今月のニュースレター

 

<PDF版>

PDF版(写真入り)は、過去のデータをご覧いただくか

こちらからダウンロードしてください。

*ニュースレターPDF

ヴェーダーンタ協会

日本ヴェーターンタ協会の最新情報

2017年9月 第15巻 第9号

 

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

 

かく語りき――聖人の言葉

 

「我々自身のハートの中に、生きとし生けるものの中に神の姿が見えないのなら、神を探しにどこに行くことができるのか」

 

(スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ)

 

「神を見ているかのごとく神を崇めよ。汝に神が見えなくとも、神は汝を見ておられる」

 

(預言者ムハンマド)

 

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

 

今月の目次

 

・かく語りき――聖人の言葉

・2017年10月の予定

・2017年8月の逗子例会 シュリー・クリシュナ生誕祝賀会

「『バーガヴァタム』とシュカデーヴァの助言」

スワーミー・メーダサーナンダによる講話

・三鷹サットサンガ

・浜松サットサンガ

・今治サットサンガ

・忘れられない物語

・今月の思想

 

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

 

2017年10月の予定

 

・10月の生誕日

 

Vishuddha Siddhanta暦では、2017年10月に生誕日はありません。



・10月の協会の行事

 

10月 毎日曜日 14:00〜15:30

ハタ・ヨーガ・クラス

場所:逗子本部別館

お問合せ:羽成淳(はなり すなお) 080-6702-2308

体験レッスンもできます。

予定は変更されることもありますので、日程は直接お問合せください。

専用ウェブサイトをご覧ください。 http://zushi-hatayoga.jimdo.com/

 

10月15日(日) 10:30〜16:30

逗子例会

場所:逗子本部本館

午前:講話 テーマ「母なる神様」

午後:聖句詠唱・聖典の輪読・質疑応答

 

10月19日(木)  19:00〜21:30

カーリー・プージャー

場所:逗子本部別館

19:00 礼拝・アーラティ・花の礼拝

20:00 火の儀式(護摩)

21:00 夕食(プラサード)

お問い合わせ:協会046-873-0428

どなたでも参加できます。皆様のお越しを心からお待ちしております。

 

10月21日(土) 10:00〜12:00

東京・インド大使館例会  

講義:『バガヴァッド・ギーター』(無料)

場所:インド大使館 03-3262-2391

お申込み・お問合せ  http://www.gita-embassy.com/お問合せ/

※入館・受講するには、大使館発行のIDカードが必要です。詳細は協会ウェブサイトのページ左側にあるメニューから「インド大使館ID」をご覧ください。

※免許証など写真つきの身分証を必ずお持ちください。

 

10月22日(日)

パドマ・ヨーガ スワーミー・メーダサーナンダ師特別研修会

詳細は、協会ウェブサイトのページ左側にあるメニューから「活動」-「招待による各地の講話」をご覧ください。

 

10月24日(火) 14:00~16:00(予定)

火曜勉強会(賛歌と『ラーマクリシュナの福音』の勉強会)

場所:逗子本部本館

お申込み・お問合せ benkyo.nvk@gmail.com

2日前までに、上記の宛先にメールで予約が必要です。

事前テキストを協会のウェブサイトからダウンロードしてお持ちください。

 

10月27日(金)

ナラ・ナーラーヤナ 現地でのお食事配布など。

お問い合わせ:佐藤 090-6544-9304

 

10月28日(土) 13:30~17:00

関西地区講話

場所:大阪研修センター

内容:「バガヴァッド・ギーターとウパニシャドを学ぶ」

詳細は大阪勉強会ウェブサイトをご覧ください。 http://vedanta.main.jp/index.html

 

10月29日(日)

サットサンガin掛川(日本ヨーガ禅道友会)

詳細は後日、協会のウェブサイトにてお知らせします。

 

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

 

2017年8月の逗子例会

シュリー・クリシュナ生誕祝賀会

 

「『バーガヴァタム』とシュカデーヴァの助言」

スワーミー・メーダサーナンダによる講話

 

インドの「神の人」の中に、特に有名な人が2人います。ここでまず「神の人とはどのような人か」を考えてみましょう。神の人と言うだけでは、誤解が生じたり、何を言わんとしているのか十分に理解されなかったりする可能性があります。インドでは「アヴァターラ」という言葉がよく知られていますが、これを英語に訳すと「神の化身(incarnation of God)」となります。しかし、神の化身という表現は、特にヒンドゥ教以外の信仰を持つ人にとっては、その意味を正確に理解できないかもしれません。

 

「神の人」の意味

 

神様は遍在で、ひとりひとりの中にもいらっしゃるという点は、私も皆さんも同じ考えですね。すなわち、すべての人は神様の現れであると言えます。しかし、中には神様が最も大きく現れている人がいて、この様な人を神の人と呼びます。太陽の光の反射を例に挙げて考えてみましょう。水は日光を反射し、砂も反射しますが、最もよく反射するものは鏡でしょう。同じ様に、私たち皆がある程度神様を「反射」している、すなわち現しているのですが、神の人は神様のご性質を最もはっきりと現しています。

 

神様のご性質の現れとは、純粋さ、憐れみの心、愛、調和などのサットワ的な性質すべてを指します。神の人はこのような性質を最も大きく、完全に表しています。ヒンドゥ教の伝統では、神の人の中でシュリー・ラーマチャンドラ(ラーマ)とシュリー・クリシュナの2人が最も有名です。この2人を比較することもありますが、ひとつの見方として、信者にとっては自分が選んだ理想、自分が礼拝する神様が最高で最も偉大でだと言えます。

 

より中立的な見地から言えば、ラーマチャンドラは神の人ですが神様の完全な現れではないとの意見があります。一方、シュリー・クリシュナは神の完全な現れであると言われています。『バーガヴァタム』には「Krsnas tu Bhagavan Svayam」すなわち「クリシュナは神ご自身であられる」という記述があります。もちろん、ラーマチャンドラの信者は異論を唱えるでしょう(笑い)が、クリシュナの中に神様が最も大きく現れていらっしゃるというのが中立的な意見です。

 

神様の最大の現れ

 

なぜシュリー・クリシュナが神様の最大の現れと言われてきたかというと、クリシュナがあらゆる点で完璧であったからです。さらに、どのようなタイプの信者でもクリシュナを受け入れることができます。キリスト教では、神様を父として礼拝するのが一般的でしょう。神様を恋人として礼拝する伝統もありますが、一般的ではありません。また、聖母マリアのように神様を母として礼拝することもあり、これはヒンドゥ教で母神を礼拝するのと似ています。

 

一方ヒンドゥ教では、神様との関係をなぞらえる人間関係は他にもあります。神様を自分の兄弟と見なす、子供と見なす、主人、父、母、恋人と見なすなどです。そしてもちろん、神様を友人とみなして礼拝し愛することもできます。クリシュナの場合は、こうした人間関係のすべてが可能です。例えば、牧童らはクリシュナを友人と見なしました。クリシュナの兄バララーマは理想的な兄弟の象徴ですが、クリシュナを礼拝しました。また、クリシュナを父親や子供、主人として礼拝することもできます。

 

さらにクリシュナは、カルマ・ヨーガ、ギャーナ・ヨーガ、バクティ・ヨーガ、ラージャ・ヨーガ(瞑想のヨーガ)という様々な霊的実践の道を調和させています。クリシュナの教えが書かれている『バガヴァッド・ギーター』にはこれらのヨーガすべてに関する記述があります。

 

今日、私たちはラーマクリシュナ・ミッションで「宗教の調和」についてよく語ります。宗教の調和は、シュリー・ラーマクリシュナが自ら実践され、スワーミー・ヴィヴェーカーナンダが説かれたものです。しかし、そのはるか昔に、宗教の調和の種はシュリー・クリシュナによって撒かれました。私たちが今日お祝いしているのはそのシュリー・クリシュナのお誕生日なのです。

 

『バガヴァッド・ギーター』と『バーガヴァタム』

 

シュリー・クリシュナの名前に関係のある、最も有名な聖典が二つあります。『バガヴァッド・ギーター』と『バーガヴァタム』ですが、この二つはよく「シュリーマッド・バガヴァッド・ギーター」、「シュリーマッド・バーガヴァタム」と「シュリー(sri)」「マット(mat < mad)」を付けて呼ばれることがあります。なぜだろうと思う方もいると思います。サンスクリットで、シュリーは「美しい」「素晴らしい」という意味で、マットは「存在する」という意味です。ですから、シュリーマッド・バガヴァッド・ギーター、シュリーマッド・バーガヴァタムというのは「最も美しく素晴らしい神の本」という意味です。この二つの本はどちらもシュリー・クリシュナのことが書かれています。

 

『ギーター』は『マハーバーラタ』の一部ですが、『バーガヴァタム』はそれだけで一つの本でプラーナ(Purana、神話の書物)のカテゴリに分類されます。ヒンドゥの聖典には非常に多くのカテゴリがあり、初めのカテゴリがヴェーダとウパニシャドでこれらには最高の真理が述べられています。次がダルシャナ、すなわち六派哲学で、この一つのヴェーダーンタはヴェーダの中のウパニシャドと呼ばれる部分に基づいています。次が叙事詩『マハーバーラタ』と『ラーマーヤナ』です。そしてその次がプラーナです。プラーナは18あり、「Pura opi nava」すなわち「古いが新しい」というのがプラーナの定義です。

 

プラーナ

 

プラーナの土台となっているのはウパニシャドの真理です。ウパニシャドの真理は難解かつ精妙で、人間の生活にとって非常に大切な哲学ですが、理解しにくいことから敬遠されがちです。しかし、霊的真理は人生に欠かすことができないものなので、聖典の作者は、苦い薬を甘い膜でくるんだ糖衣錠のように聖典を作る方法を考え出しました。薬が苦いと、必要だと分かっていても患者は飲みたくないものです。そこで製薬会社は賢明にも、特に子供のために苦い薬に甘い味を付けた糖衣錠を作り出しました。

 

プラーナは飲まねばならない苦い薬のように、人を惹きつける美しい物語の形を取ってウパニシャドの真理を私たちに教えます。霊的な生き方だけでなく、人生、物質主義的な生き方、王朝の系列や変遷、政治などについての世俗的な事柄も数多く含まれています。王の義務や家住者の義務、さらには僧侶の義務も書いてあります。このようなことが様々な物語の中にちりばめられているのですが、要約すれば、人生は永遠でなく、神様だけが永遠だということです。永遠でないものに執着せず、永遠である神様に思いを向け深く愛しなさい。それが、これらの物語の要旨です。

 

聖仙ヴィヤーサ

 

18のプラーナすべてが偉大な聖者ヴィヤーサによって編纂されました。ですから、ヴェーダーンタの創始者もヴィヤーサです。『マハーバーラタ』もヴィヤーサによるものです。ただし、これらのヴィヤーサがすべて同一人物を指しているのか、それとも聖者を一般にヴィヤーサと呼んでいたのか、異なる意見があります。

 

『バーガヴァタム』ですが、ある説によると、ヴィヤーサは哲学の本をたくさん書いたもののハートの中に虚しさを感じていて完全な満足感を得られていませんでした。何かが欠けていたのです。そこでヴィヤーサは聖者ナーラダにどうすれば良いか助言を求めました。ナーラダは、シュリー・クリシュナの誕生と聖なる遊びについて叙事詩を書けばきっと満たされるだろうと勧めました。ヴィヤーサはシュリー・クリシュナの誕生と聖なる遊びについて瞑想をすることから始め、『シュリーマッド・バーガヴァタム』の編纂に取り掛かりました。『ギーター』と『バーガヴァタム』を比べると、『ギーター』は哲学であり頭で考えるものですが、『バーガヴァタム』は神様に関するものであり純粋でハートに響きます。もちろん『バーガヴァタム』にも哲学はありますが、ドゥルヴァ、プラフラーダ、バーラタ王、シュリー・クリシュナの美しい物語の中に難解な哲学の存在は感じられません。

 

『バーガヴァタム』の物語をとても美しく解説する学者がたくさんおり、その講釈の会には何百人もの人が1週間、1ヶ月と参加します。皆、クリシュナの物語が大好きなのです。いたずら好きの幼いクリシュナがいろいろと悪さをする話はどことなく可愛らしく、100回聞いてもまた聞きたいと思ってしまいます。

 

ヴィヤーサがシュカデーヴァに『バーガヴァタム』を教える

 

『バーガヴァタム』はなぜこれ程人気があるのかと思う人もいるかもしれません。先ほど『バーガヴァタム』はヴィヤーサが書いたと言いましたが、ヴィヤーサは息子のシュカデーヴァ(シュカ)に『バーガヴァタム』を伝えました。シュカデーヴァは、最も偉大な覚者の一人として僧侶の間で非常に尊敬されています。神の偉大な信者であると同時に偉大なギャーニで、純粋で完璧でした。もちろん肉体はありましたが1秒たりとも肉体を意識することはなく、常に純粋意識の考えに浸っていました。シュカデーヴァは母親のお腹の中に16年いたと言われていますが、生物学的に可能なのか聞かないでください。(笑い)この世はマーヤーで満ちているので、シュカデーヴァは生まれてきたくなかったのです。やっと生まれてきたときにはかなり大人になっていて、すぐに森に入りたがりました。

 

シュカデーヴァの父のヴィヤーサも偉大な賢者でギャーニでしたが、それでもこの特別な息子に愛着を感じ、息子が森へ向かって家を出ていく後ろ姿を見て「戻ってきておくれ」と呼びかけました。放棄と叡智の神として僧侶が礼拝するシヴァ神は、「自分は真理を知っている。シュカも真理を知っているのを私は知っている。しかし、ヴィヤーサが知っているかどうかは分からない」とおっしゃいました。

 

肉体意識のないシュカデーヴァはいつも裸で歩き回っていました。肉体意識のある私たちと違って、シュカデーヴァにとって服は意味がありませんでした。話すこともしませんでした。話す必要のあることが何もなかったからです。彼を縛るものは一切なく、完全に自由で至福に満ちた存在でした。また、恋の神キューピッドのようにハンサムでした。シュカデーヴァが裸で通りを歩くと、子供たちからは頭がおかしいのだと思われましたが、若い女性らは彼の美しさに魅せられて後を追わずにいられませんでした。ヴィヤーサのような偉大なギャーニだけがシュカデーヴァの深い霊性を理解できました。シュカデーヴァとはこのような人でした。ヴィヤーサは完成した『バーガヴァタム』をシュカデーヴァに教えました。その後『バーガヴァタム』は、シュカデーヴァからパリークシット王に伝えられたのですが、なぜそうなったのかをお話ししましょう。

 

パリークシット王の呪い

 

『マハーバーラタ』では、クルクシェートラの戦いで正義のパーンダヴァ家が邪悪なカウラヴァ家を倒してクル国の王になりましたね。パーンダヴァの5兄弟ユディシュティラ、ビーマ、アルジュナ、ナクラ、サハデーヴァの中でユディシュティラが王の座に就き、残りの4人はそれぞれの役割に就いて兄王を支えました。長年の統治の後、ユディシュティラは王位を放棄してヴァーナプラスタ(vanaprastha、森に隠遁する)の実践に入りました。ヴァーナプラスタは、ヒンドゥ教徒の在家生活における4つのアーシュラム(ashrama、段階)のうちの第三段階で、独身の段階、結婚し家住者となる段階を経た、次の段階です。解脱するために、隠遁して瞑想の生活を送ります。この考えに基づいて、5兄弟は妻のドラウパディを連れてヒマラヤに行きます。これに纏わる話もあるのですが、そこは割愛します。

 

さて、ヒマラヤへと旅立つ前に、5兄弟はアルジュナの孫のパリークシットを王位に就けました。パリークシットはまだ母親のお腹にいるときに、ある理由から殺されそうになったのですが、シュリー・クリシュナに救われました。偉大な戦士に育ち、やがて高徳の王となって国をよく治め、誰もが満足していました。聖者らも認める人物でした。ある日、パリークシット王は森に狩りに行きました。大変喉が渇いて水を探していると、庵を見つけ、きっと水があるだろうと思って近づいていきました。すると、1人の聖者が木の下に座って瞑想に沈潜しているのが見えました。この聖者はシャーミーカといい、家住者でしたが立派な聖者でした。

 

喉が渇いていた王は、シャーミーカに水をもらえないかと乞いました。返事はありません。王は再び乞いましたが、やはり返事はありません。3度目も返事がありませんでした。聖者に無視されていると思って我慢できなくなった王は、激怒しました。普段は非常に自制心が強く、思慮深かったのですが、王はちょうどヘビの死骸を見つけ、怒りにまかせてそのヘビをシャーミーカの首に花輪のように掛けるとその場を立ち去りました。シャーミーカにはシュリンギーという幼い息子がいました。シュリンギーは友だちと遊んでいたのですが、他の友だちがパリークシット王のしたことを見ていてシュリンギーに知らせました。偉大な聖者の息子であり普通の子供ではなかったシュリンギーは、これを聞くと大変怒り、父親の元に駆けつけました。ヘビの死骸が父親の首に掛かっているのを見た途端、シュリンギーは、7日以内にヘビに噛まれて死ぬという呪いを王に掛けました。

 

しばらくしてシャーミーカは通常の意識を取り戻しました。息子が王に呪いを掛けたことを知るとひどく驚きました。「息子よ、お前は何ということをしたのだ。パリークシット王がどれ程素晴らしい王か知らないのか」シャーミーカは大変落胆しましたが、呪いは成就されねばならず為す術はありません。せめて王に、呪いが掛けられたこととこれから彼の身に起きることを知らせようと、伝言が送られました。

 

パリークシット王の後悔

 

パリークシット王は大変後悔して王国に戻りました。あまりに喉が渇いて苛立っていたため、シャーミーカは自分に無礼を働いたのではなく深く瞑想していて気付かなかっただけなのだというのが分からなかった自分をひどく悔やんでいました。シャーミーカのような立派な人に、ヘビの死骸を首に掛けるなどという無礼で侮辱的なことをするなんて。「自分は罰せられるべき人間だ」と思いました。

 

そこに、シャーミーカからの伝言が届きました。王は思いました。「よかった、この呪いは当然の報いだ。残された時間は7日間しかない。死ぬ準備をしよう」王は退位して国への思いや国との関わりをすべて捨て、死を迎えたときに解脱できるように残りの日々を過ごそうと決めました。そして霊的な実践のためにガンガーのほとりに行きました。

 

やがて、パリークシット王に掛けられた呪いのことを聞きつけて、ガンガーの岸辺にいる王のもとに多くの聖者がやって来ました。ひとつには、母親のお腹の中にいるときに主に命を救われた王がどうなるのか、この目で見るためでした。「シュリー・クリシュナがもう一度王の命をお救いになるかもしれない」こう思った聖者らは王の周りに集まりました。これを見た王は、「これまで一度も会いに来られなかった聖者の皆さんがそばに来てくれて、呪いを掛けられて本当に運がよかった」と言いました。「皆さんにひとつ質問があります。霊的な目的を成就して解脱するには、これからの7日間をどのように生きればよいでしょうか」

 

浮かれて過ごすか、覚悟し備えるか

 

ここで、氷山にぶつかって沈んだタイタニック号のことを考えてみましょう。当時、この船は世界最大の豪華客船とうたわれ、処女航海の乗船券は非常に高価でした。一等船室の乗客には著名な富豪が名を連ね、三等の乗船券でも安くはありませんでした。航海が始まり、乗客らが飲んで踊って歌ってはしゃいでいる時に、氷山にぶつかったことを船長が皆に告げました。浸水がどんどん進んで、その勢いがさらに強まると、船長はタイタニック号が沈没の危機に瀕していることを悟りました。救命ボートの数が不足していたので、女性と子供から乗り移るように指示しました。すぐに、ほとんどの乗客や乗員は助からないだろうということが明白になりました。死がさし迫り、恐怖にうろたえた人もいましたが、そのまま最後まで浮かれ騒ぎを続けた人もいたようです。もちろん確かなことは分かりませんが、死に直面して瞑想した人がいたという話を聞いた覚えはありません。(笑い)

 

パリークシット王の取った行動は大部分の人が取るであろう行為のまったく逆でした。王国を手放して自身の心を真理の一点に定めようとしたのです。さらに、集まった聖者らの知恵を借りてこれを成し遂げようとしました。聖者らは、王を7日間で解脱させる助言をしようと必死に考えました。ギャーナ・ヨーガ、バクティ・ヨーガ、ラージャ・ヨーガ、カルマ・ヨーガのどれもが長きにわたる実践と霊的成長が必要なのに、たった7日で何が得られるというのでしょう。王は期待して聖者らを見渡しましたが、様々な考えが乱れ飛ぶだけでした。その時、シュカデーヴァが現れました。その場は静まりかえり、聖者らは彼の偉大さに畏怖し立ちすくみました。王は、死期が迫った時にこのような聖者のダルシャン(聖者と会うこと)を受けることができるとは何と幸運なのだろうと思い、大変喜びました。王はシュカデーヴァに同じ質問をしました。「聖なる御方よ、死が迫りつつある今、死ぬ前に真理に到達するにはどうすればよいのでしょうか」

 

シュカデーヴァの助言

 

シュカデーヴァはパリークシット王に3つの助言を与えました。「シュラヴァナ(Shravana)、キールタナ(Kirtana)、マナナ(Manana)、すなわち神について聞き、神の御名をくり返し唱え、神の聖なる遊びの物語を常に思うことです」そしてこの3つをわずかな時間で成し遂げるために、シュカデーヴァは「父のヴィヤーサデーヴァから聞いたシュリー・クリシュナの物語をあなたにお話しいたしましょう」と言いました。7日間、シュカデーヴァが語るシュリー・クリシュナの物語に皆が聞き入りました。7日目に物語が終わりに近づいた時、シュカデーヴァは王に、心のすべてをシュリー・クリシュナだけに集中させるように言いました。王は言われたとおりにし、肉体意識がなくなって「クリシュナ意識」に浸りました。このクリシュナ意識とはアートマンの意識と基本的に同じ性質であり、同じものです。このような状態になったとき、人の姿をしたヘビ、タクシャカがやって来て王を噛んだのです。しかし、死体を噛んだも同然でした。クリシュナ意識に浸っていた王は、死を迎える最中(さなか)に毒のまわる焼けるような痛みに気付くことはありませんでした。

 

『バーガヴァタム』を多くの人が知るようになったのは、その場に集まった人々の中に聖典の解説を仕事にする人がいて、自分が注意深く聞いたヴィヤーサの『バーガヴァタム』の物語のすべてをくり返し語り、物語が全土に伝わっていったのです。

 

この物語から得られる教訓は大切です。お医者さんに、「あなたは末期の病気で余命1か月です」とか「余命10日です」とか言われるかもしれません。パリークシット王は7日間ありましたが、実は、私たちはいつ死ぬか分かりません。ですから、私たちは死に対して備えなければならず、あの3つの助言がとても重要なのです。「この命には限りがあり、自分がいつ死ぬか分からない」ということに気付いている人は、神について聞き、神の御名をくり返し唱え、神の聖なる遊びの物語を常に思う、シュラヴァナ、キールタナ、マナナを実践しましょう。これが、道徳的な人生を送り、真理を悟り、心の平安を享受するための「備え」です。そして、この3つを実践し、やがて来る死にも備えましょう。

 

シュリー・クリシュナの生誕を祝うこの日に、シュカデーヴァがパリークシット王に与えた貴重な助言を心に留めましょう。

 

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

 

三鷹サットサンガ

(町田 榮さん寄稿、一部編集)

 

7月23日(日)、東京都三鷹市沙羅舎(さらしゃ)の「いのちの学校」にて、スワーミー・メーダサーナンダジーは「幸せの方法」という講話の集いを行いました。講話の集いは午後4時に開始され、終了時刻の6時過ぎまで続きました。参加人数は13名でした。

 

マハーラージは、参加者たちとの形式的ではない講話の集いを望まれ、参加者全員がマハーラージに近接して坐り、マハーラージの講話の内容について、参加者全員がそれぞれ自分の意見を卒直に述べるよう求められました。マハーラージは、講話を聴講するだけでは霊的な実践にはならず、講話の内容について自身で熟考し、その問題に個人的に直面し、自身の意見を述べ、自身の見解を確認することを通じて、講話の内容が実践的になることを強調されました。

 

マハーラージは最初に「幸福」と「楽しみ」の違いについて、参加者全員に問題提起し、参加者それぞれの意見を聞きながら、その意見へのマハーラージと参加者全員の意見交換を通じて集いは進行しました。その風景はまるで「ウパニシャッド」の対話形式の真理の探索さながらでした。

 

自我、怒り、執着の源泉について、永遠なものと束の間のものの識別について、霊的に成長するためには日常生活をどのように過ごすべきかについて、色々な角度からマハーラージと参加者は対話形式で親密で意義深い学びの時間を過ごしました。

 

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

 

浜松サットサンガ

 

8月6日(日)、静岡県浜松市福祉交流センターで行われたヨーガ療法士会(静岡)主催の勉強会で、マハーラージは「よい願い・悪い願い」をテーマに講話を行いました。講話の後には、質疑応答と瞑想が行われました。以下は、当日の内容に関する山内亜紀子さんのレポートの要約です。

 

私たちは数多くの願いを持つ。願いが「よい」か「悪い」かの基準は、願いが満たされることで得られる結果が自分にとって都合がよいか悪いかではない。私たちが今生を終えるときに真の楽しみを味わうのか、それとも困ったり苦しんだりするのか、である。真の楽しみとは本当の自分(魂の本性、内なる自己)を知ることで、これは人生の目的でもある。つまり、本当の自分を知りたいと思うこと、悟りたいと思うことはよい願いである。

 

また、人を愛すること、仕事をすることにもよい願いと悪い願いがある。愛や仕事の真の意味を知りそれに沿って人を愛し仕事を行えば、ストレスや怒りは減り自由を得られる。

 

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

 

今治サットサンガ

 

8月26日(土)~27日(日)、マハーラージは、愛媛県今治市で行われたサットサンガに参加しました。同サットサンガは今回で6回目となりました。以下は、塩路法子さんのレポートです(一部編集)。

 

初日は午後5時から参加者28名が、郊外の緑がきれいで静かな市の施設で「かりそめの幸せ、本当の幸せ」についてマハーラージのお話を聞き、瞑想をしました。初めての参加者が10名ほどいましたので、マハーラージに誘導していただきながら20分ほど、瞑想をしました。

 

翌日は13名が参加、朝5時から瞑想、聖典朗読、ヨーガの後、朝食。その後散歩をし、朝の清々しい緑の中を歩きました。

 

講義は、午前10時と午後2時の2回に分けて「輪廻とカルマの法則」について学びました。「輪廻転生」は聞いたことはありますが、本当の意味は知りませんでした。ネガティブに思っていましたが、ポジティブにとらえると「生きる」、今どのように生きたらいいのかがわかります。マハーラージは具体的に例をあげながら、わかりやすく説明をしてくださり、終了時間が来ても「もっと聞きたい」いう受講者ばかりで少々延長しました。

 

チャイを飲みながら講義の余韻に浸り、解散しましたが、なかなか別れがたく、また来年!とあいさつを交わし別れました。

 

マハーラージのお話を聞きたいという人が増えてくれればとてもうれしく思います。ありがとうございました。

 

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

 

忘れられない物語

 

汚れなき家住者

 

家住者は家族の元に残ってよい、しかし家族に無頓着でいるのがよい、その結果世俗に汚(けが)されないでいられる、という考えがあるが、それは間違えだという例を挙げよう。

 

家庭のことに無頓着な家住者のところに、貧しいブラーミンがやって来て施しを求めた。ブラーミンがお金を恵んでくれと乞うと、家住者は言った。「私はお金に触れることはありません。私に施しを求めても時間の無駄ですよ」

 

しかし、ブラーミンは去ろうとしなかった。

 

しつこくせがまれて、家住者はついに1ルピー恵んでやろうと思い、こう言った。「では、明日来てください。何とかしてみましょう」

 

家住者は、家事を取り仕切っている妻に向かって、無頓着に言った。「ねえお前、可哀想に、とても困っているブラーミンがいて、恵んでくれと言うんだよ。だから1ルピーあげることにしたんだが、お前はどう思う」

 

「まあ、何て寛大だこと!」1ルピーと聞き、妻は興奮して言った。「ルピーは木の葉や石とは違って、考えもなしに捨てるわけにはいかないんですよ」

 

「でもお前、あの人はとても貧しいんだよ。1ルピー以下はあげられないだろう」家住者は、弁解めいた口調で応えた。

 

「とんでもない、そんなには渡せません。ここに2アナ(アナは1ルピーの16分の1)ありますから、あげたいのならこれをお渡しなさい」

 

家住者は、世俗のことに無頓着だったから他にどうすることもできず、妻から与えられたものを受け取った。次の日、ブラーミンが戻ってくると2アナだけ渡した。

 

世俗に汚されていない家住者は、本当は妻の尻に敷かれた恐妻家で、惨めな人間の見本なのだ。

 

(出典:F. Max Muller 『Ramakrishna; His Life and Sayings』(1898))

 

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

 

今月の思想

 

「どれだけかかるか勘定することではなく、与えることを教えてください」

 

(聖イグナチオ)

 

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

 

発行:日本ヴェーダーンタ協会

249-0001 神奈川県逗子市久木4-18-1

Tel: 046-873-0428  Fax: 046-873-0592

ウェブサイト:http://www.vedanta.jp  email:info@vedanta.jp