今月のニュースレター

 

<PDF版>

PDF版(写真入り)は、過去のデータをご覧いただくか

こちらからダウンロードしてください。

*ニュースレターPDF

 

ヴェーダーンタ協会ニュースレター(日本語版)

日本ヴェーターンタ協会の最新情報

2021年 8月 第19巻 第8

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

かく語りき――聖人の言葉

 

この世で仁愛と慈悲の力を高めることを許され、それにより純粋で完璧になれることに感謝しなさい。

あなたが助ける相手に感謝しなさい。その人を神だと見なすのです。わが友を助けることで神を礼拝できるなんて、素晴らしい特典ではありませんか?

…スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ

 

神の恩寵によって起こるとてもまれな三つのこととは―人間として生まれること、解脱への願望、完全なる聖者のご加護を受けることーである。

…シュリー・シャンカラ

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

目次

・かく語りき――聖人の言葉

・お知らせ

20219月、10月の生誕日

20218月例会 クリシュナ生誕祝賀会 午後の部

スワーミー・メーダサーナンダ & スワーミー・ディッヴィヤーナターナンダ

20218月例会 クリシュナ生誕祝賀会 午後の部

講話「さまざまな場所でのシュリー・クリシュナ」

スワーミー・メーダサーナンダ

・スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ生誕記念祝賀会 来賓講演

「ネタージ・スバース・チャンドラ・ボシュとインド独立運動を支えた日本人志士たち」 パート3/3

田中健之氏 岐阜女子大学南アジア研究センター特別研究員

・忘れられない物語

・今月の思想

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

~お知らせ~

コロナウイルスの影響のため、引き続きライブストリーミングやズームなどの配信を中心に、皆様にお届けいたします。 ズームに関するお問い合わせ、お申込みは下記にメールをお送りください。

zoom.nvk@gmail.com

 

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

20219月、10月の生誕日

 

スワーミー・アドヴァイターナンダ        96日(月)

スワーミー・アベダーナンダ           930日(木)

スワーミー・アカンダーナンダ         106日 (水)

 

・日本ヴェーダーンタ協会の行事予定はホームページをご確認ください。

https://www.vedantajp.com/

 

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

20218月逗子例会 クリシュナ生誕祝賀会 午後の部

スワーミー・メーダサーナンダ & スワーミー・ディッヴィヤーナターナンダ

 

午後の部でスワーミー・メーダサーナンダジーは次のようにおっしゃった。

「シュリー・クリシュナの生誕日は2021830日(ヴィシュッダ・シッダーンタ歴に基づく)ですが、日本ヴェーダーンタ協会の月例会は毎月第3日曜日なので、生誕祝賀会を8月の第3日曜日にお祝いしています。

 

これから、バガヴァッド・ギーターの第12章をディッヴィヤーナターナンダジーがサンスクリット語で詠唱します。皆さんも一緒に唱えてください」

 

バガヴァッド・ギーター第12章「バクティ・ヨーガ」

Arjuna Uvaacha:

1. Yevam Sathatha Yukthaa Ye' Bhakthaah-stvaam Paryupaasate/

Ye' Chaapya-ksharam Avyaktham Teshaam Ke' Yoga Vittamaaha//

アルジュナ ウヴァーチャ:

エーヴァン サタタ・ユクター イェー バクタース トヴァーン パーリユパーサテー

イェー チャーピ アクシャラム アッヴャクタン テーシャーン ケー ヨーガ・ヴィッタマーハ

 

Sri Bhagavaan Uvaacha:

2. Mayyaa Veshya Mano Ye' Maam Nithya Yukthaa Upaasathe/

Shraddha-yaa Parayopethaaha The' Me' Yuktha Thamaa-mathaaha//

シュリー バガヴァーン ウヴァーチャ:

マイ アーヴェーッシヤ マノー イェー マーン ニッテャ・ユクター ウパーサテー

シュラッダヤー パラヨーペータース テーメー ユクタ・タマー マターハ

 

3. Ye' Tvakshram Anirdeshyam Avyaktham Paryu-paasathe Sarvathra-gam Achintyam Cha Kootastham Achalam Dhruvam 

イェー トゥ アクシャラム アニルデーッシヤム アッヴャクタン パリユパーサテー/

サルヴァットラ・ガム アチンテャン チャ クータ・スタム アチャラン ドルヴァム//

 

4. Samniyam-yendriya-graamam Sarvathra Sama Buddhayaha Tey' Prapnu-vanthi Maame'va Sarva Bhootha-hite' Rathaha

サンニヤンミェーンドリヤ・グラーマン サルヴァットラ サマ・ブッダヤハ/

テー プラープヌーヴァンティ マーム エーヴァ サルヴァ・ブータ・ヒテー ラターハ//

 

5. Kleshodhi-katharah-stheshaam Avyakthaa-saktha Chethasaam Avyakthaa Hi Gathir Duhkham Deha Vadbhira-vaapyate

クレーショーディカタラス テーシャーン アッヴャクターサクタ・チェータサーム/

アッヴャクター ヒ ガティル ドゥフカン デーハヴァドビル アーヴャッピャテー//

 

6. Yethu Sarvaani Karmaani Mayi Sanyasya Math-paraa-ha Ananye-naiva Yogena Maam Dhyaa-yantha Upaasathe'

イェ トゥ サルヴァーニ カルマーニ マイ サンニャッシヤ マト・パラーハ/

アナンニエーナイヴァ ヨーゲーナ マーン デャーヤンタ ウパーサテー//

 

7. Theshaa-maham Samud-dharthaa Mruthyu Samsaara Saagaraath Bhavaami Na Chiraath Paartha Mayya-veshitha Chetasaam

テーシャーム アハン サムッダルター ムリットュ・サンサーラ・サーガラート/

バヴァーミー ナチラート パールタ マイ アーヴェーシタ・チェータサーム//

 

8. Mayyeva Mana Aadhat-sva Mayi Buddhim Niveshaya Nivasi-shyasi Mayyeva Atha Urdhvam Na Samsha-yaha

マイ エーヴァ マナ アーダツヴァ マイ ブッディン ニヴェーシャヤ/  

ニヴァシッシヤシ マイ エーヴァ アタ ウールドヴァン ナ サンシャヤハ//

 

9. Atha Chittam Samaa-dhaathum Na Shaknoshi Mayi Sthiram Abhyaasa Yogena Tato Maam-Icchaaptum Dhananjaya

アタ チッタン サマーダートゥン ナ シャクノーシ マイ スティラム/

アッビャーサ・ヨーゲーナ タトー マーン イッチャープトゥン ダンナジャヤ//

 

10. Abhyaasepya-samarthosi Math-karma Paramo Bhava Madartha-mapi Karmaani Kurvan Siddhim Avaap-syasi

アッビャーセーピ アサマルトーシ マト・カルマ・パラモー バヴァ/

マド・アルタム アピ カルマーニ クルヴァン シッディム アヴァープシヤシ//

 

11. Athaita-dapya Shaktosi Karthum Madyoga-maashritaha Sarva-karma Phala Thyaagam Thathah Kuru Yathaathma-vaan

アタイタド アピ アシャクトーシ カルトゥン マド・ヨーガム アーシュリタハ/

サルヴァ・カルマ・ファラ・テャーガン タタハ クル ヤタートマヴァーン//

 

12. Shreyo Hi Gnaanam Abhyaa-saath Gnaanaad Dhyaanam Vishishyathe Dhyaanaath Karma-phala-thyaagaha Thyaagaat Shaanti-ranantaram

シュレーヨー ヒ ジュニャーナム アッビャーサート ジュニャーナード デャーナン ヴィシッシヤテー/

デャーナート カルマ・ファラ・テャーガス テャーガーッ チャンテール アナンタラム//

 

13. Adveshtaa Sarva Bhoothaa-naam Maitrah Karuna Yeva Cha Nirmamo Nirahan-kaaraha Sama Duhkha Sukhah Kshami

アドヴェーシュター サルヴァ・ブーターナーン マイットラハ カルナ エーヴァ チャ/

ニルマモー ニラハンカーラハ サマ・ドゥフカ・スカハ クシャミー//

 

14. Santushtah Sathatham Yogi Yathaa-thmaa Dhrida Nischayaha Mayyar-pitah Mano Buddhir Yo Madbhaktah Sa Me Priyaha

サントゥシュタハ サタターン ヨーギー ヤタートマー ドリダ・ニシュチャヤハ/

マイ アルピタ・マノー・ブッディル ヨーマド・バクタハ サ メー プリヤハ//

 

15. Yasmaanno Dvijate Loko Lokaanno Dvijate Cha Yaha Harshaa-marshah Bhayo-dvegair Muktho Yah Sa Cha Me Priyaha

ヤスマーン ノーッドヴィジャテー ローコー ローカン ノードヴィジャテー チャ ヤハ/

ハルシャーマルシャ・バヨーッドヴェーガイル ムクトー ヤハ サ チャ メー プリヤハ//

 

16. Anapekshah Shuchir Daksha Udaaseeno Gata Vyathaha Sarvaa-rambha Pari Thyaagi Yo Madbhakthah Sa Me Priyaha

アナペークシャハ シュチル ダクシャ ウダーシーノー ガタ・ヴャクタハ/

サルヴァーランバ・パリッテャーギー ヨー マド・バクタハ サ メー プリヤハ//

          

17. Yo Na Hrishyati Na Dveshti Na Shochati Na Kaankshati Shubha-ashubha Pari-thyaagi Bhakti-maan Yah Sa Me' Priyaha

ヨー ナ フリッシヤティ ナ ドヴェーシュティ ナ ショーチャティ ナ カーンクシャティ/

シュバーシュバ・パリッテャーギー バクティマーン ヤハ サ メー プリヤハ//

 

18. Samah Shatrau Cha Mitre Cha Thathaa Maanaapa-maana-yoho Sheetho-shna Sukha-duhkheshu Samah Sanga Vivarjitaha

サマハ シャットラウ チャ ミットレー チャ タター マーナーパマーナヨーホ/

シートーシュナ・スカ・ドゥフケーシュ サマハ サンガ・ヴィヴァルジタハ//

 

19. Thulya Nindaa Sthuthir Mounee Santhushto Yena Kena Chith Aniketah Sthirah Mathir Bhakthi-maan Me Priyo Naraha

トゥッリヤ・ニンダー・ストゥティル マウニー サントゥシュトー イェーナ ケーチナト/

アニケータハ スティラ・マティル バクティマーン メー プリヨー ナラハ//

 

20. Ye Tu Dharmyaam Amritam-idam Yathoktam Paryupaasathey Shraddha Daana Mat Parama Bhaktaastetiva Mey Priyaaha

イェー トゥ ダルミャームリタム イダン ヤトークタン パリユパーサテー/

シュラッダダーナー マト・パラマー バクタース テーティーヴァ メー プリヤーハ//

 

Iti Srimad Bhagavad Geetaasu Upanishadsu

Brahma Vidyaayaam Yoga Shastrey

Sri Krishaarjuna Samvaadey

Bhakti Yogo Naama Dvaadshodhyaayaha

Hari Om Tat Sat!

 

   イティ シュリーマッド・バガヴァッド・ギータースー ウパニシャドスー

   ブラフマ ヴィッデヤーヤーン ヨーガ シャストレイ

   シュリー クリシュナアルジュナ サムヴァーデイ

バクティ・ヨーゴー ナーマ ドゥヴァードショーッデャーヤハ

 

 次にディッヴィヤーナターナンダジーがサンスクリット語の『シュリー・クリシュナ・ヴァンダナ』を歌われた。それからマハーラージは信者に、シュリー・クリシュナの生涯と神遊び(リーラー)の聖典である「シュリーマッド・バーガヴァタム」の第10部第4「クリシュナ、ブラフマーに神通力を現わされる」を英語と日本語で読むようにとおっしゃった。

 

シュリーマッド・バーガヴァタム」第10部 第4

「クリシュナ、ブラフマーに神通力を現される」

 やがてクリシュナは立派な少年へと成長し、よくシュリー・ヴリンダーヴァナの近くの牧場に行き、同じ年頃の牛飼いの少年たちとともに遊んだり、家畜の世話をしたりしていました。牛たちが草を食べている間、少年たちは仲良く遊んでいたものでした。あるとき少年たちは、いつものように遊んだのちに、持参したお弁当を坐って食べようとしました。しかし驚いたことに、突然、家畜たちが皆いなくなっていたのでした。少年たちは皆、クリシュナはたいへん困るだろうなと思いました。しかし、クリシュナは彼らに「心配しないで食事をすませていいよ。その間に、ぼくが家畜を見つけてくるから」と言いました。

 

さて、クリシュナの神力を試すために家畜を盗んだ創造者ブラフマーは、クリシュナが探しに出るやいなや、そのすきに、牛飼いの少年たちをも連れ去ってしまいました。そして彼らを、家畜たちと一緒に山の洞くつに閉じ込め、神力によって無意識にさせて、そこに眠らせておきました。クリシュナは、どこを探しても見つけることができず、失望して戻ってくると、今度は、少年たちもまたいなくなっていました。クリシュナは、これは誰かの悪ふざけに違いないと悟り、事の真相を知りたいと思いました。そしてすぐにも、瞑想と神聖なる洞察によって、すべては、自分の神力を試そうとするブラフマーのいたずらであると知りました。これに対してクリシュナは心のなかで笑い、これはブラフマーに教訓を与える良い機会であると考えました。

 

そこでクリシュナは、少年たちと家畜をブラフマーの保護に任せて、御自身のうちから、同じ姿と性格をもった少年と家畜たちを同じ数だけ創造し、それら彼の心から生まれた少年や家畜たちとともに家に戻りました。親たちは何の変化も感じず、母親はいつものように息子にキスをし、家畜たちはそれぞれの場所に戻されました。

 

さてクリシュナは、以前と同じように毎日牧場へ出かけ、これら心の生んだ少年や家畜たちとともに戯れていました。だれも、なんの変化にも気づきませんでした。ただ、母親たちは、以前よりも大きな愛を息子に感じるようになりました。かつては、息子たちよりも、クリシュナをもっと愛していました。しかし、いまは皆を同じように愛し、そして、ただ子供たちを見るだけで無上の喜びをおぼえるのでした。それはじつに、至福に満ちた「自己」、つまり愛なる神の現在を悟った者のみに、訪れる喜びでした。まことに、真理は語っています。「だれでも、子供たちのゆえに子供たちを愛しはしない。彼らに内在する『自己』のゆえに愛するのである」と。母親たちは、クリシュナが自分たちの息子になったことは知りませんでした。しかし、ハートの奥では、それぞれの子供たちのなかに、主の神性を感じていたのでした。じつに、クリシュナはすべての魂たちの魂、すべての「自己」の「自己」であられ、すべての魂は水遠にクリシュナと結びついているのです。いいえ、実際のところ、クリシュナ御自身が、これらすべての生き物たちとなられたのです。まさしく、クリシュナは全宇宙となられました!

 

多くの姿を取られるというクリシュナのこのお遊びは、およそ一年間続きました。そして、ある日、ブラフマーがクリシュナのもとを訪れました。彼は、そこにすべての家畜と少年たちを見て仰天しました。なぜなら彼らは、自分の幻影の力によって、洞くつで眠らされているはずだったからです。ブラフマーは、どうしたことかと訝しがりました。すると突然、眼前に新しいヴィジョンが開け、見ると、少年も家畜たちも、皆クリシュナだったのです。じつに、すべての生物と無生物のうちにクリシュナが存在していました。ブラフマーは、クリシュナを光のなかの光、全宇宙の顕示者として観、そしてまた、すべてはクリシュナであることを理解しました。彼は外界の意識を失い、最も深い瞑想のなかに浸り、自分がクリシュナと一つであることを悟りました。ブラフマーは、今知ったのでした。第二なき唯一者、すべての者に内在する聖なる「自己」、全宇宙の主であられるクリシュナが、人なるクリシュナとして、人間の姿で聖なるリーラー(遊戯)をされているということを。

 

次に、マハーラージはハーモニウムの前に座っておっしゃった。「今からシュリー・クリシュナのキールタンをします。このキールタンの歌詞の中ではシュリー・クリシュナのたくさんの名前が出てきます。例えば、黒いお顔という意味の名前もありますし、信者のハートを惹きつける、という意味の名前もあります。シュリー・クリシュナは実に素晴らしく笛を吹いて惹きつけるのです。それは、永遠に神が信者を呼んでいることの象徴です。そしてゴーヴィンダ、ゴパーラという名前が出てきます。ゴーヴィンダとは、宇宙の主という意味です。ゴパーラには二つの意味があります。ひとつは、牛を世話する者、牛飼いの少年です。ゴパーラの「ゴ」は牛という意味です。もう一つは、宇宙を支える者、という意味です。また別の名前、ハリとは、ジーヴァの罪とカルマを取り除く者、という意味ですし、マドゥスーダナとは、悪魔マドゥを殺した者、という意味です。ムクンダ、ムラリ、ケーシャヴァ、ヤーダヴァ、ナーラーヤナや、他にももっと名前があります。この歌詞では、シュリー・クリシュナのたくさんの名前を唱える前に『ジャヤ』という言葉を言います。それは『神に勝利あれ』という意味です」

 

ゴーヴィンダ ジャヤ ジャヤ ゴパーラジャヤ ジャヤ

ラーダー ラマナ ハリ ゴーヴィンダ ジャヤ ジャヤ

ムクンダ ジャヤ ジャヤ ムラリ ジャヤ ジャヤ

マドゥスーダナ ムラリ ジャヤ ジャヤ

ケーシャヴァ ジャヤ ジャヤ ヨーダヴァ ジャヤ ジャヤ

ナーラーヤナ ハリ シュリー・クリシュナ ジャヤ ジャヤ

 

各節を三回ずつ歌われ、参加者はその都度繰り返し歌った。それを計三回繰り返したのだが、二回目は早く、三回目は少しゆっくりと、歌った。参加者の熱意と共に、マハーラージはハーモニウムでキールタンを演奏しながらリードされた。また、シャンティさんがキーボードを担当した。マハーラージはその後、ハレ・クリシュナの歌詞のキールタンをリードされた。

 

ハレ クリシュナ ハレ クリシュナ

クリシュナ クリシュナ ハレ ハレ

ハレ ラーマ ハレ ラーマ

ラーマ ラーマ ハレ ハレ

 

マハーラージは演壇に戻られ、参加者に祭壇の幼いシュリー・クリシュナ(ゴパーラ)の写真にあるクジャクの羽を見るように言われた、「当時、ヴリンダーヴァンにはクジャクがいました。だからシュリー・クリシュナは王冠にヴリンダーヴァンのクジャクの羽をつけたのです」。そしてマハーラージはきれいなヴリンダーヴァンのクジャクの羽の束を参加者に渡し、よく見るようにおっしゃった。「これは私といっしょにヴリンダーヴァンを訪れた信者からのお土産です。私はこうして皆さんと特別なことをシェアできることを嬉しく思います」

 

 そしてマハーラージの講話が始まった。(下記参照) 講話のあとにディッヴィヤーナターナンダジーが賛歌「バジャ ゴーヴィンダ」が歌われ、午後の部は終了した。

 

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

20218月逗子例会

シュリー・クリシュナ生誕祝賀会 午後の部

講話 「さまざまな場所でのシュリー・クリシュナ」

スワーミー・メーダサーナンダ

 

宗教的にインドは、多くの霊的指導者と数名の神の化身が生まれた(あらわれた)という点で非常にユニークです。最も有名なのは、シュリー・ラーマ、シュリー・クリシュナ、ブッダ・デーヴァのお三方です。「神の化身」のサンスクリット語は「アヴァターラ」で、「地上に降臨した神」、「人間の形をした神聖な特別なあらわれ」を意味します。神聖とは「聖なる特性」を意味します。聖なる特性とは、放棄、真実、純粋さ、思いやり、普遍的な愛、神への愛などです。 これらの神の特性が最大に表れている人をアヴァターラ、つまり神の化身と呼びます。インドでお生まれになった方だけでなく、他の場所のお生まれでも同じです。例えばイスラエルで生誕されたナザレのイエスなど、特別な神の特性をもった人をアヴァターラと言います。

 

宗教的信念は成長し続ける

 

すべてのアヴァターラの生涯を客観的に比較してみると、神の化身の中で最も波乱に満ちた人生はシュリー・クリシュナの生涯であると結論づけるべきでしょう。シュリー・クリシュナの生涯は、深遠、ドラマチックかつ多次元的です。シュリー・クリシュナは、インドの宗教生活だけでなく、社会的、文化的生活のあらゆる面に深く影響を与えました。

 

神への信仰がなかったり、神を信じず、唯物論的哲学を信じる人は多いです。超自然的な力はあるかもしれないが、それを知ることはできないとする不可知論者も多くいます。興味深いことに、このような人々や快楽主義の誘惑にもかかわらず、宗教は衰退せず、それどころか拡大しています。宗教は世界中で広がっているのです。シュリー・クリシュナは遅くとも3500年前に生誕なさいましたが、今ではとてもグローバルな存在です。シュリー・クリシュナはインドのへんぴな村の出身ですが、この3500年間、忘れられたことはなく、唯物論、無神論、快楽主義の真只中でますます普遍的でグローバルに広がりました。それは驚くべき事実です。

 

そのような化身や預言者と、力づくで群衆の喝采と崇拝をもぎとった偉大な英雄たちとを比べてみてください。アレクサンダーはどこにいますか? ソロモン王はどこです? カール大帝、ナポレオン、ヒトラーはどこですか? 彼らは今、歴史の1ページにすぎませんが、神の化身は生き続け、何百万人以上の人々にインスピレーションを与え続けています。

 

非常に危険な誕生

 

シュリー・クリシュナは125年間生きたと言われています。彼は牢獄(ダンジョン)で貴族の地位のデーヴァキーとヴァスデーヴァの間に生まれました。赤子クリシュナは、ゴクラのヤムナー川の対岸に住む牛飼いの王ナンダとヤショーダーの間に生まれた女の赤ちゃんと取り替えられて物語は進みます。ナンダはヴァスデーヴァの友人でした。デーヴァキーとヴァスデーヴァは投獄されていました。なぜなら、デーヴァキーの兄カンサは残忍で邪悪な暴君で、父親のマトゥラ王ウグラセナを退陣させたのですが、自らの妹であるデーヴァキーとヴァスデーヴァに生まれる8番目の男の子がカンサを殺す、と言う神の声を聞いたので、夫婦を投獄したのです。後に、8番目の子供であるシュリー・クリシュナがゴクラで育てられていると知ると、カンサはその子供を殺すために多くの悪魔を送りました。悪魔たちは皆失敗し、神の神通力の助けを用いた神の幼子によって殺されました。

 

ヴリンダーヴァンでのエピソード

幼子シュリー・クリシュナ(ゴパーラ)は非常にやんちゃでいたずらで、ヤショーダーと近所の女性に多くのいたずらをして楽しみました。ナンダや隣人たちの仕事は酪農でした。ゴパーラはバターや乳製品を盗むのが大好きで、それらが入っている土製の壺を壊すこともありました。ゴパーラは盗ったものを自分で食べるだけでなく、多くの友人やサルとまで分け合いました。近所の女性がクリシュナの行動についてヤショーダーに不平を言うと、ヤショーダーは「それならどうしてご自分でお叱りにならなかったの?」と女性たちに尋ねました。女性たちは「だってクリシュナ坊やを叱ろうとすると、坊やが何をしでかしたのか忘れるくらいの甘い笑顔で微笑むのですもの」と答えました。女性たちは怒ったり迷惑しているように見せかけましたが、実際には我が子以上に神の子クリシュナを愛していたので、クリシュナのいたずらを喜んで受け入れていました。

 

ある日、何らかの理由で幼いクリシュナが土を食べているのを見た友達はそれを伝えるためにヤショーダーのもとに駆けつけました。ヤショーダーはクリシュナに「美味しいものがたくさんあるのにどうして土を食べているの」と言って怒りました。怒られたクリシュナが「ボク、食べてないよ」と言ったので、ヤショーダーはクリシュナに「口を開けて見せなさい」と命じました。クリシュナが口を開くと、ヤショーダーは自分を含む宇宙全体が口の中に飲み込まれているのを見ました。

 

シュリー・クリシュナは純粋な愛を楽しむ

 

ヴリンダーヴァンのエピソードは、クリシュナの生活の神の側面と人間の側面という両面を描いた物語でいっぱいです。覚えておくべき大事なことを言います。超自然的な力を目の当たりにしたとき、その人に対する私たちの態度はどうなるでしょうか。ある種の畏敬の念や尊敬の気持ちをもちますか? ヤショーダー、ナンダ、友達や近所の村人はクリシュナの超自然的な力の数々の出来事を目撃しました。それなのになぜ彼らはシュリー・クリシュナの超自然的で神聖な側面を心に留めておくことができなかったのでしょうか? もしもヤショーダーやナンダ、友人や隣人がクリシュナの超自然的な力を見てクリシュナを神と考えたなら、彼らはクリシュナのことを我が子、友、隣人として愛することはできなかったはずです。そうすればクリシュナはヴリンダーヴァンの人々の彼への純粋な愛を楽しむことができなかった。それが答えです。

 

クリシュナご自身は、ゴクラのゴーパー(牛飼いの男性)やゴーピー(牛飼いの女性)たちの純粋な愛を味わいたかったのです。だから、彼らはある瞬間にはクリシュナの神の力を目撃し、次の瞬間にはクリシュナの計り知れない力でクリシュナの真の姿を忘れさせられました。これはバーガヴァタムに描かれているクリシュナの生涯の非常に興味深い一面です。

 

このことは、神に対する私たちの愛と、子供時代のクリシュナに対する周りの人々の愛を比較することで、より深く理解することができます。私たちの神への愛には、尊敬や畏敬の念、距離感があり、何らかを期待しています。しかし、クリシュナに対する周りの人々の愛には、そのような尊敬や畏敬の念もなければ期待もせず、距離もありません。あるのは、混じりけのない純粋な愛だけです。サンスクリット語では「アビャビチャリーニ・バクティ」または「プレマ・バクティ」と言います。純粋な愛には、尊敬も畏敬の念も隔たりも期待もありません、ただ、愛のために愛するのです。私たちは、両親の子供への愛、夫婦の互いへの愛など、そこらじゅうに多くの「愛」を見ます。しかし、「愛のための愛」をたったひとつでも目にしたことがありますか?

 

本当にこのシュリー・クリシュナに対するゴーパー、ゴーピーたちの愛の性質、愛のための愛、混じりけのない純粋な愛、つまりプレマ・バクティは、きわめてまれな例なのです。「アミ・ムクティ・ディテ・カトール・ナイ、バクティ・ディテ・カトール・ホイ」という歌があります。 「主はおっしゃる『私は誰かが解脱を求めて祈るなら与えるが、純粋な信仰(愛)を求められても与えるのをためらう』」というのがその歌詞の意味です。つまり、純粋な愛とはそれほど稀有なことであり、最も敬虔な信者の中でも、このタイプの愛はまれであるということです。インドの聖典でそれほどの純粋な愛の記述がみられるのは、ヴリンダーヴァンでのクリシュナに対するゴーピーとゴーパーたちの純粋な愛だけです。それゆえに創造神ブラフマーは言いました。「クリシュナへの純粋な愛を持つゴーピーたちの塵に触れるために、私はヴリンダーヴァンの草の葉として生まれたい」

 

また、ラーサリラと呼ばれるゴーピーたちとクリシュナの踊りがあります。このイベントはしばしば誤解されたり間違った解釈がされています。ゴーピーたちは非常に純粋で身体意識がまったくなかったので、宇宙の主と踊ることで神聖な喜びを楽しむ幸運に恵まれました。クリシュナ、すなわち至高者は、アーナンダ(喜び)つまり絶対の至福を味わいたくて、主ご自身からゴーピーを創り出し、彼女たちと踊ったり遊んだりしたのです。これがラーサリラのより深い意味です。

 

クリシュナ、カンサをやっつける

 

青年となったクリシュナと兄のバララーマはマトゥラに行き、そこで臣民を恐怖に陥れた邪悪な王カンサを予言通りに殺しました。クリシュナはその後、両親のデーヴァキーとヴァスデーヴァを牢獄から解放しました。また、邪悪な息子カンサに退位させられていた元王ウグラセナが即位しました。それからクリシュナは大事な訓練と教育を受けるために、サンディパニという聖典の師のもとに行きました。邪悪な王カンサには二人の妻がいましたが、今は未亡人となりました。そのうち一人の未亡人の兄弟ジャラーサンダは、クリシュナがカンサを殺したことを知り、マトゥラを強力な軍隊で襲撃しました。17、18回ジャラーサンダはマトゥラを強力に襲撃しましたが、毎回クリシュナとバララーマに撃退されました。

 

クリシュナ、ドワルカ王国建国

          

クリシュナはインド西部に新しい王国を作りたいと思い、神通力を使ってドワラカに王国を作りました。そこはジャラーサンダの度重なる攻撃から遠く離れているので、その影響を受けない島でした。

クリシュナはすべての民とともにドワラカに移動し、何年も統治しました。その領土のほとんどは現在水没していますが、宮殿だけがまだ残っています。ジャラーサンダは後に、5人のパンダヴァ兄弟のひとりであるビーマによってレスリングの死闘で殺されました。

 

クルクシェートラの戦い

 

有名なクルクシェートラ戦争は、パンダヴァ兄弟とカウラヴァ兄弟のいとこ同士の家族間の戦いでした。ハスティナプルの盲目の王ドリタラ-シュトラの長男、つまりカウラヴァ兄弟の長男ドゥルヨーダナはクル王国の王でしたが、カンサ同様、暴力で王国を支配していました。パンダヴァ兄弟はハスティナプルにあるその王国を治める同等の権利を持っていたにもかかわらず、何度交渉してもドゥルヨーダナはパンダヴァの正当な主張を拒否しました。最後にドゥルヨーダナは、王国の所有権は二つの家族間の戦争で決定する、と宣言しました。

 

両当事者はシュリー・クリシュナの助けを求めました。というのは、クリシュナご自身が当時の最高の戦士であったことと、ナーラーヤニ・セナと呼ばれるご自身の強力な軍隊を持っていたからです。ちなみに、クリシュナはパンダヴァ兄弟の叔母の息子でした。それでもクリシュナは両者に平等に二つの選択肢を与えました。クリシュナの軍隊を使用する、または、クリシュナご自身を味方につける、という選択肢です。もしクリシュナを選んでも、クリシュナは戦わない助言者です。一方で軍隊を選んだ場合、軍隊は戦います。ドゥリョーダナはクリシュナの大きくて強力な軍隊を選び、パンダヴァ兄弟の代表アルジュナは戦いの時に御者になってもらうためにシュリー・クリシュナを選びました。戦争は数日間続き、多くの死者がでましたが、パンダヴァ兄弟の勝利で終わりました。

 

この戦争の直前に、アルジュナは戦場を見渡し、弓術の師や親戚や友人と戦って殺すことはできないと言いました。その時、シュリー・クリシュナがアルジュナに人生のアドバイスを与えたのですが、それがバガヴァッド・ギーターの内容です。バガヴァッド・ギーターはクルクシェートラ戦争がまさしく始まろうとしているときが舞台となっており、節の中にシュリー・クリシュナの永遠の教えが満ちています。

 

クリシュナの理想的なすがた

だから、シュリー・クリシュナの生涯にまつわる場所のリストにクルクシェートラを足しましょう。まとめると、彼の誕生はマトゥラで、ゴクラへ逃れ、ヴリンダーヴァンへ移り、カンサを殺して両親を解放するためにマトゥラに戻り、ドワラカ王国を作って治め、そしてハスティナプルに行き、クルクシェートラでの大戦をしました。これらの場所のうち二か所がシュリー・クリシュナの生涯の中で最も有名となりました。それはヴリンダーヴァンのクリシュナとクルクシェートラのクリシュナです。

 

ここで質問です。理想として従うべきなのはどちらのクリシュナでしょうか? ヴリンダーヴァンのクリシュナでしょうか? それともクルクシェートラのクリシュナでしょうか? 覚えておいてください、バーガヴァタムではヴリンダーヴァンのとても詳しい描写を読むことができます。一方、バガヴァッド・ギーターでは、クリシュナの哲学と教えを非常に詳しく知ることができます。つまり、ギーターでシュリー・クリシュナのひとつの理想的側面を描き、バーガヴァタムではもうひとつの理想的側面をあらわしているのです。ヴリンダーヴァンのクリシュナの話では、神と神の信者であるゴーパーとゴーピーとの純粋な愛の理想が語られ、クルクシェートラのクリシュナからは、無執着で義務をする、つまりカルマ・ヨーガの実践が大事である、とうメッセージを受け取ります。バーガヴァタムのヴリンダーヴァンに私たちはさまざまな形の神と神の信者の互いの愛の悦びを見ます。ですが、ギーターでは義務をせよ、と述べられています。アルジュナは自分の義務をしたくないと言ったので、シュリー・クリシュナはアルジュナに「弱々しくなってはいけない! 結果に執着することなく自分の義務を果たしなさい! それと同時に常に主を思い出しなさい」と言いました。

 

[マハーラージはその後、参加者にどちらの理想を選択するか尋ね、さらにその選択の理由を尋ねられた]

 

ヴリンダーヴァンの理想はほぼ実現できない

          

はっきりさせておきたい点は、ヴリンダーヴァンでの神への純粋な愛という理想は、ごくごくまれなことだ、ということです。多くの人がそれを望むかもしれませんが、それに恵まれるのはごく少数です。「解脱を与えてもいいが、純粋な愛を与えるのはいやだ」と主がおっしゃった歌の歌詞を思い出してください。なぜ神に対する純粋な愛を与えたくないかというと、神への純粋な愛を持つ人は、神をつかんで離しません。だから神はその愛に縛られます。しかし神は縛られたくないのです。神は、シンプルな心のゴーパーやゴーピーたちに縛られました、彼らの無限の愛、交ざり物のない純粋な神への愛に縛られたのです。 アルジュナにではなく。このことが、神が純粋な愛を与えたくない理由です。

 

実際は、自分のエゴ意識を完全に取り除き、身体と心が清らかとなり、神だけが唯一の愛の対象となり、自分のすべての存在を神に委ねたときに初めて、私たちは信者のクリシュナへの愛とクリシュナの彼らに対する愛を理解することができます。しかしそれでも、とくに若いミルクメイドたちと主の聖なる遊びついて全く間違って理解する可能性があります。 私たちの今の身体と心の状態では、ヴリンダーヴァンのクリシュナを手本にすることは不可能です。      

 

つまり、ヴリンダーヴァンの愛の理想は、その資質のない私たちには到達できないのです。しかし、私たちは皆、バガヴァッド・ギーターの教えを実践し、クルクシェートラのシュリー・クリシュナを私たちの理想とし、霊性の生活を豊かにすることはできます。これは到達することができます! これは実行ができます! だからこそスワーミー・ヴィヴェーカーナンダ(スワーミージー)は次のようにおっしゃいました。「私たちは今、ヴリンダーヴァンのクリシュナのことを詳しく語るよりも、むしろクルクシェートラのシュリー・クリシュナを理想として、集中したほうがいい」

 

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

来賓講演

「ネタージ・スバース・チャンドラ・ボシュとインド独立運動を支えた日本人志士たち」 パート3/3

田中健之(たなかたけゆき)

歴史作家、岐阜女子大学南アジア研究センター特別研究員、

ロシア科学アカデミー、東洋学研究所、客員研究員

 

六月十四日、ネタージと東條首相は、第二回目の会見を行いました。二人は、相互に政見を交換し、大東亜建設の日本の理念、インド復興に関する意見を語り合いました。

これを受けて東條首相は、同月十六日、折から開会中の第八十二臨時議会における衆議院本会議で、同会議を見学中のネタージを見上げながら、

「インドが今なお、英国の苛酷なる弾圧下に在り、独立完成のために帝国のあらゆる手段を尽くすべき牢固なる決意を示し、インドの自由と繁栄とが齎される日の遠からざるを確信し、大東亜戦争の完遂なくして大東亜の解放なく、大東亜の建設なくして大東亜民族の福祉なし」

 同年六月十九日、ネタージは記者会見を行い、声明を発表しました。

「日本こそは第十九世紀にアジアを襲った侵略の潮流を食い止めんとした、アジアに於ける最初の強国であった。一九〇五年に於けるロシアに対する日本の勝利はアジアの出発点であった。そしてインド民衆によって熱狂的に迎えられたのであった。アジアの復興に就いては過去に於いて必要であった如く、現在に於いても強力な日本が必要である」

 とネタージは述べ、

「インドと日本とは二千年に遡る古代からの文化の律によって強く結ばれていたのであるが、近代に至って英国のインド支配の結果、その文化的交渉は打ち切られた。しかしインドが独立した暁、この日印関係が再び復活し、かつ強固されるであろうことは疑問の余地がない」

 と唱えました。

 ところで、ネタージは、東條英機首相との会見に先立って、中村屋のボシュと会見を果していました。

 一九四三(昭和十八)年六月一日、中村屋のボシュは、山本敏大佐と共に帝国ホテル二一七号室でネタージと会見しました。

 部屋に入った瞬間、二人のボシュは見つめ合って固く握手しました。それは次第に抱擁へと変わり、しばし言葉もないまま時間は過ぎましたが、やがて二人はベンガル語で話を始めました。

 二人の会見に際し、中村屋のボシュは、あくまでもネタージを革命運動の大立者として尊敬し、ネタージもまた中村屋のボシュを長老または先輩として慇懃に遇し、相互敬愛の情を尽くしました。

 この時、中村屋のボシュはネタージに対して、インド独立連盟の代表を委譲する意向を伝えました。

これを受けたネタージは、深く中村屋のボシュの既往の功績を讃え、欣然としてその命下に身分相応の努力を致すべき態度を示しました。

そして二人のボシュは、揃って頭山満を宅に訪問しました。中村屋のボシュが最も敬愛し、師事する日本を代表する国士との会見は、ネタージにとって、訪日の印象を最も深くするものでした。

ネタージは、頭山満の日本における威風については、かねてから知り抜いていました。インドのイギリス官憲は、この大アジア主義者である頭山満の写真を新聞に掲載しただけで、その新聞を発禁処分にする程、怖れていました。

頭山が日本政府の命令を無視して、インドの反英独立派の無名な青年、ラシュ・ビハリ・ボシュとマヘンドラ・グプタを援けるために、異常な決意を以て進退したことも、ネタージは知っていました。

こうした頭山満のラシュ・ビハリ・ボシュをはじめとする在来インド人志士たちに対する好誼に対する謝意を顕すために、ネタージは頭山満邸を訪問しました。

「インド人のインドになった時、是非ともインドをお訪ね下さい」

とネタージは頭山に述べ、健康を祈念しました。そして、従来の交誼を感謝し、今後の援助を請いました。

 二人を迎えた頭山満は深く慶び、インド独立の前途を祝して、次のように言いました。

「君たち二人共、姓は同じくボシュぢゃ。自分は今日から君たちを、ただ一人の人物として交わりたい」

 この一言が、ネタージを深く感動させました。

 ネタージは、頭山満とその系列の浪人が、中村屋のボシュ派の熱烈な支持者だと聞いていました。二十余年来、家族のように愛護してきた中村屋のボシュとネタージを同一人物として、頭山満は交わるのだと言う。その表情は誠意と温情に満ちていました。ネタージは、最も至難だと感じていた、派閥セクトの対立は、頭山満の一言で解消し得るとの自信を得たのです。

 こうしてインド独立革命におけるスバース・チャンドラ・ボシュのネタージ(総統)としての地位は確立されたのです。

 ネタージは、中村屋のボシュを同郷ベンガルの先覚として親愛し、また無私にして没我的な君子人的風格に、深い敬意を常に表していました。

東京での日程を終えたネタージは、六月二十七日、シンガポールに姿を現した。

「私が諸君に、今、与え得るものは、飢餓と欠乏、進軍また進軍の命令であり、それは光栄ある死のみである。我々の中の誰が生きて祖国の自由を見るか、死して後に祖国の自由を得るか、それは問題ではない。ただデリーへ、デリーへと進軍あるのみ」

 ネタージは、インド国民軍の将兵とインド人大衆を前に熱弁を振るいました、

この時のネタージの言葉、「デリーへ(チェロ・デリー)」は、インド独立戦争の合言葉となったのです。

一九四三(昭和十八)年十月二十一日、自由インド仮政府がシンガポールに成立しました。

同年十一月五日、東京で、満洲帝国、中華民国南京政府、ビルマ、タイ、フィリピンの代表が集まって「大東亜会議」が開催されました。インドは大東亜共栄圏には含まれていなかったので、ネタージはオブザーバーとして、同会議に参加しました。

会議中、ビルマのバーモー総理が、「インドの解放なくアジアの解放なし」と喝破した、力強き演説を行い、「自由獲得のためインド闘争に、同情と全全幅的支持を与うる」旨の決議が採択されました。

 満腔の賛同の中、ネタージの感激は著しく、満場の拍手の中で、ネタージは次のように唱えました。

「アジア人のアジア、いわば全アジア共栄圏の建設は、終局において、世界同盟、寿府に於いて見たような盗賊の聯盟ではなく、真の国家社会の道を拓くものであることを些かも疑わない。併しながら、これら新世界、新アジア、自由にして繁栄なる大東亜の夢想は、懸って今次大戦に我々が勝利を勝ち得るや否やに在ることを忘れてはならない。インドに関する限り、我々の運命は日本およびその盟邦の今次大戦における運命と不可分の関係に在る」

 大東亜会議において、東條英機首相は、「現在日本軍が占領しているインド領アンダマン・ニコバル諸島を近く自由インド政府に帰属させる用意がある」旨の言明を受け、同年十二月二十九日、ネタージはアンダマン島を訪れました。

この時、ネタージは、海軍第十二特別根拠地隊の石川茂司令官と会談し、自由インド仮政府の代表団をアンダマン島に派遣駐在させることと、代表団の次席を海軍民政部の総務課長に就任させることを申し入れました。

日本軍側は、前者には合意しましたが、後者は軍事機密を扱うことを理由に反対し、結局民政部に新たに「文教課」を設け、自由インド仮政府の人士が文教課長とその他各課の分担勤務に就くことで合意したのです。

翌一九四四(昭和十九)年二月十二日、合意に基づいて自由インド仮政府のA・Dロガナダン軍医少尉以下名五がアンダマン島に来島し、駐在所を開設しました。

同年九月八日にロガナダン代表、翌一九四五(昭和十六)年六月末、他の駐在員に帰還命令が出され、同年八月二日に全員が英軍の攻撃の間隙を縫ってシンガポールへ帰還しました。

ネタージが、アンダマン・ニコバル諸島の自由インド仮政府への帰属を求めたのは、統治機構と統治対象となる領土、領民を得ることで、自由インド仮政府に国家としての合法性を持たせるためでした。

自由インド仮政府によるアンダマン・ニコバル諸島の統治への関与は、日本軍の軍政に関与する形で実現をみたものの、一年余で解消されることとなりました。日本の敗戦に至るまで、軍政を廃止し正式に統治を移管するには至りませんでした。

 ところで、一九四四(昭和十九)年一月七日、ネタージが率いるインド国民軍は、インドの軍事的な解放を目指して、ビルマのラングーンに本拠地を移動させました。

ネタージは同地においてビルマ方面軍司令官河辺正三中将と出会いました。

河辺中将は歓迎の宴席で示されたネタージのインド独立にかける意志と、その後の態度を見て、ネタージに惚れ込み、「立派な男だ。日本人にもあれほどの男はおらん」と極めて高く評価しました。

河辺中将は、日本軍によるインド侵攻のための「インパール作戦」の指揮を執ることになりました。

「チャンドラ・ボシュの壮図を見殺しにできぬ苦慮が、正純な戦略的判断を混濁させたのである」

と、後に河辺中将は回顧しています。

この頃、アジアや太平洋戦線の各地において、イギリス軍やアメリカ軍、そしてオーストラリア軍をはじめとする連合国軍に対して、日本軍は劣勢となっており、「インパール作戦」は、日本軍にとっては、不要不急な作戦でしかありませんでした。

この作戦実行の背景には、ネタージに対する日本軍側の「情」があったとしています。 

ネタージは、インド国民軍をインパール作戦に参加させるように度々日本軍側に要求し、日本軍を困惑させる一面もありました。

わずか一国で、イギリス軍とそれを支援するアメリカ軍と戦わざるを得ない日本軍の物量不足もあり、同年六月には、すでに作戦の失敗は明らかでしたが、河辺中将は「この作戦には、日印両国の運命がかかっている。一兵一馬でも注ぎ込んで、牟田口(牟田口廉也第十五軍司令官)を押してやろう。そして、チャンドラ・ボシュと心中するのだ」と考えていました。

インパール侵攻の失敗により、インド国民軍はその後、主にビルマで連合国軍と戦うこととなります。

インド国民軍の将兵は元々、英印軍の敗残捕虜を編成したものに過ぎませんでしたが、猛烈なネタージの厳しい訓練によって、日々強化され、ビルマ戦線では、士気烈々たる精鋭な軍隊となりました。精神力を誇りとしていた日本軍が、インド国民軍の精神的戦闘力を見て、感歎禁じ難いと評するほどの軍隊となりました。

それは彼らに対して独立の大義を教え、数万人の心理を燃え立たせた、ネタージの革命的な影響力による玉物でした。

ネタージは、ただの情熱的な革命家というのみならず、稀に見る有能な政治家でした。

ネタージは、日本政府と日本軍部に対して、自由インドを独立対等な権利を有する戦友として、はっきり認めさせました。

殊にネタージは、放送とか文書などの言論では、決して日本軍による干渉は認めませんでした。これは部下までが、徹底していたのです。

ネタージは、戦友である日本軍に対して、次々に要求を提出して、インド国民軍の武力強化に努めました。

更にネタージは、日印両軍の間における対等な儀礼をはじめ、軍の物資供与、装備、軍指揮権、占領地における行政権、裁判権などについても日印の対等権を確保しました。

インド国民軍の将兵は、誰一人として日本軍への卑屈な、従属軍などと考える者はなく、独立自由インドの光栄ある戦士としての誇りを持っていました。

ネタージは彼らに対して、民族の誇りと共に、決死敢闘の義務感を徹底させたのです。

ビルマ戦線で、インド国民軍は日本軍と共にインド国境のアッサム州に至るまで進軍しましたが、物資の補給が続かずに、撤退を余儀なくされました。

情況が極めて不利な中、インド国民軍の将兵たちは、死闘決闘を欲して、烈々たる戦意を示して、英雄的な抗戦をした事は、多くの証言として歴史の中に刻まれています。

痛恨の極みでありますが、大日本帝国はポツダム宣言を受諾して終戦となります。

インド独立史上、最高の戦闘的革命家であるネタージのその後については、カリスマ的な様々な伝説を生み、今日に至っております。

一方、インド国民軍将兵は、英印軍によって「反逆罪」として裁判にかけられます。

 彼らは、「インドを支配するイギリスからは我々は反逆者かも知れないが、独立を熱望するインド人からすると我々は解放者なのだ」

 と法廷で堂々と述べました。そして

「ネタージと共に戦ったことを、生涯の誇りとする」と言明しました。

 獄外にいるインド民衆たちは、裁判に抵抗してゼネストを展開、それは市街戦にまで発展しました。裁判によって広がった反英の激しい炎は、二人のボシュの故郷であるベンガル地方ではことに激しく燃えました。

 戦時中には、ネタージを「ファシストの協力者」だとして論難していた、インド国民会議議長のネールでさえ、「チャンドラ・ボシュそその一党」の独立的戦闘を認めて、進んで裁判の弁護に立たざるを得ませんでした。

 インド全土に広がった、激しい暴動に対してイギリスは、インド独立を認め笊を得ませんでした。

 かくしてインドは、一九四七(昭和二十二)年八月十五日、インドは遂にイギリスによる桎梏の植民地支配体制を打破して独立しました。

八月十五日と言えば、奇しくも日本がアジア解放の大義に殉じた日でした。

日本の敗戦によって、連合国が日本に対して私刑として裁判の形式を模倣した復讐劇、極東国際軍事裁判(東京裁判)において、二人のボシュと同郷のベンガル人のラダ・ビノード・パール判事は、唯一、冷徹な国際法理を主張して、全員無罪を言い渡しました。

「この裁判は、国際法に違反するのみか、

法治社会の鉄則である法の不遡及まで犯し、罪刑法定主義を踏みにじった復讐裁判に過ぎない、だから全員無罪である」との堂々たる法理論をパール判事は説きました。

 昭和三十二(一九五七)年、日本を訪問したネール首相は、米・英が敵視して、極東国際軍事裁判でA級戦犯として巣鴨プリズンに投獄した、大川周明と黒龍會の葛生能久に対して謝意と敬意を表しています。ネール首相は、二人を日本人の中の代表的なインドの友として敬意を表したのです。

 内田良平、頭山満の二人に仕えた、黒龍會の鈴木一郎は、常日頃から「死ぬ時には、インドの友人たちに囲まれて死にたい」語っていました。

 『チャンドラ・ボシュと日本』のアメリカ人著者である、ジョイス・C・レブラは、同著の中で次のように記しています。

「ごく最近(註―筆者一九七〇年代はじめ)になってのアメリカ学者は、日本の戦争目的を再検討することに着手し、これまでの定説を修正し始めた。再検討を志すアメリカの学者たちの意見によれば、太平洋戦争(筆者註―大東亜戦争)は、西欧資本主義流の帝国主義の単なる日本版ではなく、それにもましてアジアにおける西欧諸国の進出によって脅威を受けた日本が、その存亡にかかわる権益を防衛するための戦いであったのである。さらに、アジアを包括しようとする大日本帝国の野望として従来見なされていた大東亜共栄圏の理念もまた再検討されて然るべきである」

 極東国際軍事裁判で、東條英機首相の頭を叩いて発狂したとされた大川周明は、この時、ドイツ語で「インド人よ来たれ」と叫んで退廷させられました。

 その大川周明は、『新亜細亜小論』の中で、次のように述べています。

「吾等はいま『印度の剣』ともいうべきスバース・チャンドラ・ボシュ氏を日本に迎えたことを欣ぶ。ボシュ氏は『亜細亜の剣』たる日本を、印度国民運動指導者の誰よりも善く理解するであろう。ボシュ氏は、日本の誠意と情熱を正しくインドに伝え、此の千載一遇の大機に際して、印度は如何にして戦わねばならぬのかを知らしめ、その蹶起奮戦を促すであろう。ガンディ首相は印度をして『戦わざるアルジュナ』たらしめる。希くはボシュ氏が印度をして『戦うアルジュナ』たらしめんことを」

 そしてネタージは叫びます。

「私はインド国民軍の進軍に当って、『共に沈み、共に泳がん』との標語を以て、日本軍と肩を並べて闘う誓いをしたのであるが、現実に今、我らは沈んではいない。正義は常に勝つ、そして天の摂理に従って、われわれは共に泳ぎ、共に戦い、かつ共に勝つであろう」

 

 

※田中健之様から頂戴した原稿をそのまま掲載させていただきました。(固有名詞はニュースレターの表記に準じて変更しました。)

 

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

—忘れられない物語

 

「川での三日間」

グル・ナーナクは日の出前に川に行き、冷たい水で沐浴し、神への賛歌を歌うことを日課としていた。ある日、ナーナクが姿を消し、見当たらなくなってしまった。彼の衣服は川岸に置いたままなのに、ナーナクの気配が全然ないのだ。皆、ナーナクが見つかることを期待して、「ナーナク、ナーナク」と呼びながらあちらこちらを探した。皆は、ナーナクは溺れたのではないかと心配した。

 

しかし、ナーナクは皆の手の届かないところにいた。神ご自身の存在のうちにあり、神聖な超越状態だったのだ。神はナーナクに一杯の甘露を与えておっしゃった。「私はあなたと共にいます。行って私の名前を復誦しなさい。そして皆にも私の名前を唱えるように言いなさい」

 

 ナーナクは大いに神への愛に満たされたすえに、ジャプジの冒頭を歌った:

 

エク オング カール、サット ナーム、カルター プラク、ニルバオ、ニルヴァイル、

アカール、モーラト、アジョーネー、サイバング、グルプラサード、ジャパ。

アアド サチ、ジュガード サチ、ハイベー サチ、ナーナク ホセー ベー サチ! ※1

 

神は無限のやさしさでナーナクを見ておっしゃった。「私の名前は神、そしてあなたは聖グルです」

 

三日後、ナーナクは川から出てきた。村人たちは息が止まるくらいびっくりした。もう二度とナーナクにはお目にかかれない、と思っていたからだ。長いこと、彼は黙っていたが、やっと口を開いてこう言った。「ヒンドゥ教もなければ、イスラム教もない」

 

その日から彼は次のようなメッセージを皆に広めた、神をどう拝もうと、みんな同じ、神は分け隔てなく平等に愛してくださる。ナーナクはこうも説いた、神への愛を示す最高の方法とは、神の御名を称賛することである。

 

 

※ジャプジ:シーク教の教祖グル・ナーナクが最初に作られた賛歌。

神聖で美しい音色のジャプジはYouTubeにも多数アップされているようです。(Japjiで検索)

 

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

今月の思想

見渡したいなら、絵の真ん中にいるのをやめなければならない。

…シュリー・オーロビンド

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

発行:日本ヴェーダーンタ協会

249-0001 神奈川県逗子市久木4-18-1

Tel046-873-0428  Fax046-873-0592

 

ウェブサイト:http//www.vedanta.jp  emailinfo@vedanta.jp