今月のニュースレター

 

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ヴェーダーンタ協会ニュースレター(日本語版)

日本ヴェーターンタ協会の最新情報

202012月 第18巻 第12

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かく語りき――聖人の言葉

 

「みずからを永遠に沈めよ、おお心よ、

純粋知識、純粋至福なる彼の中に」

…シュリー・ラーマクリシュナ 

 

「祈りのとき、信じて求めるものは、みな与えられるであろう」

…主イエス

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目次

 

・かく語りき――聖人の言葉

・お知らせ

20211月、2 月の予定

202011 月逗子例会 

「霊性の学びを身につける」 パート4

講話者:スワーミー・メーダサーナンダ

・忘れられない物語

・今月の思想

 

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~お知らせ~

2021年1月より、毎週水曜 朝830から45分間、

「ウィークリー・ウパニシャッド・クラス」がスタートしました。

どなたでも参加できますが、協会出版のテキスト「ウパニシャッド」が必要です。

詳細はこちらをご覧ください

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20211月、2月の予定

1月の生誕日

スワーミー・トゥリーヤーナンダ               127日(水)

 

2月の生誕日

スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ               24日(木)

スワーミー・ブラフマーナンダ                   213日(土)

スワーミー・トリグナティターナンダ              215日(月)

スワーミー・アドブターナンダ                 227日(土)

 

1月、2月の協会の行事

 

1月のスケジュール>

1月23日(土)10:3012:00 インド大使館バガヴァッド・ギーター聖典講義

         ※インド大使館で行います。

       テキスト「バガヴァッド・ギーター」☞こちら

                     講話のまとめは こちら

       ★講義のZoomやLivestreamingは無く、後日映像をHPにアップします。

1月27日(水)8:30~9:15 ウィークリー・ウパニシャッド・クラス

        詳細は☞こちら

 

       ★Zoomのみ(後日講義の映像をHPにアップ)

1月31日(日)14:0016:00 逗子午後例会(瞑想と霊性の生活)

       テキスト「瞑想と霊性の生活Ⅰ」はこちら

         講話のまとめは こちら

       ★Zoom、ライブストリーミング、メールによるQ&A

 

2月のスケジュール>

 

 2月03日(水)8:30~9:15 ウィークリー・ウパニシャッド・クラス

        詳細は☞こちら

       ★Zoomのみ(後日講義の映像をHPにアップ)

2月06日(土)10:3012:00 インド大使館バガヴァッド・ギーター聖典講義

         テキスト「バガヴァッド・ギーター」☞こちら

                     講話のまとめは こちら

       ★ZoomやLivestreamingは無く、後日映像をHPにアップします。

2月10日(水)8:30~9:15 ウィークリー・ウパニシャッド・クラス

        詳細は☞こちら

       ★Zoomのみ(後日講義の映像をHPにアップ)

2月14日(日)14:0016:00 ラーマクリシュナの福音勉強会

       テキスト「ラーマクリシュナの福音」☞こちら

                   講話のまとめは ☞こちら

                     ★Zoom、ライブストリーミング、メールによるQ&A

2月17日(水)8:30~9:15 ウィークリー・ウパニシャッド・クラス

        詳細は☞こちら

       ★Zoomのみ(後日講義の映像をHPにアップ)

2月21日(日)スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ生誕祭

         11:00 儀式(プージャ)、オファリング、花奉献

         14:45 講話、賛歌

       ライブストリーミング(11:00~、14:45~)

       ※緊急事態宣言のため、お客様のご参加に関しては

        後日HPにてお知らせします。

2月24日(水)8:30~9:15 ウィークリー・ウパニシャッド・クラス

        詳細は☞こちら

       ★Zoomのみ(後日講義の映像をHPにアップ)

2月28日(日)14:0016:00 逗子午後例会(瞑想と霊性の生活)

       テキスト「瞑想と霊性の生活Ⅰ」はこちら

         講話のまとめは こちら

       ★Zoom、ライブストリーミング、メールによるQ&A

 

<ハタヨガ・クラス>

日程:通常 毎月 第1、第2、第4土曜日

時間:10301200

ヴェーダーンタ協会のハタ・ヨーガ教室生徒募集!

体験レッスンもできます。

※現在予定が不規則ですので、ヨーガ教室ホームページよりお問い合わせください。

 

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月例講話 

202011

「霊性の学びを身につける」 パート4

スワーミー・メーダサーナンダ

 

前回は、最後にハーフィズの話をしました。ハーフィズの信仰の実践は、一日も休むことなくイスラム教スーフィー派の聖者の墓所に行きろうそくを灯す、というものでした。たった一つの献身的な実践を休まずに行った結果、ハーフィズは娼婦と親密な関係を持つことなく堕落せずにすみました。それどころか彼は天使に会い、神の愛の甘露を味わうという祝福を受けたのです。さらに、ハーフィズのこの敬虔な実践のおかげで、その不道徳な女性も救済されました。これは信仰の実践の成功例の一つというだけではありません。この話の大事なポイントは、たった一つの実践を集中してするだけで、最高の成果がもたらされる、ということです。

 

霊性の真理を身につける方法

 

今日は、霊性の真理を身につけるさまざまな実践方法についてお話しします。その中から自分に合った実践を一つか二つか三つほど選んでください。霊性の進歩をしたいなら、一番大事なことは、霊性の真理を身につけることですが、実践をしなければ、「神の真理」の悟りにつながるようなことが身につくはずがないからです。 『ラーマクリシュナの福音』の中でシュリー・ラーマクリシュナは、さまざまな礼拝の仕方を私たちに与えているのは神ご自身だ、と言います。

 

「母親はさまざまの子供の胃袋に合うようにさまざまの料理をつくるだろう。五人の子供がいるとする。ここに一尾の魚があれば、彼女はそれでさまざまの料理を作る——ピラフとか、漬物とかフライとかいうように、彼らの好みと消化力に合わせて作るのだ」[一]

 

もしみなさんが一つ~三つの実践をするつもりなら、同じ方法を継続して何年も実践してください。それは実践についてのパタンジャリの助言です。[二]  前回は、サンスクリット語の『アースプテ』と『アームリテ』、つまり、目覚めてから寝るまで毎日毎日死ぬまで実践する、という方法についての話もしました。 

 

これからお話しする実践方法をみなさんが行う際に、次の四つのことを念頭に置いてください。

 

・ 一つ目、感覚と心の抑制をしなければなりません。

・ 二つ目、満足する(足るを知る)ことです。

・ 三つ目は、決意です。英語には「するか、死ぬか」ということわざがあります。スワーミー・トリグナティターナンダはシュリー・ラーマクリシュナの直弟子で、後にサンフランシスコのヴェーダーンタ・ソサイエティを率いて育成した方です。トリグナティターナンダジーは、サンフランシスコのアーシュラムの壁に西洋の信者を励まそうと、英語の教訓をいくつか張りました。その中の一つが「するか死ぬか」でしたが、そこに「しかし、あなたは死なない(だから心配しないで)」と書き加えました。(笑い) 

 

バガヴァッド・ギーターの中でクリシュナ神は、戦場では殺すか殺されるかだ、と戦士アルジュナを勇気づけます。もし、君が戦いで死ねば天国に行くだろうし、もし勝利すれば王国を楽しむことになるだろう、と。[三] クリシュナ神が強調するのは、この戦いで失うものは何もない、たとえ殺されたとしても天国へ行くのだから、という肯定的な考えです。

 

霊性の道での私たちの努力は、どんな努力も決して無駄になりません。全ての努力が、努力とみなされるでしょう。しかし、名声や名誉や富などの一般的な利益を得るための努力は、全てが成功するわけではなく、多くは無駄になるかもしれません。

 

・ 四つ目の念頭に置くべきことは、このスワーミー・ヴィヴェーカーナンダの私たちへの励ましです。 「立ち上がれ、目覚めよ。ゴールに達するまで立ち止まるな」

 

霊性の真理を身につけるための、さまざまな方法

 

ギャーナ・ヨーガの実践

1) 一つ目は、ギャーナ・ヨーガの実践です。ギャーナ・ヨーガは打ち消しのヨーガです。私は体ではない、私は心ではない、私は知性ではない、自我ではない、私はアートマンです。私はサット・チット・アーナンダ、すなわち、純粋な存在、純粋な意識、純粋な至福です。私は永遠で無限です。

 

この実践の時も、アースプテ(いつも)、アームリテ(何度も何度も)を実践し、決して投げ出さないでください。なぜでしょうか? なぜなら、生まれてからずっと毎日、体意識の実践をしてきたので、私たちの体意識はとても強いです。だから、霊的実践をやめるとすぐに、体意識と心意識は元の状態に戻るからです。だから、私はアートマン、私はサット・チット・アーナンダ、私は永遠で無限、という意識の状態を確立させるまで、繰り返し何度も実践しなければならないのです。

 

瞑想の実践

2) 二つ目は、瞑想の実践です。パタンジャリのヨーガ・スートラでは、瞑想のテーマ、瞑想の準備、瞑想の目的、瞑想の障害、そして瞑想の結果についての説明があるので、その方法に基づいて実践するとよいでしょう。この五つの内容を理解してから、瞑想を実践してください。瞑想の長さに関しては、二つの方法があります。長時間瞑想をする方法と、短時間の瞑想を何回もする方法です。多くの人は、特に瞑想の初心者は、長時間座ることができません。しかし、日中に短時間、朝夕に少し長めの時間なら瞑想できるでしょう。敬虔なイスラム教徒はどんなに忙しくても、一日に五回祈りを唱えるということを思い出してください。実践を続けると、最終的には長時間、瞑想のために座りたいと思うようになるでしょう。私は他の講話で詳しく瞑想のテクニックについて話をしてきました。詳しく学びたければ先程述べたように、パタンジャリのヨーガの格言(スートラ)を勉強してください。

 

聖なる神の御名を繰り返し唱える実践

3) 三つ目は、神の聖なる御名、マントラを繰り返し唱える、という実践です。神の御名と神は同じ一つのものである、ということをイメージして唱えてください。神の御名を絶えず唱えたり、グルや霊性の師から授かったマントラを絶えず唱えると、神とつながっている状態になれます。

 

シュリー・ラーマクリシュナの直弟子であるスワーミー・ブラフマーナンダの回想録『永遠の伴侶』では、何度も「ジャパ、ジャパ、ジャパをしなさい」、と主の御名を繰り返し唱えるジャパをするように言います。ブラフマーナンダジーは、カルマ・ヨーガ、バクティ・ヨーガ、ギャーナ・ヨーガ、ラージャ・ヨーガという四つの伝統的なヨーガと比べて、神の御名を間断なく繰り返し唱えることで神とつながる状態になれるヨーガを、サハジャ・ヨーガ、つまり簡単なヨーガと命名しました。人によっては、識別の道も、非利己的な働きの道も、儀式的な礼拝の道も、簡単ではないからです。それに比べて、サハジャ・ヨーガには、特別な準備も、特別な場所も、特別な時間も必要ありません。ジャパは、いつでも、どこでも、たとえその場所がきれいでも汚くても、仕事中でも休憩中でも、実践できます。

 

ある若い僧侶がシュリー・ラーマクリシュナの直弟子であるスワーミー・シヴァーナンダの所に行って、私の心は安定せず、ストレスに苦しみ、幸せではありません、と不満を言ったことがあります。シヴァーナンダジーは、「秘密のヨーガ」を教えてあげようと言って、体と手を使って仕事をしなさい、しかし心では絶えず神の御名を唱え続けるように、という助言をしました。シヴァーナンダジーは、もし君がこの助言に従えば、幸せになり、大きな問題に直面しても、心は平安で恐れは出ないだろう、と言いました。

 

これは「簡単な」方法ですが、挑むべきは、心をマントラと神に置き続ける、ということです。ジャパの実践に本格的に熱心に取り組んでも、心は過去や未来の想像や、仕事の問題など、瞑想とは無関係なことをさまよい始めます。心はすぐに落ち着かなくなり、ジャパの復誦は二、三分から数分間中断し、そのうちジャパのことを忘れます。このことは無意識で起こります。神のことを考えよう、と頭では思っているのに横道にそれてしまうのは、心はこれまで、何度も何度も、長く、一般的な考えに没頭してきたからです。長い間、一般的な事を考えてきた心の傾向を弱めるのは、困難です。

 

ジャパの実践についてもっと知りたい方は、ブラフマーナンダジーの生涯と教えの本『永遠の伴侶』を読んでください。この本を読んで感銘を受け、ヴェーダーンタ協会を訪れ始めた人もいます。

 

真実の実践

4) 次の実践は、真実の実践です。自分が語ったことを守り、常に真実に従ってください。シュリー・ラーマクリシュナは、虚偽が横行するカリ・ユガにあっては、真実の実践は特別な霊的修練である、と言いました。[四] 真実の実践をすることで、自分の体、心、会話、行動が一つになり、内なる自己と外の自己が一つになります。

 

真実の実践がどれだけできているか、という霊的な進歩を知る基準の一つは、以前と比べてどれだけ秘密が減ったか、ということです。真実の実践をすればするほど、秘密は減ります。秘密を持つということは、真実の実践と矛盾します。真実の実践をしている信者は、秘密を持つ必要はありません。心と感覚を制御することによって秘密の源を排除すれば、秘密は必要なくなるからです。信者の行動、心、会話が一致すると、真実の実践が進みます。昼間は親切な医者であるジキル博士が、夜になると邪悪な怪物、ハイド氏になるという小説がありますが、私たちは、ジキル博士とハイド氏のような、さまざまな秘密を持つ必要性をなくしましょう。

 

真実の実践のもう一つの大事な点は、どんな約束も守る! ということです。言葉に出したことは、言ったとおりに行いましょう。シュリー・ラーマクリシュナの生涯は、そのことを体現したものでした。シュリー・ラーマクリシュナが信者の家を訪れると、たびたび食事や軽食が出されましたが、もしそのとき、おながすいていなければシュリー・ラーマクリシュナは、私は食べません、と言いました。しばらくたっておなかがすいたとしても、私は食べない、と言ったという理由で、食べませんでした。ある日、シュリー・ラーマクリシュナはドッキネッショル寺院の近くに住む信者の家を訪問する約束をすっかり忘れており、真夜中になってから思い出したので、ドッキネッショルに滞在していた別の信者を起こして事情を説明し、一緒にランプを灯して約束した信者の家に歩いて行きました。信者の家に着くと、中は真っ暗でみんな眠っているようだったので、シュリー・ラーマクリシュナは、家の入口に足を踏み入れて、来ましたよ、と静かに言ってからドッキネッショルに戻りました。

 

真実だけが勝つ

さてここで、ある僧侶がよくしていた話をします。その方はベルル・マトにある見習い僧が二年間訓練を積むブラフマチャーリ・トレーニングセンターの先生で、私は今でもときどきこの話を思い出します。話のテーマは、「真実の実践には犠牲を払う覚悟が必要」です。

 

ある時、王が、宮殿の近くでバザールを開催する、とお触れを出しました。王は、職人、店主、一般市民など皆を招待し、売り買いせよ、売れ残ったものは全て王自身が買い取るから、と言いました。多くの人がやってきて野菜やお菓子などを出品し、工芸家や職人はさまざまな作品を出品しました。その中には、クリシュナ、ヴィシュヌ、シヴァ、パールヴァティなどの神や女神の像もありました。さて、ラクシュミは幸運と富の女神で、アラクシュミは正反対の不幸と貧乏の女神ですが、ある工芸家が自作のアラクシュミ像もバザールで売ろうと持ってきていました。

 

バザールは成功しましたが、最後にアラクシュミの像が売れ残ったので、王は約束通り買い取って宮殿に持ち帰りました。数日後、王が早朝に散歩をしていると、素晴らしい品々と宝石で着飾った最高に美しく輝く女性が、宮殿を出て行こうとしているところに出くわしました。王は、その女性に、あなたは誰ですか? どこへ行くのですか? と尋ねました。女性は「ラクシュミ」だと名乗り、王に別れの挨拶をするためにやってきたのだと言いました。王は失望して、なぜ宮殿を去らなければならないのですか? と尋ねました。 ラクシュミ女神は、私とアラクシュミ女神とは一つ屋根の下には住めないからだ、と答えて、去っていきました。王は、それは仕方のないことだと思って、冷静に受け止めました。

 

数日後、王が再び朝の散歩をしていると、知識、音楽、芸術、智慧、学習の女神であるサラスヴァティ女神が、白い衣装を身につけ、光り輝く姿でやってきました。彼女が宮殿を去ろうとしたので、王は、あなたは誰ですか? と尋ねました。彼女は「サラスヴァティ」だと名乗り、双子で同居しているラクシュミ女神が宮殿を去ったので、自分も去らなければならない、と言いました。富の女神ラクシュミが宮殿を去ってから、王は困窮状態になっていました。智慧の女神サラスヴァティが宮殿を去れば、宮廷学者もすぐに出て行く可能性がありましたが、王はサラスヴァティ女神が出て行くことも冷静に受け止めました。

 

さらに 数日たった朝、王は、もう一つの光り輝く姿を見たのですが、それは象の顔をした智慧、成功、幸運の神、ガネーシャで、彼も宮殿を去らなければならない、と王に伝えました。王がガネーシャ神に去る理由を尋ねると、ラクシュミ女神もサラスヴァティ女神もここに居られないのだから、自分も行かなくては、と言いました。成功の神ガネーシャがいなくなれば、王は苦難に直面することは分かっていましたが、それならそれでいい、と思いました。

 

王は、また数日後の朝に、大きくて力強い輝く人が宮殿を去るところを目撃しました。王が「あなたは誰ですか?」と尋ねると、その人は、将軍の神、力と勇気を授ける神カルティカだ、と答えました。カルティカ神は、ラクシュミ女神もサラスヴァティ女神もガネーシャ神も去ったので、自分も宮殿を去らねばならない、と言いました。それもやむを得ない、と王は思いました。

 

  それから間もなくして、光り輝く年配の人が、静かに、ひそかに、ゆっくりと宮殿から出て行こうとしているのに気が付きました。王は近づいて「あなたは誰ですか?」と尋ねました。その人は「ダルマ」だと答えました。ダルマ神は義務、美徳、道徳の神、つまり全ての徳の神です。王は再び去る理由を尋ねると、ダルマ神は、ラクシュミ女神、サラスヴァティ女神、ガネーシャ神とカルティカ神がいなくなったので、自分も去らなければならない、と答えました。 このときばかりは王は遮り「あなたは出て行かないでください!」と命令しました。

 

「なぜ私はここに居なければならないのですか?」

 

「私は、あなたのためにすべてを犠牲にしたのですよ! 富も、学びも、成功も、神の軍隊の護りも、ただ私が交わした約束を守るために失ったのですから!」

 

ダルマ神は、王の正当な主張に黙って従い、ゆっくりと宮殿に戻りました。そうすると、宮殿を去った神や女神も一人ずつ戻ってきました。なぜならダルマ神こそが、その神々の中で最高だからです。

 

この話の教訓は、人は言葉を守るためには多くの犠牲を払う覚悟が必要、ということです。最終的には、真実が勝利します。“satyameva jayate nāntaサッティヤメーヴァ ジャヤテーナーンルタンは「真実だけが勝利する、真実でないものは勝利しない」という意味のサンスクリット語のマントラです。[五] そこに達するには多くの試練や苦難を経験するかもしれませんが、最後には真実が勝ちます。

 

体、心、感覚を清らかにする

5) 清らかになる、ということは霊性の生活ではとても重要です。清らかになるには、心と感覚を抑制しなければなりません。感覚の抑制とは、ただ単に性生活を抑制し禁欲の実践をする、ということではありません。もっと包括的な意味で、うぬぼれ、怒り、嫉妬などを抑制することであり、皆さんが思い浮かべるものより、もっと総合的な努力のことです。

 

バガヴァッド・ギーター(第1621節)

tri-vidha narakasyeda dvāra nāśanam ātmana

kāma krodhas tathā lobhas tasmād etat traya tyajet

トリ・ヴィダン ナラカッシイェーダン ドヴァーラン ナーシャナム アートマナハ / カーマハ クローダス・タター ローバス タスマード エータト トラヤン テャジェート//

 

人間の魂を堕落させてしまう地獄の門が三つあるが、肉欲、怒り、貪欲がそれである。それゆえ、正気の人間は、この三つを捨てなければならぬ。

 

シュリー・クリシュナはここで、地獄へと導く門が三つありそれは、肉欲(カーマ)、怒り(クローダ)、貪欲(ローバ)である、と言っています。もし私たちがこれら三つを捨てなければ、霊的真理を身につけることは難しいでしょう。

 

聖書(マタイ58

「心の清い人たちは幸いである。彼らは神を見るであろう」

 

このように、清らかさの実践は、さまざまな宗教で強調されています。実のところ、清らかさは霊的生活の基礎です。もし私たちが、清らかになりたいなら、真実を守る実践が必要です。なぜなら、清らかさと真実はお互いに密接に関係しているからです。「一事を徹底的に実践すれば万事が成就する。しかし、万事を追求すれば何も成就しない」というヒンドゥ語の名言があります。

 

全てのものの中に、いつでもどこでも、神を見る

6) 『ラーマクリシュの福音』の勉強会の時に、自分の内の全ては神である、外の全ても神である。全てのもの、全ての生き物の中に神を見る、ということについて詳しく話をしてきました。自然の中にも神を見てください。自分のまわりの全ての状況にも神を見てください。自分の状況が、良好な時も、ひどく困難な時も、どちらの状況の中にも神を見てください。Spiritualize  everything! 全てを神聖化してください! 毎日の生活を神聖化してください。全ての出来事は、神が私たちを訓練するために、神のご意志によって起こっている、ということを理解してください。もし常にそのことを理解していれば、不平を感じることも失望することもないでしょう。

 

これに関する王と家臣の話があるので、簡単に話します。

 

あるところに王と家臣がいました。家臣は常に、王に向かって、全ては神のご意志によって起こります、私たちの善のために起こるのです、言いました。ある時、二人が森に狩猟に出ると、王は指を切ってしまいました。家臣は、王の傷の手当てをしながら、これも神のご意志で何か良いことのために起こりました、と何度も言いました。それを聞いた王は激怒して家臣を近くの井戸に突き落とし、そのまま行ってしまいました。

 

王が歩いていると、泥棒の一味に捕まりました。泥棒たちは、女神を喜ばせて自分たちの邪悪な欲望をかなえてもらうために、王を女神の像にいけにえとして捧げることにしました。泥棒たちは王をアジトへ連れて行き、女神に捧げる準備をしていたのですが、その時、いけにえの体にはどんな小さな傷があってもいけない、ということを思い出しました。泥棒たちは、王の指の包帯をほどいて切り傷を見つけると、王をそのまま放り出しました。その瞬間、王は、「全ては神のご意志によって、私たちの善のために起こります」という家臣の言葉はまさに真実だった、ということが分かりました。

 

王は、怒りに任せて家臣を井戸に放り込んだことを大いに後悔し、井戸に戻って家臣を助け出しました。王は家臣に、全ては神のご意志によって起こるということをついに理解した、と言って謝りました。それから、井戸に放り込まれたことにはどんなよいことがあったのか、と家臣に尋ねました。家臣は、もし井戸に放り込まれていなければ、自分も王と一緒に泥棒に捕まり、傷がないので、確実にいけにえにされていたでしょう、と答えました。

 

この物語は、経験する良い状況も悲惨な状況も、私たちを教えるために、全ては神によってなされている、ということを伝えています。だから、常に神を見てください、全ての存在の中に神を見てください、自分が置かれるあらゆる状況の中に神を見てください。

 

私たちは皆、神の道具である

7) 次の霊的教えを身につける方法は、私たちは神の道具である、と理解することです。私たちが持ついかなる才能も、力も、財産も、全ては神からの贈り物です。それらは、私たちが神の道具として神の仕事をなすために、使われなくてはなりません。仕事の結果は神に委ね、最終的に仕事の結果を神にお捧げするのです。シュリー・ラーマクリシュナが助言したように、「おお、神様、私ではありません、あなたです、あなたがなさるのです」と常に繰り返してください。

 

このアイデアは、シュリー・ラーマクリシュナが好んで歌ったベンガル語の歌の中で、次のように美しく表現されています。「神様、私は機械、あなたは操縦者。私は家、あなたは住人。私は馬車、そしてあなたは御者です」[六] このアイデアを取り入れることで、カルマ・ヨーガをうまく行うことができます。カルマ・ヨーガの詳細については、『バガヴァッド・ギーター』とスワーミー・ヴィヴェーカーナンダの福音書『カルマ・ヨーガ』に説明があります。

 

これも消える

8) 心に留め、実践すべきもう一つの真実は、「これも消える」ということです。私たちの存在、富、親戚、友達、全てはいつか消えます。冬の寒さも夏の暑さも、春や秋の喜びも、消えます。嬉しいことも悲しいことも消えます。唯一、消えることなく、変化しないもの、それが神です。もしそのことを絶えず思い出していれば、自分がどんな状況にいても、心は安定した静けさを保つことができます。それだけでなく、一般的な欲望や執着から解放されることを助け、放棄の内に定着できるようになるでしょう。

 

満足する

9) もう一つの実践は、満足の実践です。来るものも来ないものも受け止めて、満足してください。 「満足することが最高の宝である。富が最高の宝なのではない」ということわざがあります。それに関する標語を唱えましょう「あってもいい、なくてもいい、なくなってもいい」。 欲しいものがほとんどない人は、真に豊かな人です。一方、金持ちでも欲しいものがたくさんある人は、本当は貧しいです。満足した心になると、容易に霊的真理を身につけることができます。

 

間違いを見つける

10) ここにいるほとんどの人は、シュリー・サーラダー・デーヴィーの信者への最後のメッセージをご存じでしょう。

 

「あなたに話しておきましょう。我が子よ、あなたが平安を望むなら、誰の欠点も探してはいけません。それよりも自分の欠点を探しなさい。世界を自分のものとすることを学びなさい。我が子よ、他人などいないのです。全世界があなた自身なのですから」[七] 

 

数回前の講話で、欠点を見る性質の話をしました。その時に、ハエではなく、ミツバチのようになろう、と決めましたね。ハエは汚いものが好きですが、ミツバチは花々の甘い蜜だけに惹かれます。私たちもミツバチのように人々の良い面だけを見ましょう。悪い面はハエのエサなのですから。私たちはいつも他者の欠点を見つけますが、それは危険なことです。なぜなら、常に他人の欠点に心を留めていると、まさにその欠点が自分のものになるからです。さらに、欠点を発見することで相手に優越感を抱き、その結果、自分のエゴが強まります。それだけでなく、他者の欠点を見ても何もいいことはありませんが、良い面を見ると、自分が豊かになります。ミツバチのようになるためには、誰に対しても普遍的な愛を持つ必要があります。普遍的な愛を持つには、非利己的でなくてはなりません。普遍的な愛なくしては、ホーリー・マザーの最後のメッセージである、自分の欠点を調べて、平安を見いだす、という実践はできません。私たちが常に全ての存在の内に神を見るという実践をすれば、普遍的な愛の実践は容易になります。

 

他者を助ける

11) 最後に、出来る限り他者を助けてください。私たちの理想は、見返りを求めずに自分ができる手助けをする、ということです。牝牛や木のようになりましょう。牝牛も木も、私たちに多くを与えますが、彼ら自身が楽しむことはありません。マンゴーの木が、マンゴーを食べているのを見たことはありませんから。木は日陰や酸素を与え、果樹は人間や他の生き物の食べ物となる果実や花を与えます。木々は避難所となり、夜には鳥たちに寝床を与えます。木は、枯れてからも私たちを温めたり調理のために火を焚く燃料を与えます。伐採された木は、私たちに住居を与えます。牛糞は、私たちに、肥料、殺菌剤、燃料を与えます。牝牛は子牛にミルクを与えるだけでなく、私たちにもミルク、バター、チーズを与えます。死んだあとも、長い間、皮を衣類や履物の牛革として提供しますし、角は装飾品として使用されます。

 

人間の中にも、生きている間に惜しみなく与えるだけでなく、自分の死体を科学研究などの人道目的で使用してもいい、と明確に意思表示する人もいます。私たちは、日々の生活の中で、無数の人々、植物、木、動物、鳥、魚、からの奉仕と犠牲のおかげをどれほどいただいているかを深く考えるべきです。そうすれば、他者からもらうことだけを考えて何もお返しをしない、という利己的な考えで生きることなどできません。ここで、アルベルト・アインシュタインの有名な言葉を思い出しましょう。

 

「私は毎日百回、自分の内的生活も外的生活も、生きている人々、死んだ人々の労働によって支えられていることを思い返している。だから、私はこれまでに受け取った分だけ努力しなければならない。しかも私は今もまだ受け取り続けているのだ」

 

利己的な生活を送ると、狭量になり、執着し、平安を無くします。しかし非利己的な生活を送ると、寛容で無執着となり、平安が訪れ、霊的真理を身につける力になります。

 

最後に

心と体が清らかになってきたか。これまで以上に神に集中しているか。「全てに対して善をなし、何者にも悪意を持たない」という日々の実践と修練をし、全てのものに対する愛は着実に増えているか。それらが、霊的教えが本当に身についているかどうかの基準です。

 

「霊性の教えを身につける」以上

 

[一]『ラーマクリシュナの福音』 8頁

[二]ヨーガ・スートラ第114節 「長い(dīrgha kāla:ディグハ カーラ)、不断の努力(nairantaryaナイランタリャ)によって、しっかりと根付く」

[三]バガヴァッド・ギーター第237

[四]『ラーマクリシュナの福音』797頁上段

[五]ムンダカ・ウパニシャッド3.1.6

[六]『ラーマクリシュナの福音』884

[七]『ホーリー・マザーの生涯』313頁  

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—忘れられない物語

 

王とタカ

 

 ある国の王が、狩猟と偵察のために一羽のタカを訓練していた。王は外出するたびにそのタカを連れて行った。王とお供の猟師たちが馬に乗り乾燥した谷を渡っていた時、王はたいそう喉が渇いた。王が谷に沿って走っていると、うれしいことに水が尾根の岩肌から滴り落ちているのを見つけた。王はすぐに馬から降りて、水をすくおうと銀のカップを差し出した。その時、可愛がっているタカは飛び立って、尾根の上を高く旋回し始めた。

 

しばらくしてカップが満たされたので、王はその透き通った水を飲もうと期待に胸を膨らませ、カップを持ち上げた。その時、タカが突然急降下してきて、カップに向かって翼をばたつかせたので、水は全部こぼれてしまった。

 

王が見上げると、タカは水が流れ落ちてくる尾根の一番上に上がっていくのが見えた。王はカップを拾い上げ、もう一度、滴り落ちる水を溜めた。カップがいっぱいになるまでには相当な時間がかかったが、やっと水を飲もうとしたとき、タカがまたもや急降下してきて、王の手からカップを叩き落した。

 

王は非常に腹が立ったが、それでも忍耐強くもう一度水を溜めた。しかしこの時も、タカは王に水を飲ませなかった。

 

王は今や怒り心頭で、剣を抜くとタカに向かって叫んだ。「これが最後だぞ。今度お前が水を飲むのを邪魔したら、生きていられると思うな」 王はもう一度、我慢強く水を溜めて剣を握りしめたまま水を飲もうとした。しかし、タカはまたもや急降下してきて、王の手からカップを振り落とした。その瞬間、王は剣で素早くタカを切り殺した。

 

「これで分かっただろ!」と王は叫んだ。落としたカップは、手の届かない岩の割れ目に落ちたので、王は頂上の水たまりで水を飲もうと、岩肌を登り始めた。頂上に着くと、水たまりの中に毒蛇の死体があった。それを見た王は茫然となった。喉の渇きなど忘れて、自分の命を救ってくれたタカを、自分の性急さのせいで殺してしまったことを思った。「私は今日、急いては事を仕損じる、という苦い教訓を学んだ」と王は言った。

 

性急さは悲しみの母だ。識別力を養いたまえ。よく考え、それから行動するように。念には念を入れよ。

 

…ディヴァイン ライフ ソサイエティより抜粋

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―今月の思想

 

秀でた者の目標は真理である。

…孔子

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