは、人々に霊的光明を授ける「力」です。私たちを永久に罪から守ってください、おお、慈悲の化身よ! 

 

あなたを礼拝いたします!

 

 

 

ラーマクリシュナの命に溶け込んでいるお方に、

 

「彼」の栄光を考え話すことを喜びとするお方に、

 

その方のお人柄は、「彼」の精神にどっぷりと満たされている、

 

そのお方を礼拝いたします!

 

 

 

「彼女」の天性は神聖さ、「彼女」の生涯は神聖で、「彼女」はまさに神聖さの化身です。

 

そのお方に何度も何度もお辞儀をいたします!

 

 

 

恵み深いマザー・サーラダー、慈悲の化身、帰依と知識の与え手、ヨーギーの長から礼拝され、(シュリー・ラーマクリシュナと共に)現代に新たな啓示を与えられたお方、「彼女」の御足に避難する信者の苦悩を和らげてくださるお方。そのお方に私は常に崇拝しお辞儀いたします!

 

 

 

あなたの愛の絆で私たちの心を縛り、私たちの悪徳を美徳に変えてくださる。自分の功績を考えず、存分に与える哀れみ深いお方、

 

取るに足らない者でもあなたの膝に乗せてください!

 

 

 

お母さん、どうか慈悲深くいてください。そして私が謙虚に願うものをお与えください。あなたの子供である私たちにずっと愛情を注いでください。私たちの永らく乾いていた心に、あなたの愛を一滴でいいので垂らしてください、私たちの心を静かで平安にしてください!

 

 

 

この世の教師である母サーラダー・デーヴィーとラーマクリシュナの蓮華の御足を避難所とし、私は何度も何度も礼拝いたします。

 

 

 

(この日本語訳はグレーター・ワシントンD.C.のヴェーダーンタ・センターにより投稿された英語訳からの重訳です)

 

 

 

 

 

「プラクリティム・パラマーム」

 

スワーミー・メーダサーナンダ

 

             

 

今日の講話は、スワーミー・アベダーナンダジのホーリー・マザーへの賛歌「プラクリティム・パラマーム」についてです。この賛歌では、ホーリー・マザー・シュリー・サーラダー・デーヴィーの神聖な人格の本性が、「彼女」に捧げる礼拝と祈りの言葉を通して説明され描写されています。

 

 

 

シュリー・ラーマクリシュナもホーリー・マザーの本質について多くのすぐれたコメントをされました。ある時、ドッキネッショルの師の部屋で師の足をマッサージしながら、彼女は師に自分をどう見ているのかを尋ねました。もちろんお二人は結婚していましたが、一般的な結婚の形態ではなかったので、夫に対してそのような質問をしたのです。シュリー・ラーマクリシュナはすぐにお答えになりました「この寺の母(カーリー)と、この体を産んでくれた母、その方たちと同じ母が今、私の足をマッサージしています」。お二人の関係については、このことが最も重要な点なので、心にとどめておくべきです。

 

別の機会にシュリー・ラーマクリシュナは、ホーリー・マザーは「彼」の力であり、「彼」のシャクティ(宇宙の根本エネルギー)である、「彼」はそれらを用いて信者に対して霊性を分け与えているのだ、とおっしゃいました。

 

別の機会に「彼」は、ホーリー・マザーは知識の与え手であるサラスワティーであり、人びとに知識を与えるために生まれてきたのだ、とおっしゃいました。マザー・サラスワティーは、この世の知識(アパラーヴィッディヤー)と霊的知識(パラー・ヴィッディヤ)という2種類の知識を与えますが、ホーリー・マザーはその両方のあらわれでした。

 

 

 

ホーリー・マザーの本性を明らかにする

 

 

 

外から見るとホーリー・マザーは、平凡な田舎の村の女性に過ぎないように見えます。それとは対照的にシュリー・ラーマクリシュナは、サマーディに入ったときには特に光り輝きましたし、「彼」の霊的なオーラはうっとりするものでした。スワーミー・ヴィヴェーカーナンダも素晴らしい存在感とカリスマ性を持っていました。シュリー・サーラダー・デーヴィーはこのようなことを全然あらわしませんでした。しかしながら、「彼女」に長年仕えたスワーミー・アルパーナンダジが他の僧侶からホーリー・マザーの特別な資質について尋ねられると、「彼女」にはエゴというものがまったくありません、と答えました。一般的な人は、ちっぽけでわずかな才能を持つだけでそれを見せたがるのですが、それはエゴです。ホーリー・マザーはご自身の深遠な霊的力をとても上手に隠すことも出来ました。私たちは、シュリー・ラーマクリシュナが、ホーリー・マザーはマザー・サラスワティーであると言及したと聞いても、その意味を思い描いたり理解することすらできません。本を読み瞑想をしても、この言明の意義を十分に認識することはできません。ホーリー・マザーは全能ですが、「彼女」はその力を隠しました。普通の人はそのような力を隠すことはできないのですが、「彼女」の特別な力を使って隠したのです。

 

 

 

最初にシュリー・ラーマクリシュナが、サーラダー・デーヴィーは特別だ、と告げたのは、スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ(スワーミージー)に対してだったのですが、彼はこのことを兄弟弟子に説明しました。ある時、アドブターナンダジ(ラトゥ・マハーラージ)がマザー・カーリーを瞑想しているとき、ホーリー・マザーはカーリー寺院のナハバトで夕食の準備をし、チャパティを一生懸命作っていました。シュリー・ラーマクリシュナがアドブターナンダジに近づいておっしゃいました「ラトゥ! お前が瞑想している聖なる母が、ナハバトで一生懸命働いていらっしゃる。瞑想をやめて彼女を手伝ってはどうかね?」。シュリー・ラーマクリシュナはこの心を揺さぶる声明で、聖なる母がサーラダー・デーヴィーとして形をもってあらわれたということをここに示されたのです。

 

 

 

シュリー・ラーマクリシュナの出家弟子の間では、ホーリー・マザーに対する理解の度合いは確かに深いものでしたが、さらにスワーミージー、ブラフマーナンダジ、プレマーナンダジやその他わずかな霊的猛者が「彼女」に近づくときはいつでも、「彼女」が「母なる神」であることをはっきりと見ました。

 

そのため彼らは「彼女」と自由に会話をすることができず、しばしば霊的感情に圧倒されました。彼らにとっては、まるでマザー・カーリー自身が彼らの前に座っていたかのようだったのですから。     

 

別の際にサーラダー・デーヴィーは、「彼女」とシュリー・ラーマクリシュナは、同じコインの二つの面であり、ブラフマンとシャクティのように、一つの存在以外のなにものでもない、とおっしゃいました。インドでは、私たちはシュリー・サーラダー・デーヴィーを「母なる神」と呼んでいますが、シュリー・ラーマクリシュナが同じコインのもう片方の面ならば、信者はシュリー・ラーマクリシュナを「父なる神」と呼ぶことはできませんか? 確かに私たちはシュリー・サーラダー・デーヴィーに対しては「母なる神」、シュリー・ラーマクリシュナに対しては「父なる神」と、どちらも使うことができます。 日本語でDivine Motherを「母なる神」、Divine Fatherを「父なる神」と言います。(ここで当日の通訳者であるレオナルドさんが、カトリックでは神を母として礼拝しないことと、「父なる神」という言葉は日本のカトリック教徒が「神」、「ファーザー」を指すのに使用するのと同じ用語であることを指摘された)

 

 

 

根本エネルギー

 

 

 

ホーリー・マザーに捧げる賛歌は他にもありますが、「プラクリティム・パラマーム」は今も最も人気があります。スワーミー・アベダーナンダジがまだ若い僧侶だった頃、ヴェーダーンタを伝道してほしいというスワーミージーの要請によって西洋に行く前のことです。アベダーナンダジは現在のベルル・マトの近く、ガンジス川西岸のニランバル・バブーのガーデンハウスに滞在していたホーリー・マザーを訪問しました。 アベダーナンダジはホーリー・マザーに近づき「彼女」に捧げる賛歌を作ったことを伝えました。謙虚さの権化であるマザーはこのことに大変驚きました。なぜなら賛歌というのは通常、神や女神に捧げられるものだからです。だから「彼女」は謙遜して「私についてでしょうか?」と当惑されました。アベダーナンダジは「彼女」にその賛歌を詠唱していいかどうか尋ねました。ホーリー・マザーはアベダーナンダジの歌詞を聞きながらサマーディに入られました。

 

 

 

 アベダーナンダジが賛歌を詠唱し、「ラーマクリシュナガタプラナーム」という歌詞に差し掛かった時、スワーミーは彼の前に座っているのはホーリー・マザーではなく、シュリー・ラーマクリシュナであることをはっきりと見ました。これを検証することはできませんが、この出来事は、僧団の代々の兄弟たちによって伝え続けられています。

 

                           

 

恐れを知らず、慈悲深く、恩寵の与え手

 

 

 

賛歌で描かれているホーリー・マザーの特別な特徴のいくつかを説明しましょう。初めに「プラクリティム・パラマーム」の意味は、宇宙を創造、維持、破壊する根本エネルギーです。スワーミー・サーラダーナンダジ(シャラト・マハーラージ)もベンガル語の歌を歌いました。その歌は、ホーリー・マザーのお遊びの中で「彼女」は創造し、時には破壊する、という考えを伝える歌です。「彼女」は行為の結果の与え手でもありますが、さらに悪いカルマの結果として生じる苦しみを大幅に減らすことができます。 アベダーナンダジの賛歌の一行目では、ホーリー・マザーを「アバヤーム(恐れなし)」であると描いています。この恐れのなさには、二つの面があります。一つは、「彼女」は完璧に恐れから自由であることです。そしてもう一つは、「彼女」は恐れに苦しむ人々の恐れを取り除くこともできることです。

 

 

 

これに関して、ここでホーリー・マザーの生涯から面白い出来事を簡単に述べます。マザーがカルカッタに滞在中のことです。ホーリー・マザーは、医者がもうすぐやってきて「彼女」に注射を打つでしょう、と言われて大変怖がりました。後ほど医者が彼女のウドボーダンの家に到着したとき、人々はあちこち「彼女」を捜しましたが、どこにも見つかりませんでした。結局医者が帰った後に、彼らは彼女がベッドの下に隠れているのを見つけました。サーラダーナンダジは面白半分で言いました、彼女は「アバヤ」つまり「恐れはない(fearless)」です。それに「彼女」は「恐れのなさ(fearlessness)」の権化なのだから、もし「彼女」が恐れるのなら、どうしようもないと。

 

 

 

賛歌では次に「彼女」を「アバヤーム ヴァラダーム」であると称賛しています。マザー・カーリーの像には四本の腕がありますが、そのうちの一本の右腕は上にあげて手のひらを正面に向けています。これはアバヤーム、つまり、恐れないこと、を表現しています。もう一本の右腕は下側にあるのですが、手のひらは上に向いています。これはヴァラダーム、つまり、信者の祈りを満たす恩恵の与え手、を表現しています。「彼女」は世俗的な祈りと霊的な祈りの両方を満たすお方です。もし私たちが世俗的なものを求めれば、もちろん「彼女」はそれを与えることができますが、最終的にそのような欲望は、私たちに困難をもたらすでしょう。しかしもし私たちが、ヴィヴェーカ(識別)、ヴァイラーギヤ(放棄)、バクティ(神への愛)を求めるのであれば、「彼女」は私たちの大きな利益のために、それらを授けることもできます。次の「ナラルーパダラーム」とは、「彼女」が人間の形であらわれたことを説明しています。さらに「ジャナターパハラーム」は、「彼女」が「彼女」の信者の心の苦しみを取り除くと言っています。

 

 

 

その後の節「クリパーム クル マハーデヴィ」では、信者に恩寵を授ける慈悲深い母を称賛しています。「彼女」は信者の避難所であり、私たちが困っているときはいつでも「彼女」に避難することができます。あるとき「彼女」はある信者に、たとえ誰も助けてくれなくても、どこにも助けが見つからなくても、いつでも避難できるように「彼女」はいつもそばにいる、そのことを覚えておくように、と保証されました。このことは、人生の試練と苦難に直面するすべての信者に多大な精神の安定と勇気を与えます。これらは単なる言葉ではありません、だからもし私たちが心の底からホーリー・マザーに祈るならば、「彼女」は私たちを助けてくださるでしょう。私を含め多くの人は、生涯を通じて何度かそのような経験をしたことがあります。そしてこれらの経験は、活発な想像力が生み出したものではありません、それらは本当に起こったのです。

 

 

 

マザーは恩寵を授けてくださるのですが、そのことについて私たちのほうに問題が二つあります。

 

まず、そのようなことを聞いても信じないことです。私たちはそれを信じません。また、もしたとえ信じたとしても、マザーの恩寵でこれまでに助けられたことがあっても、それを忘れて、恩知らずになります。一つの良い解決策は、私たちが「彼女」の恩寵を受けたときに、そのことを思い出す手助けとして、それを書き留めておくことです。そうすれば、それらの場面を思い出して、信仰を深めることができます。そうしなければ、「彼女」の恩寵への私たちの信仰は浅いままです。そうすると、自分は助けられていないと思い、また「彼女」が本当に救済に来てくださった、ということを忘れるかもしれません。

 

             

 

宇宙全体の母

 

 

 

賛歌はシュリー・サーラダー・デーヴィーを、宇宙の母を意味する「ジャナニム ジャガタム」とも呼びます。これは、「彼女」が全ての母であること、鳥、動物などすべての存在の母であることを意味します。

 

そして「彼女」のこの事実を物語る数多くの出来事があります。彼女はインド人の母であるだけでなく、外国人の母でもあります。マザーが人間の形で生きておられた頃、インドはイギリスに支配されていました。そして多くのインド人は、イギリスの統治によって搾取され服従させられているという明らかな理由から、イギリス人を否定的に見ていました。しかしマザーはイギリス人も彼女の子供だとおっしゃいましたが、それは一般的な人々にとっては非常に珍しい態度でした。インドにはカースト制度もまだありました。上位カーストの人々は、下位カーストの人々と関わったり、付き合ったり、触れることすらしませんでした。アウトカーストの人や、イスラム教徒など他の宗教の人々に対しては、なおさらのことでした。マザーはそのような人々と高いカーストの信者に対し同等にお世話をされました。ある時、マザーはおっしゃいました、イスラム教徒の労働者でプロの泥棒であるアムザドは、「彼女」の息子シャラト(シュリー・ラーマクリシュナの出家直弟子でラーマクリシュナ僧団の総団長であったスワーミー・サーラダーナンダジ)と同じように「彼女」の息子であると。

 

 

 

「彼女」はギャーナ(神の知識)、ヴィッギャーナ(絶対的な自己の知識)、そしてモクシャ(解脱)の与え手でした。クリシュナラル・マハーラージ(スワーミー・ディラナンダ)という僧侶は、ある北カルカッタの若者に、ホーリー・マザーからイニシエーションを受けるよう説得していました。スワーミーが何度少年にイニシエーションを受けるように勧めても、少年は気が進みませんでした。この少年は、シュリー・ラーマクリシュナの出家直弟子で霊的に非常に高いスワーミー・トゥリヤーナンダジ(ハリ・マハーラージ)を大変尊敬していたので、もしトゥリヤーナンダジが同じ助言をされるなら、自分はそれに従うと言いました。トゥリヤーナンダジは同じ地区のバララーム・ボシュの邸宅に滞在していたので、二人はこのことについての助言をもらうために、そこに向かいました。クリシュナラルが少年にホーリー・マザーからイニシエーションを受けるよう助言していると聞くと、トゥリヤーナンダジは非常に興奮して少年に、クリシュナラルはまさに君の最良の友ではないか、と言いました。彼は少年にサーラダー・デーヴィーはすべての人に解脱を与えることのできる正真正銘の母なる神である、と言いました。 「人は、幾度もの人生において厳しい霊的実践をした後にやっと解脱を得られる。しかし現在は、ホーリー・マザーが解脱を得ることをとても簡単にされた。それなのになぜ、何千もの人々が解脱を求めて彼女のところに来ないのだろうか?」トゥリヤーナンダジのこれらの燃えるような言葉を聞いて少年はすぐに確信し、ホーリー・マザーのところへ行ってイニシエーションを授けてくださるようにお願いしました。

 

 

 

純粋さの化身

 

 

 

私たちは女神の像が多くの宝石や黄金の装飾品で飾られているのをよく目にしますが、ホーリー・マザーの場合、彼女の最も称賛されるべき装飾品は彼女の謙虚さでした。「プラクリティム・パラマーム」はホーリー・マザーを純粋さの化身としてほめたたえています。私たちはしばしば純粋という言葉を耳にしますが、自分が純粋になるまでは、純粋についてあまり理解できません。たとえできたとしても、マザーの純粋さがどれだけのものであるかを知覚することは困難でしょう。これについて例を挙げます。スワーミージーとスワーミー・トゥリヤーナンダジは、ある時ベルルからカルカッタへとガンジス川の船で向かっていたのですが、雨季だったので川の水はかなり濁っていました。そのときスワーミージーは熱があったのに、時々ガンジス川の水を飲みました。トゥリヤーナンダジはこれに驚いて、水はきれいではないし、それに熱もあるではないですか、と指摘しました。スワーミージーは答えました、「ハリ兄弟、私は自分の中に幾分かの不純さが残っているのではないかと恐れています。だから私はホーリー・マザーをお尋ねすることが怖いのです」と。今、私たちは皆、スワーミージーの霊性がどれほど高かったかを知っていますが、彼ですらホーリー・マザーにお会いする前に、自身の純粋さについて懸念があったということが、分かります。これはホーリー・マザーの純粋さがどれほどものであったかを私たちに示しています。

 

 

 

ホーリー・マザーは常にシュリー・ラーマクリシュナを想っておられたので、ラーマクリシュナ意識のあらわれの最良の手本でもあります。「クシャマ・ルピニ」は、マザーが許しと忍耐の女神であったことを意味します。「彼女」は自分のもとに避難する人々の過ちや罪を許しました。さらに彼らの汚れを取り除き、彼らを清らかにしました。彼女は悪い性質を良い性質に変える力も持っていました。例えば、彼女はある人の家族に対する強い執着を、神への強い愛着に変えました。そうすることで否定的な性質を取り除くだけでなく、肯定的な性質に変えたのです。シュリー・ラーマクリシュナも同じ特性を持っておられました。

 

 

 

ホーリー・マザーはご自身が母なる神であるにもかかわらず、彼女の従者や「彼女」とよく会う人々に対して、「彼女」を母なる神や宇宙の母であると考えるのではなく、むしろ自分の大好きなお母さんだと考えるようにとお勧めになりました。そのことは、彼らの関係を自然でとても深いものにしました。私たちは賛歌の最後の節で表現されている心情を繰り返すことで、「彼女」に対する態度をまねることもできるし、祈ることもできます。「お母さん、あなたの子供である私たちにずっと愛情を注いでください。私たちの永らく乾いていた心に、あなたの愛を一滴でいいので垂らしてください、私たちの心を静かに平安にしてください!」

 

 

 

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日本ヴェーダーンタ協会 クリスマス・イブ礼拝2019

 

講話「主イエスについて」

 

レオナルド・アルヴァレズ

 

 

 

(アルヴァレスさんのクリスマス・イブ礼拝での講話は、当日は時間の制約のために要約された内容でした。ここではよりアルヴァレスさんによる完全な内容を掲載いたします)

 

 

 

私は今晩、主イエスについてお話ししたいと思います。まず、近東で書かれた昔の資料やコーランなどにイエス様の幼年時代がどのように描かれているか、ということから始めます。

 

             

 

特別な親子関係

 

 

 

コーランでは、天使ガブリエルが聖母マリアを訪問し、彼女がヨセフと結婚する前に、神の御心によって子供を授かるであろうと告げた、と述べています。コーランの中の物語によると、ヨセフは遠くにいたので、マリア様は隠れて砂漠で一人でイエス様を産まなければなりませんでした。彼女が赤子と共に町に戻ると、町の人々は彼女の周りに集まり、彼女が結婚せずに子供を産んだことを非難しました。その時、アラーの御霊が赤子イエスに取り付き、赤子イエスは立ち上がって言いました。「私はアラーのしもべです。『彼』は私に聖典を与え、私を預言者とされました」(聖コーラン、スラト・マリアム、1930)人々はこれを聞いて驚き、赤子イエスとマリア様の両者に最高の尊敬の念を抱きました。

 

 

 

古くからの口伝えによると、マリア様ご自身は普通の女性ではありませんでした。実際、カトリック教会では常に聖母が永遠に「シネ ラビア コンセプタ エスト(sine labia concepta est)」、つまり「罪を持たずに生まれた」と考えてきました。この話は、公式な聖書正典には入れられなかったいくつかの福音書に見受けられます。その福音書の一つはヤコブの福音です(ヤコブはイエスのいとこでタデウスとして知られています)。そこでは、どのようにマリア様の母親も聖霊によって身ごもり、後の「神の母」を産んだかが説明されています。この聖なる子供(マリア様)は、エルサレムの寺院(シナ・ゴーグ)でほとんどの時を過ごし、礼拝したり学識ある人々の議論を聞いたりしていました。

 

 

 

時がたち、マリア様も聖霊によって身ごもり、イエス様を産みました。「無原罪の懐胎」については、他のアヴァターラの生涯にも同様の例が見られます。シュリー・ラーマクリシュナの母、チャンドラマニ・デーヴィーは、カマルプクルのシヴァ・リンガムからまばゆいばかりの光が自分の中に入るのを見た後に、身ごもりました。その時ガヤに巡礼中であった夫は、ヴィシュヌ神が「私はお前の息子として生まれるであろう」とおっしゃった夢を見ました。同様に、仏陀の母マヤ王妃は夢の中で、光り輝く白い象が子宮に入るのを見た後に身ごもりました。つまり、神の化身は、特別な両親から特別な方法で生まれるのです。

 

 

 

同じ非公式の福音書は、イエス様が子供の頃にすべての人から愛され、彼の若さをはるかに上回る並外れた知性と知恵を持っていたと述べています。アルファベットを教えるために雇われた教師たちに、文字の本当の意味と、文字と神との関係を教えたのは、「彼」でした。つまり、教師たちの教師は、幼いころから活躍しておられたのです。少年イエスが彼の友人の一人を生き返らせるなど、いくつかの奇跡を行ったことも記録されています。まったくのところ、「彼」の神々しい資質ゆえに、「彼」と「彼」の仲間とは大きく異なっていたのです。シュリーマッド・バーガヴァタムにおけるシュリー・クリシュナの子供時代の描写は、この点で子供の頃のイエス様の説話と似ています。

 

 

 

教えを実践する

 

 

 

さて、イエス様の経歴が重要ならば、「彼」が言葉や行為を通して世界に与えたメッセージはさらに重要です。主イエス御自身が「彼」の教えすべてを、ユダヤ教の旧約聖書にも見られる2つの名言に要約されました。

 

 

 

「あなたは心をつくし、魂をつくし、力をつくして、あなたの神、主を愛さなければならない」 (旧約聖書=申命記 65;新約聖書=マタイ2237,マルコ1230,ルカ1027

 

「隣人を自分のように愛しなさい」 (旧約聖書=レビ記1918;新約聖書=マタイ2239,マルコ1231,ルカ1027

 

 

 

そのように言うのは簡単ですが、それを成し遂げることは難しいです。主イエスご自身がおっしゃいました。

 

 

 

「私に向かって、『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられる私の父のみこころを行なう者が入るのです」 (マタイ721) しかし、イエス様は次のようなたとえ話を通して、「彼」の言葉をどう実践するかについて、具体的な例を挙げています。

 

 

 

「そうして、王は、右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた王国を遺産として継ぎなさい。

 

なぜなら、あなたがたは、私が空腹であったとき私に食べる物を与え、私が渇いていたとき私に飲ませ、私が旅人であったとき私を歓迎し、私が裸のとき着る物を与え、私が病気のときは私を見舞い、私が牢にいたときには私を訪ねてくれたからです』」

 

             

 

「すると、その正しい人は、答えて言います、『主よ、いつ私たちはあなたが空腹なのを見て、食べる物を差し上げ、渇いておられるのを見て飲ませてあげましたか。いつ、あなたが旅をしておられるときに歓迎し、裸なのを見て着る物を差し上げましたか。また、いつ、私たちは、あなたのご病気やあなたが牢におられるのを見て、お尋ねしましたか?』」

 

 

 

「すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたことは、わたしにしたことなのです』」 (マタイ2534-40

 

 

 

神への愛を育てる方法

 

 

 

みなさんは神を愛したいですか? もし神を愛したいなら、困っている人や隣人の中に神自身を見て、彼らを愛してください。「ナラ・ナーラーヤナ」という言葉の意味は、人間(ナラ)の中に神(ナーラーヤナ)を見ること、そして、お世話を通じて「彼」を礼拝することです。シュリー・ラーマクリシュナもこのことを教え、スワーミー・ヴィヴェーカーナンダが手本となって実践なさいました。しかし私たちは、一番近くにいる人々を愛することが一番難しい、ということを知っています。なぜなら私たちは絶対に彼らから逃げることができないことからです。私たちは一番近い人々とのつながりの真っただ中で、寛容さ、慎み深さ、自己犠牲、忍耐、そして自分のエゴを抑制することを学ばなければなりません。

 

 

 

主イエスは山上の垂訓で、私たちは神に祈り供物をする前に、兄弟に対して心に恨みを抱かず、すべての人を赦し、和解するように、と強調しておられます。(マタイ523-24) なぜなら、神の生像である兄弟を、もし私たちが憎むのなら、どうして神を愛することができるでしょう? 

 

 

 

このことは私たちの人間関係の中でとても重要なことなので、肝に銘じるべきです。誰かに侮辱されたとき、報復という本能的な反応を抑えるために、私たちは祈りを続け、自分の心と感情を分析しなければなりません。もしたとえ自分を制御できなくても、後で自分の心を分析し、自分の間違いから学ぶことで、将来同じような状況になったときに、災難を防ぐことができるでしょう。

 

 

 

旧約聖書では、「隣人を愛し,敵を憎め」(マタイ543)と述べています。 同様に、「目には目を、歯には歯を」(レビ記、2419)という、いわゆる「レクス・タリオニス」(報復律)が優勢でした。しかしイエス様はこれを転じて、革命的なことをおっしゃいました。

 

 

 

「しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬も向けてやりなさい」

 

「敵を愛し、あなたを迫害する者のために祈れ」(マタイ539,44)、 「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である」(マタイ712

 

 

 

家住者と僧侶ための教え

 

 

 

しかし、誤解しないでください。スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ(スワーミージー)はカルマ・ヨーガの講義で、悪人を撃退するのは家住者の義務だ、とはっきりおっしゃいました。したがって、レクス・タリオニス(報復律)は社会秩序を維持するためには適切で必要なことです。しかしそれでも、特に僧侶のような、さらに一歩進んだ人々は、主イエスのこの教えを実践するのに最もふさわしいのです。スワーミージーはおっしゃいました。

 

 

 

「ある人は弱く、しかも怠け者であって、したくないからではなく、できないから抵抗しません。もう一人の人は、自分はしようと思えば相手に、抵抗できないほどの打撃を与えることができる、と知っているのですが、それでも打たないばかりでなく、敵を祝福します。弱さから抵抗しない人は罪を犯しているのですから、無抵抗から何の利益も得ませんが、もう一人は、抵抗を試みたら、それによって罪を得るでしょう」(カルマ・ヨーガ第2p37「人それぞれが自分の置かれた場所にあって偉大である)

 

 

 

覚えておいてください、謙虚さと平和を説いたその同じ主イエスが、エルサレムに入り、動物売りや両替人を見たときのことを。 「『彼』はなわでむちを造り、羊も牛もみな寺院から追いだし、両替人の金を散らし、その台をひっくりかえし、鳩を売る人々に『これらのものを持って、ここから出て行け。わたしの父の家を商売の家とするな!』とおっしゃった」(ヨハネ215-16

 

 

 

「彼」は状況に応じて、柔和さと強さのどちらも示されました。偉大な力と自制心を持つ者だけが、必要に応じて柔和さを実践し、同時に邪悪さに対して力強く立ち上がることができるのですから。このことは、私たちは主イエスの教えを、時と場所を踏まえ、しっかりと分析し、誠意をもって自分の能力に合わせて、応用すべきである、ということを意味します。

 

 

 

悪に対しては立ち向かったものの、イエス様は誰をも憎まず、すべてものに対して、「彼」を殺した者に対しても、幸福を望みました。「彼」は十字架につけられたときに力強く述べられました。

 

「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」(ルカ2334

 

「彼」は決して復讐や報復を説くことはありませんでしたが、人は自分の兄弟に対し「7度を70倍するまで」許すべきだ、と説かれました。(マタイ1822

 

 

 

山上の垂訓におけるイエス様の別の教えには、道徳的および霊的な行動の規範、ならびに赦しと放棄の理念が含まれています。「彼」はおっしゃいました。力強さではなく慈悲深さが地を受けつぐであろう(彼らは慈悲深くなれるほどの力強いを持っているから)。 心の清い人たちは神を見るであろう(人は神の似姿で創造されたので、自分自身の神性を見るであろうから)。 平和をつくり出す人たちは、神の子と呼ばれるであろう。

 

 

 

「彼」は警告もされます。心と目で姦淫をしないようにと。なぜなら、情欲を抱いて他者の妻を見る男性も、他者の夫を見る女性も、不貞を犯すことになるからです。そして、主イエスは、天国のために去勢すべきだと宣言します。その意味は、全身全霊で完全なる注意力をもって神に仕えるために、結婚や肉体関係をやめて独身主義を選ぶ、ということです。

 

 

 

簡単だが力強い実践

 

 

 

人がどんな立場で生きていようと、主イエスは皆に「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」と主張されます。(マタイ548) これを達成するにはどうすればよいでしょうか。上記の他にも、より簡単だが強力な実践があります。その実践は自分を高め、さらに完璧なものにすることを手助けします。

 

 

 

その一つが、真実を語ること、つまり、言ったことは守ることです。イエス様はおっしゃいました。「あなたがたの『はい』を『はい』とし、『いいえ』を『いいえ』とすべきである。それ以上に出ることは、悪から来るのである」(マタイ537)  もし何かをすると言ったなら、それが思ったよりもはるかに難しいと気づいたとしても、私たちは言葉を満たそうとしなければなりません。そしてそれは、小さな達成可能なことから始め、次第に大きなことに進むのが良いでしょう。イエス様はこれに関しておっしゃいました。「小事に忠実な人は、大事にも忠実である。そして、小事に不忠実な人は大事にも不忠実である」(ルカ1610

 

 

 

シュリー・ラーマクリシュナも、現代では真理に固執することで神を実現できる、と述べられました。もし試してみたことがある人がいれば、それがどれほど難しいことであるかおわかりでしょう。それは挑戦かもしれませんが、継続的に実践を試みる人は、自分自身の中のゆっくりとした前向きな変化、特に思考、言葉、行為の間のさらなる調和を見るでしょう。

 

             

 

もう一つの良い習慣は、朝早く起きて祈ることです。聖書の至る所で、最も偉大な行為の多くは、早起きが前提となっていす。アブラハムとモーセは夜明け前に起きて山に行き、神と直面しました。ダビデ王は夜明け前に起きて何時間も祈っていました。主イエスも早起きだったことは証言されています。「早朝、夜の明けるよほど前に、イエスは家を出て、孤独な場所に行って祈りました」(マルコ135

 

             

 

キリスト教、イスラム教、仏教、ヒンドゥー教など世界中の宗教で、日の出の数時間前は強烈な霊的エネルギーで満たされているので、瞑想と祈りを大いに助ける、と述べています。また、早起きは、体が自然界の自然なリズムに従うのを助け、それにより体の外部体系はもちろん、体自身の内部体系とも非常に調和的な状態にします。また、この日課を毎日実行するには自制心も求められるので、次第に心が鍛えられます。

 

 

 

早起き以外に重要なことは、ひそかに行う、ということです。 「しかし、あなたは祈る時、自分の部屋に入り、とびらを閉めて、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、率直に報いてくださるであろう」 (マタイ66) もしあなたが外に向けて行うと、他者からの評価を良くしようと注意を払うようになり、あなたのエゴはそれ自身を聖らかで純粋に見せようとします。しかしこれはあなたに「神」を忘れさせ、むしろ「神のような」部分であるあなたのエゴに集中させます。一方でもし祈りを秘密にしておくと、父はあなたに率直に報いてくださるのですが、これはどうしてでしょうか?なぜなら、もしあなたが謙虚で、純粋で、慎み深ければ、これらの美徳は図らずもあなたを他の人の前で輝かせるからです。

 

 

 

祈りの恩恵

 

 

 

祈りは、誘惑に抵抗するのにも役立ちます。「誘惑に陥らないように、目をさまして祈っていなさい。精神は自発的なのだが、肉体は弱いのである」(マタイ2641

 

これに関して、最近の神経心理学的研究には希望の光があります。瞑想に費やされた時間は、重要な灰白質(神経の接続性)の変化と相関することがわかったのです。

 

 

 

(1)前頭葉、意識的な計画、合理化、および自制心を司る場所。これにより人々は集中し続け、外部および自分の心の両方から来る刺激を無視することができます。

 

(2)扁桃体は、感情のコントロールと共感を司る場所で、これにより人々は感情をよりよく制御し、他人に対してより容易く共感することができます。

 

3)海馬は記憶を司ります。これにより人々は自分がやっていることに多く気づくことができます。―人の心はさまよいますが―より長い時間集中することもができます。

 

 

 

結果として、より高い自己制御、感情の規制、気づきと集中力によって、より大きな能力を持つことが可能となります。そして私たちは低い熱情や心に打ち勝ち、それらの奴隷となることを避けることができるのです。これは、すべての男性と女性が経験しなければならない奮闘であり、私たちの美徳が試される火なのです。

 

 

 

自己を完全にするもう一つの方法があるのですが、これは先に述べたことを補完するものであり、否定するものではありません。それは、キリストの模範に従うことで、神との関係に集中することです。

 

聖パウロの手紙(ローマ815)では、イエス様は神を「アバ」という名前で呼ばれました。これは「父」を意味し、「パパ」のように子供たちが可愛く父親を呼ぶ方法です。したがって、イエス様は神と父子関係を持っておられました。それは非常に親密であり、完全に「彼」を信頼し、「彼」にお任せしていました。同じようにシュリー・ラーマクリシュナは「彼」の理想神であるマザー・カーリーを子供が母親に呼びかけるように「マー」と呼び、「彼女」に完全にお任せしていました。

 

 

 

生まれながらの神性

 

 

 

一方でイエス様は、アドヴァイタ・ヴェーダンタ、つまり一元論という位置づけの関係性も教えました。その関係性では、信者は神と一つである、と感じます。冬のエルサレムの神殿で行われる献身の祝宴(ヘブライ語でハヌカと呼ばれる)の期間中、「彼」はソロモンのポルティコにおられたのですが、その時「彼」は出席者におっしゃいました、「私と父とは一つである」。(ヨハネ 1030) それを聞いて、「彼」が神を冒とくしているではないか、と抗議した人々に対し、主は答えられました、「あなたがたの律法に、『わたしは言う、あなたがたは神々である』と書いてあるではないか」と。 (ヨハネ1034、詩篇 826からの引用) それから述べられました「『彼』(神)は彼らを神と呼び、彼らから神の言葉が来た」。(ヨハネ1035) ですからイエス様は、神に近づく人たちは、「彼」の神性さの一部を持つ、とはっきり言っておられます。

 

 

 

信者が最高の祈りの形の中で神と一つになると、他の偉大なキリスト教の聖人たちも誓言されているように、男性であれ女性であれ、自分自身と神の間に違いを見ることはありません。

 

しかし、「私と私の父は一つである」と単にいうだけで、不道徳で不純な生活を送っているようでは、自分自身を欺いてきた人々と同じく、このことには到達できません。聖フランシスコや十字架の聖ヨハネのような偉大なキリスト教の素晴らしい聖者がなされたように、もし自分のエゴを完全に消し去り、神に完全に溶け込むことができるなら、その時、人は彼らとキリストが声を合わせて「私と父とは一つである」と詠唱するのにふさわしくなります。それまでは、そのことは現実というよりも想像的です。

 

 

 

それにもかかわらず、イエス様は永らく全く注意を払われることがなかったあることを、はっきりと指示しています。前に述べたように、「彼」は「父が完全であるように完璧であれ」と強調されました。「彼」は決して「あなたは罪人です、あなたは決して罪を克服することはできません!」とはおっしゃいませんでした。実際、「彼」はまったく逆のことをおっしゃいました。例えば、「もう罪を犯さないように」と、イエス様が癒した盲人(ヨハネ514)と不貞な女性(ヨハネ811)に命じました。「彼」は、彼らが確実に実現できる簡単な指示を与えられました。なぜなら、「彼」は成し遂げることが不可能と思われる指示は、お与えにならないからです。

 

 

 

また、イエス様は近しい者たちに「あなたは神である」と言うことで、人は「神の似姿」で創造され(創世記116)、生まれながらにして神性があることを、彼らに思い出させました。カトリックの聖人たちは、神の姿(イマゴ デイ)は、すべての罪にも影響されない、ただ似姿だけが一時的に失われても、自身の努力と恩寵によって取り戻すことができる、と言いました。実際、創世記に関するユダヤ人の論評(例えば、ベルリンとブレットラーによるユダヤ研究聖書The Jewish Study Bible of Berlin and Brettler)でさえ、アダムとイヴは罪のために楽園から追い出されたのではなく、むしろ世界を体験し、知識と知恵を得て、完全な意識の成人として、すべてのものと彼ら自身の神性さを認識し、再び楽園に入るためである、述べています。

 

             

 

ありがとうございました。

 

皆さま、メリークリスマス。

 

 

 

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—忘れられない物語

 

 

 

「どちらの答えも真実である」

 

 

 

霊的実践に興味のある若者が聖者のところに来て「マハーラージ、ムクティ(生と死の束縛からの解脱)を得るために、家庭と家を出てジャングルに行く必要がありますか」と尋ねた。

 

 

 

聖者は「もしそうなら、ジャナカ王は王として生き、豊かな生活を送っていたにもかかわらず、どうやって解脱を得たというのですか?」と答えた。

 

これを聞いて、探究心の強い若者は満足し安心したので去って行った。

 

 

 

 しばらくすると、もう一人の探究心の強い若者がやってきて、聖者に同じ質問をした。「解脱を得るためには、家庭生活を放棄し、森で苦行することが必要ですか?」

 

 

 

聖者は答えた「もちろんです!そうでなければ、なぜシュク・サナクのような偉大な求道者たちは、解脱を得るために森に入ったのでしょう。彼らは愚かだったのですか?」。

 

 

 

いずれのときも聖者のお供をしていた弟子は、同じ質問に対する二つの異なる答えを聞いて困惑した。二番目の若者が去ったあと、弟子は聖者に尋ねた「グルデヴ、なぜあなたは二人の若者の同じ質問に、そのように矛盾した返答をされたのですか? どちらがその質問に対する正しい答えなのでしょうか?」。

 

 

 

聖者は答えた。「息子よ、どちらの答えも真実です。私のところに最初に来た若者は、家庭生活を送りながらもムクティを得るために必要な霊的訓練を実践する力があります。しかし、もう一方の若者にとって、世俗的な生活をしながら霊的実践することは難しいでしょう。それゆえに、私からの答えとして、それぞれの若者にふさわしい例を挙げました」

 

       

 

 

 

…ヴァサント・バラジ・アタヴァレ博士

 

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―今月の思想

 

 

 

とにかく真実は、何も惜しまないという熱情を好む。

 

 

 

…アルバート・カミュ

 

 

 

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