今月のニュースレター

 

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ヴェーダーンタ協会ニュースレター

 

日本ヴェーターンタ協会の最新情報

 

20193月 第17巻 第3

 

 

 

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かく語りき――聖人の言葉

 

 

 

「推理から生じる知識は、瞑想で得られる智識とはかなり違う類いのものだと分かった。また、神の啓示により生まれた叡智ともずいぶんと違うのだ」

 

…シュリー・ラーマクリシュナ

 

 

 

「知識により人は高められて善の域に達し、この世の統治者たる高貴な地位へと昇り、来世にて完全な幸福を得る」

 

…預言者ムハンマド

 

 

 

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目次

 

 

 

・かく語りき――聖人の言葉

 

20195月の予定

 

20192月の逗子例会にてスワーミー・ヴィヴェーカーナンダ生誕祝賀会を開催

 

20192月の逗子例会 スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ生誕祝賀会

 

午後の講話 スワーミー・シャマーナンダ

 

・忘れられない物語

 

・今月の思想

 

 

 

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20195月の予定

 

 

 

20195月の生誕日

 

 

 

シュリー・シャンカラーチャーリヤ 59日(木)

 

お釈迦様 518日(土)

 

 

 

 

 

5月の協会の行事

 

 

 

55日(日)

 

自主勉強会 1300

 

お問い合わせ:vedanta.karmayoga@gmail.com

 

 

 

524日(金)

 

ホームレス・ナーラーヤナへの奉仕活動

 

現地でのお食事配布など

 

お問い合わせ:佐藤 090-6544-9304 または urara5599@gmail.com

 

 

 

526日(日)

 

スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ第156回生誕記念祝賀会

 

マハートマー・ガンディー第150回生誕記念祝賀会

 

13:3017:00(開場13:30

 

場所:南大塚ホール(東京都豊島区南大塚2-36-1

 

主なプログラム:

 

・スピーチ「スワーミー・ヴィヴェーカーナンダとガンジーについて」

 

上智大学アジア文化研究所客員所員 ヴィヴェイク・ピントゥ博士

 

東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所 外川昌彦 教授 

 

・文化交流プログラム

 

インド古典舞踊(バラタナッティアム)

 

小久保・シュヴァ・チャクラバーティ、インディアン・クラシカル・ダンス・トゥループ

 

詳しくは協会ウェブサイトをご覧ください。チラシのダウンロードもできます。

 

皆様のご参加を心よりお待ち申し上げます。

 

お問い合わせ:逗子協会 046-873-0428

 

 

 

5月の土曜日 10:1511:4590分)

 

ハタ・ヨーガ・クラス

 

(月に3回で基本は第124土曜日。変更の際は連絡があります)

 

場所:逗子協会別館

 

お問い合わせ:羽成 淳(はなり すなお) 080-6702-2308

 

体験レッスンもできます。

 

※予定は変更されることもありますので、日程は直接お問い合わせください。

 

詳しくは専用ウェブサイトをご覧ください。 http://zushi-hatayoga.jimdo.com/

 

 

 

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20192月の逗子例会にてスワーミー・ヴィヴェーカーナンダ生誕祝賀会を開催

 

 

 

217日(日)、日本ヴェーダーンタ協会はスワーミー・ヴィヴェーカーナンダ生誕156周年を祝す終日の催しを2月の逗子例会で執り行いました。参加者は約45名でした。

 

 

 

午前6時から、逗子協会本館でマンガラ・アーラティ、聖句詠唱、賛歌朗唱、瞑想が行われました。午前745分より朝食の席でスワーミー・メーダサーナンダジー(マハーラージ)がデューティー・リスト(祝賀会の準備・進行上の仕事と担当ボランティアの名前をまとめたリスト)の最終確認を行いました。

 

 

 

午前1030分、祝賀会会場である逗子協会別館に来場者が到着し始めました。別館1階にこの日のために設置された祭壇には色とりどりの花や食べ物などの供物が美しく並べられました。午前11時、ほら貝の音が鳴り響き、マハーラージは約1時間にわたりプージャー(礼拝)を執り行いました。

 

 

 

続いてアーラティが行われました。シンセサイザーの演奏とほら貝の音を伴奏に参加者が賛歌「カーンダナ・バーヴァ・バーンダナ」(Khandana Bhava–Bandhana)を歌う中、マハーラージは五大(精妙な五つの要素。エーテル、空気、火、水、土)を象徴する祭具で儀式を行いました。アーラティが終わりに近づくとマハーラージは合図をし、参加者は次の賛歌「サルヴァ・マンガラー・マンガーレー」(Sarva Mangala Mangalye)を斉唱しました。

 

 

 

次に、プシュパンジャリ(花の礼拝)のために参加者が起立し、奉納する花のつぼみと葉が全員に配られました。マハーラージは参加者の間を縫ってガンガー(ガンジス川)の聖水を皆の頭上にふりかけ、祭壇の前に戻りました。そして、スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ(スワーミージー)に捧げるプシュパンジャリのマントラ(サンスクリットの聖句)とプラーナ(肉体に生命を与える活力)のマントラを少しずつ区切って唱え、皆が続いて唱えました。その後、数人ずつ祭壇に花と葉を奉納して祈りを捧げました。

 

 

 

これで午前のプログラムが終わり、本館の1階で昼食のプラサードが振る舞われました。

 

 

 

午後230分より再び別館で午後のプログラムが行われ、初めに皆でマントラを詠唱しました。

 

 

 

              Oṁ Saha nāu avatu

 

              Saha nau bhunaktu

 

              Saha vīryam karavāvahai

 

              Tejasvi nāu adhītam astu

 

              Mā vidviṣāvahai

 

              Oṁ Shāntiḥ, Shāntiḥ, Shāntiḥi

 

 

 

オーム サハナー ヴァヴァトゥー

 

サハノー ブナクトゥー

 

サーハ ヴィーリャン カラヴァヴァハイ

 

テージャスヴィ ナーヴァディー タマストゥ

 

マー ヴィッヴィシャヴァハイー

 

オーム シャーンティ シャーンティ シャーンティヒ

 

 

 

(意味)

 

ブラフマンが私たち(教師と弟子)の両方を導いてくださいますように。

 

「主」が私たち双方を養ってくださいますように。

 

私たちが豊かな活力をもって、共に働きますように。

 

私たちの学習がたくましく実り多いものでありますように。

 

愛と調和が私たちの間に宿るように、どうか私たちを見守りください。

 

オーム。平安あれ、平安あれ、平安あれ。

 

 

 

              Om! Śaṃ no mitraḥ śaṃ varuṇaḥ

 

              śaṃ no bhavatvaryamā

 

              śaṃ na indro brihaspatiḥ

 

              śaṃ no viṣṇururukramaḥ

 

              namo brahmaṇe

 

              namaste vāyo

 

              tvameva pratyakṣaṃ bhrahmāsi

 

              tvāmeva pratyakṣam brahma vadiṣyāmi

 

              taṃ vadiṣyāmi

 

              satyaṃ vadiṣyāmi

 

              tanmāmavatu

 

              tadvaktāramavatu

 

              avatu mām

 

              avatu vaktāram

 

              om śāntiḥ śāntiḥ śāntiḥ

 

 

 

オーム シャム ノー ミットラーハ シャム ヴァルナハー

 

シャム ノー バヴァットヮリャマ

 

シャム ナー インドローブリハスパティヒー

 

シャム ノー ヴィシュヌールルックラマハー

 

ナモー ブラフマネー

 

ナマステー ヴァーヨー

 

トヮメーヴァ プラッティャクシャム ブラフマースィー

 

トヮーメーヴァ プラッティャクシャム ブラフマー ヴァディッシュワーミー

 

リタン ヴァディッシュワーミー

 

サッティャン ヴァディッシュワーミー

 

タヌマーマヴァトゥー

 

タドヴァクターラムアヴァトゥー

 

アヴァトゥー マーム

 

アヴァトゥー ヴァクターラムー

 

オーム シャーンティ シャーンティ シャーンティヒ

 

 

 

(意味)

 

昼を司る神様が、私たちに慈悲深くあられますように。

 

夜を司る神様が、私たちに慈悲深くあられますように。

 

力と知恵の神々が、私たちに慈悲深くあられますように。

 

一切所に遍在したもう「主」が、私たちに慈悲深くあられますように。

 

ブラフマンを崇拝します。

 

「あなた」を、活動の支配者を、崇拝します。

 

「あなた」はまさに、目に見えるブラフマンです。

 

まことに私は「あなた」を目に見えるブラフマンであられると断言します。

 

正しいことを、私は話します。

 

真実を、私は話します。

 

ブラフマンが私をお守りくださいますように。

 

ブラフマンが師をお守りくださいますように。

 

「主」が私をお守りくださいますように。

 

「主」が師をお守りくださいますように。

 

オーム。平安あれ、平安あれ、平安あれ。

 

 

 

              Om! pūrṇamadaḥ pūrṇamidam pūrṇāt pūrṇamudacyate

 

              pūrṇasya pūrṇamādāya pūrṇamevāvaśiṣyate

 

              oṃ śāntiḥ śāntiḥ śāntiḥ

 

 

 

オーム プールナマダ プールナミダム プールナット プールナムダッチャテー

 

プールナッシャ プールナマーダーヤ プールナメーヴァヴァシッシャテー

 

オーム シャーンティ シャーンティ シャーンティヒ

 

 

 

(意味)

 

目に見えないものすべてはまさに、無限のブラフマンです。

 

目に見えるものすべてもまた、無限のブラフマンです。

 

全宇宙は無限のブラフマンから現れました。

 

全宇宙はそれから現れたのであるけれど、ブラフマンは無限です。

 

オーム。平安あれ、平安あれ、平安あれ。

 

 

 

次に、午後の講話を行う来日中のスワーミー・シャマーナンダジー(アキラ・マハラージ)をメーダサーナンダ・マハーラージが英語で紹介しました。台上のイスに座ったアキラ・マハラージの隣には、講話の通訳としてレオナルド・アルバレスさんが座り、マハーラージが英語で行った紹介を日本語に訳しました。

 

 

 

「皆さんも知っている通り、インドは有名無名のヨーギーを数多く輩出してきました。ヨーギーたちは昔も今もヒマラヤに住んでいますが、今日は幸運なことにヒマラヤのヨーギーが一人ここに来ています。(一同笑い)私たちにとても近しいスワーミー・シャマーナンダジー(Swami Shamanandaji)、通称アキラ・マハラージです。シャマーナンダのシャマ(shama)は「心の制御」、アーナンダ(ananda)は「~の至福」という意味です。アキラ・マハラージは日本人ですが、インドに35年住んでいるのでインド人のように見えるかもしれません。余談ですが、日本に長年住んでいる私は、インドに帰った時に日本人のように見えるとなぜかよく言われます。アキラ・マハラージはまだ僧侶を志していた頃、今協会の本館がある所にしばらく住んでいました」

 

 

 

「落成後、どのくらい住んでいたのですか」

 

 

 

メーダサーナンダ・マハーラージに尋ねられ、アキラ・マハラージが答えました。「約5年です」

 

 

 

5年ですか。それなら建物が早くから霊的エネルギーでいっぱいになったのも当然ですね」(一同笑い)

 

 

 

「アキラ・マハラージはコルカタのカンクルガチ(Kankurgachhi)にあるラーマクリシュナ・マト(ヨゴディヤン支部、Yogodyan)に1983年に入団しました。ラーマクリシュナ・マト・アンド・ミッションの元プレジデント(僧団長)、スワーミー・ブーテーシャーナンダジー(Swami Bhuteshanandajiからイニシエイションを受けました。ブーテーシャーナンダジーは、日本の協会を合計10回、うち1回はプレジデント就任後に来訪しています。アキラ・マハラージは1989年にマーヤーヴァティー(Mayavati)のセンターに行き、1993年にそこでサンニャーシーの誓いを立てましたから、マーヤーヴァティーのアーシュラムに30年いることになります。

 

 

 

マーヤーヴァティーはラーマクリシュナ・ミッションの中でも特別な支部です。スワーミー・ヴィヴェーカーナンダはアドヴァイタ・ヴェーダーンタ(非二元論)を実践できるセンターを開きたいと考えていました。世界各地にある私たちのセンターや寺院には祭壇を置いてシュリ-・ラーマクリシュナ、ホーリー・マザー、スワーミージーの写真を飾り、何らかの儀式や礼拝を行なっています。マーヤーヴァティー・センターにはシュライン(祈祷室)がなく、写真を飾った祭壇もありません。徹底した非二元論者は最高の実在・ブラフマンへとまっすぐ進むことを望みます。

 

 

 

このセンターは1899年、イギリス人のジェームズ・セヴィヤーさんと妻のシャルロットさんがスワーミージーの希望に沿って始めたものです。スワーミージーもここを訪れています。このアーシュラムは人里離れたところにあり、生活に必要なものを遠くから入手しなければなりません。周囲は野生の動物がたくさんいる大きな森で、冬場は寒さがかなり厳しくなりますから、このような場所で霊的修行を続けることがどんな状況か想像がつくでしょう。アーシュラムは書籍の出版などで生計を立てています。

 

 

 

ここを一般の人が来訪してよいのは一年のうち限られた時期だけで、それ以外の時は10人ぐらいの僧侶が自分たちだけで生活しています。昔は、毎朝毎晩同じ顔ぶれを見るという生活でした。朝同じ顔を見て、夜また同じ顔を見、そして床につく、の繰り返しでした。(笑い。)最近では来訪者の入れる時期が増えました。アキラ・マハラージの仕事はアーシュラムの庭の手入れです。この庭は大変きれいで来訪者は皆驚くのですが、誰がこのように庭を美しく保っているのか知りません。また、この庭で育てたバラの花を売ることでアーシュラムは大きな収入を得ています。

 

 

 

アキラ・マハラージは話すことよりも仕事をしていることが好きなので、講話はなかなか引き受けてもらえません。ですが私は、マーヤーヴァティーのことなどどんなテーマでも良いからリラックスして日本語でお話ししてくださいとお願いしました。長い紹介となりましたが、これからアキラ・マハラージに自由にお話ししてもらいます」

 

 

 

ここでメーダサーナンダ・マハーラージからバトンタッチされ、アキラ・マハラージが講話を始めました。(講話の内容は本号のニュースレターに掲載しています)

 

 

 

講話が終わるとメーダサーナンダ・マハーラージは、大変深い内容であったこと、入念に準備がなされていて小さい字でメモがたくさん書いてあることに触れました。これに対しアキラ・マハラージが「(日本に来る前に)ベルル・マトで考えました」と言うと、参加者の間にどっと笑いが起きました。メーダサーナンダ・マハーラージは講話の内容についてさらにコメントし、アキラ・マハラージの言った「実践することの重要性」について繰り返し述べました。また、難しい内容を巧みに通訳したレオナルドさんに感謝を述べました。

 

 

 

その後、音楽プログラムが行われ、日本人信者さんによる「You Lift Me Up」(キリスト教徒の間でよく歌われるものを日本語で)の独唱と数曲の賛歌のコーラスが披露されました。そして最後に、参加者全員で数分間黙想しました。

 

 

 

今回もボランティアの方々のお力を借り、無事生誕祭を終えることができました。皆様どうもありがとうございました。

 

 

 

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20192月 逗子例会

 

スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ生誕祝賀会

 

午後の講話

 

「我々はどうなるべきか~スワーミー・ヴィヴェーカーナンダの描く理想の将来像に近づくには」

 

スワーミー・シャマーナンダ

 

 

 

(スワーミー・シャマーナンダ(アキラ・マハラージ)は、インドのウッタラーカンド州マーヤーヴァティーにあるラーマクリシュナ・アドヴァイタ・アーシュラム(Ramakrishna Advaita Ashrama)に約30年間駐在されています。この度来日し、本祝賀会にて日本語で講話をされました。英語の通訳はレオナルド・アルバレスさんでした)

 

 

 

 

 

はじめに

 

 

 

今、スワーミー・メーダサーナンダジーが紹介されたように、私はマーヤーヴァティーに住んでいます。私がマーヤーヴァティーに行ったのは30年前で、その頃に読んだ本の中にスワーミー・ヴィヴェーカーナンダ(スワーミージー)の思い出を書いた話がありました。それはスワーミージーがある家族の家に住んでいたときの話です。その家には小さな子供がおり、スワーミージーは講話から帰ってくると、その子供と一緒にいろんなことを話しました。話の内容は、未来の人がどのようであるべきか、どのように振る舞うべきか、などでしたが、その少年は小さかったので、話の詳しい内容を覚えていませんでした。それでスワーミージーの回顧録には、彼の印象などを書いただけでした。

 

 

 

それで、私は未来の人々がどのようであるか、どのように振る舞うべきかを考えてみたいと思って、今日はその話をすることにしました。その話をする理由は、私たちが将来どのようになるべきかを知るためです。

 

 

 

自然の背後にある存在への信仰 

 

 

 

この協会のマザーズ・ハウスは2005年に改築されました。そのオープニング・セレモニーには、インドからデリー・センターの長であるスワーミー・ゴクラーナンダジーが来られました。彼がデリー・センターの長になる前は、インド北東部のメガラヤ州のチェラプンジのセンター長でした。インドのメガラヤ州は現在人口が1400万人で、その約半数をカシの部族が占めています。チェラプンジ・センターは学校を運営していて、そのもとには現在70校あり、総生徒数は1万人になります。

 

 

 

ゴクラーナンダジーがそのセンターにいたとき、カシの子供たちが自己紹介書の宗教欄に「自分は無宗教である」と書いていることを不思議に思いました。それで彼はカシの宗教を調べ、それがヴェーダーンタのシャンカラの教えに非常によく似ていることに気づきました。カシの人たちは、ヴェーダーンタの純粋意識と同じように、神は遍在しており神は全ての中に存在している、と考えています。それで彼らは、神は遍在しているのだから特別に寺を作る必要はない、と考えています。彼らは人に仕えることは、神に仕えることだ、とも考えています。カシの人々は純朴で労働の尊厳を重んじ、また心から人をもてなし、礼儀正しいといわれています。

 

 

 

このように聞いていると、なんだか日本の神道のように感じられます。日本もまた、万物に霊があることを認めているからです。このようなアニミズム的な宗教は世界のいたるところに見られるものです。このことは人々が自然の背後に何か霊や神と呼ばれるものを感じていることを示しています。インドのリグ・ヴェーダではさまざまな神を認め、彼らへの賛歌が書かれています。日本の神道でも、八百万(やおよろず)の神といって、多くの神を認めています。このことは、自然の背後に何らかの存在を認めることが、それほど特別なことではないことを示しています。

 

 

 

私がウッタルカーシーにいたときにある経験をしました。そこでは毎朝、食べ物を得るためにサットラといわれる宗教者のために食物を配るところへ行きます。そこへ行けば宗教のいかんを問わず、チャパティを5枚と、ごはん、ダル、一品の野菜料理(サブジ)がもらえます。ある朝、そこに向かっているときに、ある高校の校庭から生徒たちが歌を歌うのが聞こえました。その歌の意味は、

 

 

 

あなたは実に母であり、あなたは実に父である。

 

あなたは実に親族であり、あなたは実に友人である。

 

あなたは知識であり、そしてあなたはこの世の富である。

 

あなたは全てのものであり、私の神々の神である。

 

 

 

というものです。私はそれを聞いて、なぜ高校でこのような歌を歌っているのかと不思議に思いました。しかしインドでは宗教歌を学校で歌ったり、宗教劇を演じることは普通のことと考えられています。これらの歌は何世紀も前の非常に古い歌なのですが、現在でもまだ新鮮な感じがします。日本の古い歌だと現在では、なにか場違いな感じがして歌うのも困難な感じがしますが、インドの歌はそうではありません。現代でもインドでは多くの歌手たちが宗教歌を歌い、CDの発売をしています。

 

 

 

ウッタルカーシーの話が出たので、もう二つそのときに見たことを話します。一つは、ウッタルカーシーには女性たちのグループがあり、彼女たちはエカーダシの日にお寺に集まって、宗教歌を歌います。次のエカーダシの日にはまた別の寺に集まって、同じように宗教歌を歌います。

 

 

 

もう一つの話は、朝にウッタルカーシーの街を歩いていると、数人の婦人たちに出会うことがあります。彼女たちは手にかごを持ち、神妙な顔をして歩いています。彼女たちはどこへ行くのでしょうか? 彼女たちは川へ行き、川の中の適当な石の上に立って、そこでガンジス川を礼拝します。かごの中には線香や花が入っていて、それで礼拝します。そして川の水をコップで汲んでまた川に供えます。

 

 

 

万物に宿る霊は普遍的で唯一

 

 

 

さて、話を戻して、この歌の意味について考えてみましょう。もし万物に霊が宿るのなら、当然、人にも宿ることになるのですから、この歌の言っていることは正しい、ということになります。では、その霊とは何なのでしょうか? 人はそれぞれ別の霊を持っているのでしょうか? それとも同じ霊を持っているのでしょうか? もしそれぞれの霊が違っていたら、それは多神教のようにさまざまな霊が存在することを意味します。霊とは何かを探求した日本人は、それほどいないかもしれません。日本人は建設や工業、機械などの方面ではたいへん実践的なのですが、霊的方面ではそのようにはみられません。世界の国々のほとんどがそのようなのですから、それが普通なのかもしれません。しかし一つだけ例外の国があります。どこの国でしょうか? それがインドの国です。

 

 

 

インドの国の歴史を見ると、国が始まるよりも宗教の歴史の方がはるか前から始まっていたようにみえます。そしてさらに驚くべきことがあります。彼らは、宗教の方面においてはいかなる聖域をも設けることなく、大胆に自由に追求しています。多くの人々が人生の全てをかけて追求し、それらのうちの少数の人が、霊とは何かを直接体験し悟っているのです。彼らは古い時代にはリシとして知られ、彼らの教えはウパニシャドとして残っています。このインド人の傾向は時代が変わっても変わることなく、近代においてもシュリー・ラーマクリシュナやスワーミー・ヴィヴェーカーナンダ、ラマナ・マハリシといった悟った人たちを生みだしています。ではリシたちは霊についてどのように言っているのでしょうか?

 

 

 

シュヴェーターシュヴァタラ・ウパニシャドでは、輝けるものデーヴァが全てのものに入った、といわれています。そしてリシたちによれば、それはさまざまな霊ではなく、同じものが入った、ということです。なぜなら全てのものに入るためには、普遍的でなければならないからです。でなければ、これには入れるが、あれには入れない、ということが起こるからです。それにもし、別々のものが入っていたとするなら、どのようにして考えや言葉や思いを伝えることができるでしょうか? もし私たちが全く別の生き物だとしたら、言葉は通じないことになりますから。したがって、全ての人の中、人だけに限らず、動物や植物の中にも同じ霊、同じ輝けるもの、デーヴァが入っているということになります。

 

 

 

本性を知るほどに成長する

 

 

 

次に問題になるのは、もし同じものが入っているなら、なぜそれぞれに違いがあるのか、ということです。人と人との違いは、考えの違いや肉体の違いだけでしかありません。中に入っているものは変化することなく、存在感として純粋意識として感じられるものです。それは活動することもなく、ただそれが存在することによって、心や体が活動するのです。違いは、入れ物である体や心の違いだけです。しかし、人々はそのことについては全く無知で、何も知りません。

 

 

 

無知とは何でしょうか? それは自分の本性を知らないことと、そして自分でないものを自分と思う、ということです。自分でないものを自分であると思う程度によって、人と人との違いが出てきます。自分の本性が何かを知るほど自分は進歩していることになります。

 

 

 

心と体の制御と神聖な交わりの重要性

 

 

 

チャンドギヤ・ウパニシャドの中に一つ話があります。それは、阿修羅のリーダーであるヴィローチャナと、神々のリーダーであるインドラがプラジャパティのところに行き、アートマンとは何かを学ぼうとした話です。なぜならアートマンの知識を得れば人は不死となり、全ての欲望がかなうからです。それで彼らはプラジャパティのところへ行き、自分たちはアートマンが何かを学びたい、と言いました。そこでプラジャパティは32年間ブラフマチャーリとして自分のもとで修業しなさい、と言いました。

 

 

 

32年後に彼らはプラジャパティに尋ねました。プラジャパティは、水を張った器に見えるものがアートマンである、と言いました。そしてヴィローチャナは自分の姿を水面に見て、肉体がアートマンである、と思いその考えに満足して帰っていきました。そして他の阿修羅たちにも、肉体がアートマンであり、肉体を強く健康に、そして快適に過ごさせることが人生の目的である、と言って教えました。ギーターの第16章には阿修羅たちの性格や特徴について書いてあります。ですから阿修羅たちについて知りたい方は、ギーターを読んでください。

 

 

 

一方インドラも同じように考えて、帰っていきましたが、途中で肉体がアートマンであると考えることは間違っていると思いました。なぜなら、肉体は、いつかは死ぬからです。アートマンの知識を得れば不滅になるはずなのに、滅びる体である、ということはありえません。それで彼はプラジャパティのところに戻り、そのように言いました。プラジャパティは、それならもう32年間自分のもとで修業してください、と言いました。

 

 

 

32年後、インドラがプラジャパティに尋ねると、プラジャパティは答えました。夢の中で活動しているものがアートマンであると。そしてインドラはその答えに満足して帰っていきましたが、また途中で考えました。なぜなら夢の中では肉体の変化には影響されることはないけれど、夢の中では夢の中の経験が変化を与えるから、これもアートマンではない、と思ったのです。それでプラジャパティのところに行き、そのように言うと、プラジャパティは、また32年間自分のもとで修業してください、と言いました。

 

 

 

32年後にインドラが尋ねると、プラジャパティは答えました。深い眠りの中にあるものがアートマンであると。なぜなら、深い眠りの中では、肉体や夢の中の体も影響されないからです。しかし深い眠りの中では、アートマンの知識もなければ、世界の知識もなく、ただ眠っている人は、無意識であるにすぎません。それで、そのような知識に何の益があるか、と考えました。それでプラジャパティのところに戻ってそのように言うと、プラジャパティは言いました。それでは、もう5年間自分のもとで修業してくださいと。それでインドラはアートマンの知識を得るために、101年間修業したといわれています。最終的にプラジャパティがどのような答えをしたかは、協会から出ているウパニシャドの本に書いてありますので、読んでください。(笑い)

 

 

 

この話が言わんとしていることは、アートマンの知識を得ようとすれば、ブラフマチャーリとして修業をしなければならない、ということ。そして悟った人と一緒に過ごさなければならない、ということです。

 

 

 

スワーミー・ヴィヴェーカーナンダは、「それぞれの魂は本来神聖である。人生の目的は、その神聖さをあらわすために、外的また内的制御によって、それをあらわさなければならない」と言っています。ブラフマチャーリの修業というのは、つまり肉体と心の制御をすることです。ラージャ・ヨーガでは、ヤマやニヤマから始まって、肉体の制御を学び、そしてダーラナ、ディヤーナ、サマーディで心の制御を学びます。

 

 

 

次に必要なことは、悟った人との交わり、ホーリー・カンパニーの交わりを保つことです。シュリー・ラーマクリシュナが言っているように、脈の見方を学びたければ医者と一緒に過ごさなければならない、ということです。これは、いわゆる朱に交われば赤くなる、ということです。

 

 

 

この環境による影響力について考えてみたいことがあります。それはオオカミ少年や少女たちの例です。彼らは子供のときにオオカミや他の動物たちによって育てられたために、のちに発見されて人間社会に戻っても、人間になれなかったケースです。人間として成長する時期に、人間となる可能性へ導く通路がなかったために、人間となることができず、動物のままにとどまったケースです。これは子供のころに受ける影響がいかに大きな影響を及ぼすかが分かる例です。

 

 

 

この例は、さらにもう一つの興味深い可能性を示します。それは、もし人が神々の中で育ったらどうなるか、ということです。人間であることを超えて、神のようになるでしょうか? 実際問題としては、私たちは神と会って交流することはできません。しかし私たちにとっては神を思うことが、神と交流することの代わりとなるといえるでしょう。なぜなら私たちの心は、この世界のことと、想像の世界のこと、夢の世界との違いを区別できないからです。ただ私たちが、これは現実世界であれは想像の世界である、と思っていることが違いを作っています。

 

 

 

スポーツの世界では、イメージトレーニングで効果があがることが知られています。医療の世界においても、ガンの病原菌と闘うことを想像することで、効果があがることが知られています。それゆえ、10年、20年と誠実に神を思っている人には、その表情や振る舞いに違いが出てきます。シュリー・ラーマクリシュナが言うように、神を瞑想する人は、神の性質を得るようになるのです。

 

 

 

私は日本に来る前に、ベルル・マトにしばらく滞在していました。ベルル・マトでは毎朝、プレジデント・マハーラージにプラナームをしに行きます。ある朝、プレジデント・マハーラージのいる建物に行くと、その近くに若者たちがいました。それで「今日はイニシエーションがあるのだな」と分かりました。イニシエーションの日はプラナームがないので私は帰りましたが、その時思いました。彼らはイニシエーションを受けることによって、その日から祈りや瞑想、ジャパなどをすることになります。それらの修業は心の静けさをもたらすものだから、日々の生活にも安定をもたらすのだろうと。そしてまた、イニシエーションを受けることによって他にどんなメリットがあるのだろうか、と考えました。彼らはグルを得るだけでなく、シュリー・ラーマクリシュナ、ホーリー・マザー、スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ、直弟子たちや出家僧との関係も深めることになります。このようなメリットを数え上げると、30近くにもなりました。私たちはイニシエーションを受けることによって、神との交流が始まるのだと分かります。

 

 

 

ここまでのまとめ

 

 

 

今まで述べたことをまとめると、第1に、ある人たちはこの世界の背後に神または霊の存在を感じたということ。そして人の中にも霊が宿っている、ということです。第2にリシたちによれば、その霊または神は普遍的で唯一の存在であるということです。第3として、その霊が何かを知るほど人は成長するということです。第4にその霊が何かを知るためには、私たちは、心と体の制御とホーリー・カンパニーが必要だということです。

 

 

 

スワーミー・ヴィヴェーカーナンダのメッセージ

 

 

 

最近の若者たちは、自分は無宗教だという人たちが増えました。まるでそれが何か進歩的であるかのように言いますが、しかし彼らは無宗教というよりは、無関心といった方がよいでしょう。犬や猫も宗教を信じていませんが、それが何か進歩的なことでしょうか? そのような人たちは、物質的な生き方をするしかないでしょう。

 

 

 

スワーミー・ヴィヴェーカーナンダは、人間社会から宗教を取り除いたら何が残るか? 野獣たちの森だけである、と言っています。しかし、宗教を信じるか信じないかはそれほど大きな問題ではありません。人にとってもっと大きな問題は、自分が存在するかどうか、ということです。もちろん自分が存在していることには、誰も疑いを持たないでしょう。しかし自分が何か、自分の本性は何か、ということについては、彼らは全く知りません。自分が何かということを知らないで、自分は生きている、ということはできるでしょうか? 自分は生きているけれども、自分は誰だか知らないというのはおかしな話です。誰が生きているというのでしょうか? もし自分が何か、ということを探求していくと、自分というものは見つからず、心の奥深くに私たちが神と呼んでいるような何か、を見つけだすでしょう。そして自分の中に神を見いだすとき、他の人々の中にも神が存在するということが分かります。

 

 

 

スワーミー・ヴィヴェーカーナンダは言っています。全ての人間の体という神殿の中に神が座っているのを悟るとき、敬いをもって全ての人の前に立ち、彼の中に神を見るとき、その時私は束縛より自由となる。全てが神となったとき、神は全てであり、全ては私である。そのとき魂は浄くなる。その時にのみ、愛とは何かを理解すると。私たちが見なければならない神は、空のはるかかなたにいる神ではなく、私たちの中にいる神です。

 

 

 

スワーミー・ヴィヴェーカーナンダはこうも言っています。誰も何らかの宗教のために生まれたのではない。人は自分の魂の中に宗教を持っている。真の宗教は私たちの中の魂の目覚めからであると。

 

 

 

自分と他人の中に神を見、敬い愛する社会(スワーミージーの将来像)にするために

 

 

 

初めに述べたように、スワーミー・ヴィヴェーカーナンダの思い描いた未来の社会の人々の姿は、今まで述べてきたことから理解できると思います。それは自分の中に神を見、そして他の人の中にも神を見、敬い愛する社会です。そしてそのような理想社会の姿は、未来に作られるだろうというものではなく、実を言えば、昔からすでに存在していたものです。リシたちが最高の真理を悟ったとき、当然そのような社会を自分の周りに小さいながらも形成していたでしょう。同じようにいつの時代にも悟った人たちの周りには、理想の社会が小さいながらも形成されていました。当然ながら私たちもそのような社会を作ることができることを示しています。

 

 

 

そのような社会を作るために必要となるものは、私たちが自分の本性をどこまで悟れるか、そして他の中の神をどこまで見ることができるかにかかっています。

 

 

 

おわりに

 

 

 

今日はスワーミージーの生誕祭で、私たちはこの機会にスワーミー・ヴィヴェーカーナンダの人生や教えについて考えることができます。スワーミー・ヴィヴェーカーナンダの教えは、全ての人々に向けられた普遍的な教えであって、何らかの小さな宗教や、教義ドグマを説くためのものではありません。彼は、人の本性は神であることを教えるだけです。私たちはこのような機会を持つことによって自分の本性が何か、ということを聞き、自分の人生をもっと良いものにできると思います。そしてそのために努力をするようになるでしょう。皆さんがそのような努力をされることを願って、私はこの話を終わります。

 

 

 

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忘れられない物語

 

 

 

地蔵を召し捕る

 

 

 

ある暑い日、木綿の反物をいくつも担いで歩いていた商人が、休息を取ろうと大きな地蔵の前で足を止めた。商人は荷を下ろして休んでいるうちに居眠りをしてしまい、ふと目を覚ますと反物が全て無くなっていた。慌てて番所に行き、事の顛末を話した。

 

 

 

調べに当たった町奉行は命じた。「これは地蔵が盗みを働いたも同然だ。皆の福利を守るのが地蔵の仕事であるのに、尊い責務を充分に果たさなかったからこのようなことが起きたのだ。地蔵を召し捕れ」

 

 

 

役人は地蔵を奉行所に運び込んだ。地蔵にどんな裁きが下りるのだろう。興味津々の町の人々が奉行所にどっと押しかけ、裁きの場はひどくざわついた。

 

 

 

奉行はこれを見て言った。「奉行所にこのように来て騒ぐとは何たることだ。ここをどこだと思っているのだ。罰として科料の支払いか投獄を命じることもできるのだぞ」

 

 

 

町人らは慌てて詫びた。「それでは科料の代わりに、ここにいる全員が三日以内に木綿を一人一反ずつ持ってまいれ。背いた者は牢獄行きとする」

 

 

 

町人が反物を持ち込むと、その中に盗まれた反物があるのを商人が見つけた。盗人は簡単に捕まった。商人は盗まれた反物を全て取り返し、持ち込まれた反物は残らず町人に返された。

 

 

 

(出典:101 Zen Stories。出典の英文は日本の昔話「しばられ地蔵」が原典と思われる)

 

 

 

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今月の思想

 

 

 

「人生とは単純明快であるが、人がこれを複雑にしている」

 

…孔子

 

 

 

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