今月のニュースレター

 

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ヴェーダーンタ協会ニュースレター(日本語版)

日本ヴェーターンタ協会の最新情報

20246月 第22 巻 第6

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かく語りき――聖人の言葉

手に取った花の香りを嗅いだり、石に白檀を擦り付けて香りを嗅ぐように、絶えず神を想うことで霊的目覚めが得られます。

…ホーリー・マザー・シュリー・サーラダー・デーヴィー

 

神を見たいなら、欲望を殺してしまいなさい。欲望は心の中にある。何かに対する欲望があるとき、そのための行動をしなければ、その欲望は消え去る。このお茶を飲みたいのなら、飲むな。そうすれば飲みたいという欲望は消え去るだろう。

…ニーム・カロリ・ババ

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目次

・かく語りき――聖人の言葉

・お知らせ

20248月の生誕日

2024519日 仏陀生誕祭

林慈照(七沢観音寺住職)による講演

202461日 スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ生誕祝賀会

歓迎のご挨拶

スワーミー・メーダサーナンダ

202461日 スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ生誕祝賀会

歓迎スピーチ

駐日インド大使 シビ・ジョージ閣下

・忘れられない物語

・今月の思想

 

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お知らせ

・各プログラムに参加を希望される方は、協会までご一報ください。

・日本ヴェーダーンタ協会の行事予定はホームページをご確認ください。

https://www.vedantajp.com/

 

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20248月生誕日 

スワーミー・ラーマクリシュナ-ナンダ    82日(金)

スワーミー・ニランジャナーナンダ        819日(月)

シュリー・クリシュナ ジャンマシュタミ   826日(月)

 

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2024519日  日本ヴェーダーンタ協会本館

 

仏陀生誕祭

スワーミー・メーダサーナンダによる紹介

 

お釈迦様の生誕祭にお越しいただきありがとうございます。皆さんご存知のとおり、ラーマクリシュナ僧院は宗教の調和を信じています。シュリー・ラーマクリシュナ、スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ、ホーリー・マザー・シュリー・サーラダー・デーヴヴィの生誕日だけでなく、主イエス、シュリー・クリシュナ、お釈迦様の生誕日も祝いますし、日曜日には、主イエス、お釈迦様、預言者ムハンマドの教えの一節を読みます。主イエスとお釈迦様の誕生日は、ベルル・マトとラーマクリシュナ僧院のほぼすべての支部センターで祝われています。

本日は、お釈迦様についてこの講演をしていただく林慈照さんを心から歓迎します。

 

 

仏陀生誕祭

林慈照(七沢観音寺住職)による講演

 

皆さま、こんにちは。現在、七沢観音寺の住職をしている慈照です。七澤観音寺は厚木市の七沢温泉地の中にあるお寺です。私はカーリー・プージャが大好きでお参りさせていただいているのと、息子がマハーラージ(スワーミー・メーダサーナンダ・マハーラージ)に名前を付けていただいたことから、私たちはヴェーダーンタ協会ととても深いご縁があります。ここにお招きいただきお話をさせていただく光栄に恵まれましたことに大変大きな喜びをいただいています。ここに来られたのはシュリー・ラーマクリシュナの祝福だと感謝しています。

 

仏陀が肉体を持ってこの世界におられた時代から2500年以上たっていますが、その時代にはなかった新しいさまざまな問題が次から次へと起こっています。日本は安全に暮らせる国と言われてきましたが、それにも限りが見えてきています。インターネットの恩恵でたくさんの情報が手に入り、豊かになったにもかかわらず、嬉しくなったり元気になったりするような話は非常に少なく、たとえ楽しい話を聞いたとしも、どこか心の奥に不安がずっと残る時代がやってきました。仏陀が肉体をお持ちであった当時のインドもまさに日本でいう戦国時代のような状態で、いくつも国が勢力を競い合っているような非情に不安定な状態でした。その中でも釈迦族は小規模で温和な農耕民族でありながら、大きな国からいつも侵略される危機にありました。

 

この釈迦族の王子であったシッダールタ王子は生まれつき体があまり強くなく、優しくて繊細な性格だったといわれており、こうした戦乱の世がもたらす危機感や、自分の国の人々が常に脅かされたり、苦しんだりしていること、またいつか近いうちにこの大変な国を自分が背負って良くしていかなければならないというプレッシャーを強く肌で感じていたと思われます。

 

生老病死からくる苦しみを解決したいと強く願い、シッダールタ王子は29歳で出家して王国を後にします。そしてその後苦行をしたり、瞑想をしたりして、35歳で悟りを開き、出会う人々を苦しみから解放するためだけに約45年間旅を続け、80歳でニルヴァーナ、涅槃に入られました。

 

こうして始まったのが仏教ですが、仏陀は肉体を持っておられるときに、自分の教えを記録したり体系化したりなさいませんでした。目の前で苦しむ人や弟子の性格や修行の進み具合、毎日変化していく状況、その時その時の状態に合わせてその瞬間に一番必要なことをその人に一番分かりやすい伝え方で教えていたので、仏陀の教えをすべて文章にしたり記録することはできなかったのです。これを対機説法と言います。そしてこの対機説法というものが、おそらくシュリー・ラーマクリシュナがされていたものと同じ、人を導き、解放する方法だったと考えております。シュリー・ラーマクリシュナと弟子たちとの親密な会話がもっともっとあったと想像できます。2500年前の仏陀の時代にも、現代には伝わっていない弟子や信者たちとの素晴らしいお話がたくさんあると思います。

 

仏陀やラーマクリシュナやほかの宗教的な教師たちが一見何でもない冗談のような話をしていても、その時、目の前にいる相手に非常にふさわしい教えを与えている、ということがあります。どんな相手にも、どんな時にでも、言葉や動きまですべて誰かに対する教えになるというのが、対機説法ですが、シュリー・ラーマクリシュナなどの優れた霊性の師たちはこれによってつねにどんな時でも人々を導いていると思います。そして後で信者たちはその重要さに気付くのです。

 

では、現在仏陀やシュリー・ラーマクリシュナが肉体を持たれていないこの時代に私たちはどうなるのでしょうか?

 

仏教では、「正法、増法、末法」という三つの時代があるといわれています。まず正法ですが、仏陀が涅槃に入られてから約1千年間続く時代であると伝えられています。この正法の時代にはまだ仏陀の教えが正しく残っていて、その教えを正しく実践する修行者もいて、修行すればその成果がしっかりと自分でも自信をもって感じられるという良い時代です。

その次にこの正法が終わってからの千年間を増法と言います。この増法の時代にも、仏陀の教えを実践しようと努力する修行者はいます。しかし正法の時代と違うのは、修行した成果が感じにくくなっている、という特徴があることです。自分の修行がうまくいっているのか、正しく進んでいるのが感じにくいので、だんだん修行者たちがそういった理由から形に執着して形骸化していきます。

そして正法と増法が終わり、最後に悪名高い末法という時代がやってきますが、この末法になると、仏陀の教えは残っていますが修行する人がいなくなり、たとえ修行するとしてもその成果がほとんど感じられなくなるという特徴があります。正しく修行をしても自信を持つことが難しく、それが正しいかどうか判断することがさらに難しいのです。したがって偽物が増えてたくさんの人が惑わされるということになります。この末法は千年ではなく一万年ともいわれています。長い困難の時代です。

 

ここでラーマクリシュナの言葉をそのまま引用すると、「カリユガでは、人の生活は完全に食物に依存している。どうして彼が、ブラフマンだけが実在で世界は幻である、という悟りなどをもつことができるだろうか、カリユガでは『私は肉体ではない、私は心ではない、二四の宇宙原理ではない、私は快苦を超越している』という感じを持つことはむずかしいのだ。

 

このカリユガ時代というのがまさしく現代の末法のことでして、現代で霊性の修行の成果を実感し、自信をもって正しく修行を続けていくことがいかに難しいかについて、このようにラーマクリシュナも言われています。「また、私は『彼』であるといううぬぼれはよくありません。肉体が自己であるという意識を持ちながら、そのような虚栄を張るなら、その人にきわめて大きな害をもたらします。向上することもできず、次第に堕落します。ほかの人を騙し、自分を騙し、自分の状態を理解することができません」と、このように言葉が続いています。修行が困難なだけでなく、道を間違える大きな危険性もある時代であると約100年前にラーマクリシュナご自身が言われているわけです。

 

あまり俗世間という言葉は使いたくないのですが、世界が顕現してあらわれている状態、つまり今、我々が生きているこの世界を実在として感じている状態で、なんの象徴やシンボルにも頼らず、なんの助けも借りずに、今この状態から私は「彼」であるという完全な状態をあらわそうとすることは、非現実的であると言えると思います。本当に今、自分という状態を生きているだけでも危険で、たとえ豊かに見えていても実際はたくさんのものに常に脅かされており、そもそも日常生活そのものが困難なのですから、自分はあらゆる権限を越えた存在であると考えることは矛盾があります。

 

例えば日本仏教の一宗派である臨済宗の臨済義玄という人の言葉で、「仏に逢うては仏を殺し、祖(祖先)に逢うては祖を殺し、羅漢に逢うては羅漢を殺し、父母に逢うては父母を殺し、親族に逢うては親族を殺し、始めて解脱を得ん」という非常に力強い言葉があります。それはもちろん人をたくさん殺す、ということではありません。自分の思い込みや今まで生きてきたうえでの固定観念を、例えば家族に対する愛着や信仰でさえも、激しい勇気をもってすべて捨てなさい、という意味です。執着や煩悩だけではなく、聖なる象徴や聖典、神の姿までもすべて自分と実在の間にどんなものも挟まないぞ、という強い意志の力だけを頼りに悟りを開く道の言葉です。

 

ラーマクリシュナは、愛する偉大なカーリー女神があらわれて、いつものように自分に微笑んでくれるのを見て、トター・プリーに「だめです、何度やってもカーリーマーがあらわれて魅了されてしまいます」と伝えたところ、何だと、できないとは何事だ、と言われトター・プリーはそのあたりにあったガラスの破片をラーマクリシュナの眉間に突き刺して、心をこの一点に集中せよと雷のような声で命令したといいます。ラーマクリシュナはその時のことをこうおっしゃっています。「私はその時、断固とした決意をもって知識を剣とみて、知識の剣でマザー・カーリーのお姿を切りました。そうするとすぐにブラフマンと私は一つになりました」 そしてそのまんま無分別三昧、ニルヴィカルパ・サマーディ、この最高のサマーディに入られて、三日間もそのまんまとどまられた、ということです。これは先ほど述べました臨済義玄の言葉である、「仏に逢うては仏を殺し、始めて解脱を得ん」の実践です。すべてから解放されるには、こんなにも激しい決意と識別の知識と勇気が必要だということですね。

 

仏陀もこのような完全な放棄を実践されています。浄土、つまり悟りを開くその直前にマーラーから誘惑を受けます。マーラーは、欲望や悪魔と訳されますが、欲望とは人間が生きる力、そのものであります。生があるから死があるわけで、この生と死とまた次の転生、つまり輪廻、サムサーラの原因となるのが、マーラーです。このマーラーが手下を引き連れてやってきて、仏陀を脅したり誘惑したりして邪魔をしたといわれています。そうかと思えば逆に「あなたは修行によりやせ細り、顔色も悪い。死が近づいているのだ。だがあなたは生きるべきである。生きてこそ功徳を積むことができるのだ。まずは国に帰って王位を継いで生きようではないか」と仏陀の修行を優しくいたわり深くねぎらったといわれています。功徳を積めば、確かに快適さや豊かさといってよい結果をもたらしますが、マーラーは功徳を積んでその良い結果に執着するなら、生に対する束縛からも逃れられなくなることを知ったうえで、仏陀に功徳を積むことすら勧めたのです。

 

しかし仏陀は「私には確信があり、勇気があり、知恵がある。去れ、滅ぼすものよ」と知恵と識別、ギャーナとヴィヴェーカの力によって、すべての妨害を退けて、生と死の束縛から完全に開放されました。恐ろしい死の恐怖も苦しみも、また最高の生の誘惑も功徳を積むことさえも退けられました。そして、七日間サマーディに入ったままであったと言われています。おそらくこの仏陀の体験とラーマクリシュナのニルヴィカルパ・サマーディは同じものだと考えています。

 

名前と形から完全に開放されることで解脱するということは、名前と形があるだけで、解脱の妨げにもなるということです。ということは、偶像を作ることは、正しく教えを伝える妨げになる、ということになり、そういった理由から初めのころは仏陀の像は作られませんでした。また、ラーマクリシュナがニルヴィカルパ・サマーディの状態は言葉ではあらわせない、といったように、仏陀の教えやその存在の素晴らしさも言葉として表現できず、仏陀の言葉も初めのころは文字として残されず、基本的には人から人へ口伝によって伝えられまして、それをのちに弟子たちがまとめて整えたものがお経です。そして現代の世の中で仏陀の弟子でありたいと願う日本の僧侶はこのお経を読んでいるわけですが、結論から言いますと、このお経や仏陀の像があることで本当に助かっているわけです。肉体をもった仏陀に会うことができない私たちには、お経や仏像がなければ仏陀の正しい教えを学ぶどころか、彼がどのようにして苦しみというものを理解して、それを人々から取り除いていったかについて、考える事すらもできないわけです。このようにして実際に名前と形に助けられていますので、現在の我々の立場から仏陀の像を通して彼を想うことは自然であると考えています。仏陀もラーマクリシュナもこの相対の世界に生きている人々が自分自身のいるところからスタートすることを否定せず、勇気を与えます。

 

霊性の修行についても、人間にはもっと勇気が必要ですが、人の生活というものは厳しくて孤独なもので、現代の人の心は特に非常に疲れています。もしこんな時に本当にお釈迦様の言葉が聞けたなら、人はもっと修行する勇気を持つことができるだろうと思います。人は勇気を持てないと、修行どころか生きる力も失っていきます。罪を犯したり、怒りや悲しみや執着によって勇気を失い、自分は信仰の道を歩む資格などないのだと感じたりしてしまうのです。仏教ではこれを「徳分を失う」といいます。

 

このようにして努力の成果も出にくいカリユガ「末法」は、修行する人だけではなく、良い資質の人がますます減っていってしまうわけです。そこであまりにも時代が暗く、人々の心が苦しみ深くなったので、ラーマクリシュナのような神の化身があらわれた、ということになると思います。

 

先ほど述べましたように、人は時には神に向かう道の途中で大きな罪を犯したり、問題に巻き込まれて怒りや憎しみを持ったりなど挫折するようなことが多くありますが、しかしむしろそんなときにこそ、聖シュリー・ラーマクリシュナはおっしゃいます。「神を信じている人がもし牛やバラモンを殺すような大きな罪を犯しても、それでもなお神を信じる力によって、非常に大きな罪からでさえ救われることができるでしょう。彼がもし、私は二度とそのようなことはしません、と懺悔するなら、彼はどのようなことも恐れはしません」

 

幾たびも幾たびもたとえ犬に生まれ変わることになってもよい、もしそうすることによってたった一個の魂でも助けることができるなら、自分の肉体の二万でも喜んで捨てよう。

こうした強い言葉で人は信仰に向かう勇気を与えられます。本物の霊性の教師たちは肉体を持たなくても、人々に力を与えることができます。勇気というのは、霊性の力そのものですので、聖ラーマクリシュナも仏陀も同じように自分のもとにやってくる人に、霊性の力を今、この瞬間も与えている、ということになります。自分も神に会えるかもしれないだけではなく、神様は自分の家族だったのかもしれない、そう思うだけで、人は勇気が湧いてきます。

 

最後になりますが「涅槃経」というお経があります。仏陀が旅の最後に大般涅槃、マハーニルヴァーナに入る、肉体を捨てられるその日の最後の説法をつとめたお経であるといわれているものです。日本仏教に非常に大きな影響を与えたお経で、私が席を置かせていただいている伝教大師最澄様の開いた天台宗では、根本経典である「法華経」と並ぶよりどころともなり、このお経の中にたくさん素晴らしい言葉が出てきます。

 

中でも「すべてこの世界のあらゆるものは仏となり悟りを開ける」という意味の「一切衆生悉有仏性」という言葉があります。あらゆるものに仏性つまり悟りの可能性、仏の種の部分があるので、したがって目に見えないものも、砂粒や動物や星でも目に見える仏陀だけではなく、この世に存在する何もかもが仏になろうとしていると同時に、私たちを本来の純粋な状態に立ち返らせようとして、仏の説法のように働いている、という意味です。

 

また、「仏陀の本質は永遠に我々とともにある」という「如来常住」「常住法身」といった言葉が出てきます。我々、特に日本の大乗仏教徒は、あらゆる限定を超えた常住、つまり不滅の仏陀、永遠の仏をよりどころとすべきだと大胆に説かれており、まさに今この瞬間も仏陀から教えを受けている、ということになるのです。

 

このような理由から、孤独や困難を感じたら、今も仏陀やラーマクリシュナが自分を悟りに向かわせようとしているのだと思い出していただくことは、間違いのないことなのです。彼らは肉体を失ったのではなく、ご自身の力で形と名前を超え、時間も距離も超え、より我々に近いところから、より自由な方法で、今、我々に触れているのです。

 

今日のこの話は、私の自分自身のためになるものでした。皆様にも何か参考になるところがありましたら、嬉しく思います。私はお寺の生まれではなく、在家の出から出家して、比叡山で百日の回峰行という修行をさせていただきました。私の師匠は千日の回峰行者の上原行照大阿闍梨でございます。また、比叡山に入る前には、羽黒山で十年ほど山伏をしておりました。修験道、山伏の育成にも現代務めております。日本にはまだまだこうした力のある教えは残されていますので、山の修行やほら貝、滝などに興味がある方がおられましたら、また厚木のほうまで訪ねていただけたら、お答えできることもあるかと思いますので、遠慮なくご相談ください。本日は皆様ありがとうございました。マハーラージ、ありがとうございました。

 

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202461日 インド大使館

スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ生誕祝賀会

 

歓迎のご挨拶

スワーミー・メーダサーナンダ

 

ナマスカール

本日の祝賀会の主賓である安倍昭恵夫人、駐日インド大使のシビ・ジョージ様、ジョージ夫人、司会のランジャン・グプタ様、基調講演のラジブ・ショウ教授、本日の「スワーミー・ヴィヴェーカーナンダの鼓舞するメッセージ」セミナーの講演者の方々、舞踊や歌の出演者の方々、そして主催者を代表してご列席の皆様を心より歓迎いたします。特に、安倍昭恵夫人のご臨席を心から歓迎いたします。

 

スワーミー・ヴィヴェーカーナンダは、現代インドで最も輝かしい人物の一人であり、その時代に初めてインド国外に旅立ったインドの著名な精神的・文化的大使です。1893年にシカゴで開催された世界初の宗教議会における彼の歴史的なスピーチは、普遍性、調和、平和というメッセージにより、演説の最高の見本のひとつとなっています。ちなみに、このときヴィヴェーカーナンダはシカゴに向かう途中、無名の僧侶として2週間日本を訪れています。ヴィヴェーカーナンダは、著名な日本人たちから日本を再訪し、魂を揺さぶるメッセージを日本で伝えるよう招かれ、来日を熱望していたにもかかわらず、体調不良のため実現できませんでした。

 

インドのラーマクリシュナ・ミッションは、ヴィヴェーカーナンダによって創設された世界的な精神的・慈善的な組織です。ラーマクリシュナ・ミッションの日本での唯一の支部である日本ヴェーダーンタ協会は、ヴィヴェーカーナンダが強調したインドの伝統的な価値観を60年以上にわたって日本で広め、地域の人々の精神的、霊的な支えとなっています。また、ヴィヴェーカーナンダ生誕記念祝賀会の開催をはじめとするさまざまなプログラムを通じて、インドと日本の間に人と人との親密な関係を築く活動もしています。これは祝賀委員会の指導のもと、これまでおよそ30年にわたって行われてきました。インド大使館は当協会の活動に対して常に同情的でご支援下さり、近年では特にヴィヴェーカーナンダにちなんで命名された大使館の文化センターと緊密に協力しながらこの祝賀会を開催しています。私たちの協会は、このことについて大使館に大変感謝しています。また、ヴィヴェーカーナンダ文化センターの現所長であるカニカ・アガルヴォル氏にも感謝の意を表します。

 

最後に、本日は安倍昭恵夫人もご列席ですので、故安倍晋三元内閣総理大臣について簡単に触れておきたいと思います。安倍首相はヴィヴェーカーナンダのことをご存知で、2007年のインド国会での合同会議での演説の際に、彼のシカゴでの演説を何度か引用されました。また、2013年にインド大使館で開催されたスワーミー・ヴィヴェーカーナンダ生誕150周年記念式典の際にも、賛同のメッセージを寄せてくださいました。皆様を心から歓迎いたします。ありがとうございます。ナマスカール!

 

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202461日 インド大使館

スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ生誕祝賀会

歓迎スピーチ

駐日インド大使シビ・ジョージ閣下

 

皆様、こんにちは。

本日の式典にご来場の皆様を心から歓迎申し上げます。インドの若者の尊敬を一身に受けるスワーミー・ヴィヴェーカーナンダの生涯を祝うため、これほど多くの皆様にお集りいただいたことを大変うれしく思います。

 

本日は主賓として安倍昭恵様をお迎えいたしております。主賓としてご参列いただくだけではなく、ご挨拶を賜れるとのこと、心から感謝申し上げます。安倍昭恵様はご主人の故安倍晋三元首相とともにインドに関与し続けてくださり、今も関心を持ち続けてくださっています。在日インド大使館、また、本日のご来場者様を代表し、改めて歓迎申し上げます。ようこそお越しくださいました。また本日、インド大使館と本式典を主宰している日本ヴェーダーンタ協会の皆様にもお祝い申し上げます。

 

本日、私たちはスワーミー・ヴィヴェーカーナンダという個人ではなく、スワーミー・ヴィヴェーカーナンダという言葉では語りつくせない世界における出来事を祝うために集いました。スワーミー・ヴィヴェーカーナンダはインドという国に彗星のごとく登場し、インドに新たな目覚めをもたらした功労者です。私も学生時代に「立ち上がれ、目覚めよ、ゴールに達するまで立ち止まるな」というスワーミー・ヴィヴェーカーナンダの強力なメッセージを繰り返し唱え、大きな影響を受けた一人です。

 

スワーミー・ヴィヴェーカーナンダは奉仕、そして自己犠牲の精神を特に重んじていました。中でもユヴァ・シャクティ(Yuva Shakti)に対するスワーミージーの信念はゆるぎないものでした。その信念はスワーミー・ヴィヴェーカーナンダの「100 人の心ある若者を与えられれば、私はインドを変革する」という代表的な言葉にもあらわれています。ここでいう信念とは、自分自身を信じる、という意味です。

 

モディ首相も「インドの独立運動家はスワーミー・ヴィヴェーカーナンダの影響を受けている」と述べるなど、スワーミージーによく言及されています。また「スワーミー・ヴィヴェーカーナンダの言葉には、若者の中に母国を愛する心を育てる力がある。インドが独立を果たした現代でも、スワーミージーの影響は残っている」とも述べられています。今、この瞬間、モディ首相はスワーミー・ヴィヴェーカーナンダが悟りに達したといわれているインド南端のアラビア海とインド洋、ベンガル湾が交わるカンニャクマリ記念公園を訪問されています。これは全く驚くべきことではありません。

 

ご友人の皆様、私は学生時代、そして外交官のキャリアを開始した後も、カンニャクマリ記念公園やコルカタにあるスワーミー・ヴィヴェーカーナンダの生誕地、そして1893年にスワーミージーがインドの重要な文明的精神である「vasudhaiva kutumbakamヴァスダイヴァ・クトゥンバカム(世界は一つの家族)」というマントラを世界に示した歴史的演説を行ったシカゴ、といったスワーミージーにまつわる場所を訪れる機会に恵まれました。スワーミージーのメッセージは世界中に広まっています。スイスもその一つです。スイス大使として着任していた際、1896年のスワーミージーの訪問を記念して銅像が建てられたアルプスの美しい山脈都市サッシを訪問しました。大変多くのインド人観光客、外国人観光客が訪れ、スワーミージーの功績に思いをはせていたのを見て、大変感激したことを覚えています。

 

本日、私たちはスワーミージーの生涯を祝うために集っています。スワーミージーは1893年にシカゴに向かう途中に日本に立ち寄られています。日本の偉大さのカギは、日本人の自信、そして母国に愛する気持ちである、と述べられていた、と言われています。2022年にモディ首相が来日した際に開催された在日インド人コミュニティとの交流会でも何度もスワーミージーの言葉に言及されていたことも申し添えます。

 

ご友人の皆様、日本におけるスワーミージーの影響について語るとき、2007年にインドを訪問した故安倍元首相がインド国会で行った演説の冒頭でスワーミー・ヴィヴェーカーナンダに言及されたことを忘れてはなりません。安倍首相は「私のあいさつの冒頭でインドが世界にもたらした素晴らしい精神的リーダーであるスワーミー・ヴィヴェーカーナンダについて触れることができ、大変うれしく思います。世界の異なる場所で生まれた異なる流れは、すべてこの広い海で交わるのです」と述べられました。また安倍首相は「ヴィヴェーカーナンダは近代日本にルネッサンスをもたらした岡倉天心と知り合いました。岡倉天心はヴィヴェーカーナンダを通じ、ヴィヴェーカーナンダを生涯にわたり支えた献身的な弟子で、のちに社会改革の女性指導者として活躍したシスター・ニヴェディタとも知り合いました」と述べられました。さらに演説の後半でも安倍首相はもう一度「ヴィヴェーカーナンダの言葉を引用することをお許しいただきたい。シカゴでの意義深い演説の最後にヴィヴェーカーナンダは、『助けよ、そして戦うな』そして『破壊ではなく同化』さらに『紛争ではなく、調和と平安』と述べています」とヴィヴェーカーナンダについて言及されました。ヴィヴェーカーナンダの生誕150周年にも式辞をお寄せくださり、今後もヴィヴェーカーナンダの偉業、そして言葉は日本の人びとの心の中に生き続けるであろうと言ってくださいました。

 

ご友人の皆様、スワーミージーの言葉はこれからもインド人、そして世界の人々に影響を与え続けることでしょう。本日お越しいただきましたこちらのホールは、スワーミージーにちなみ、スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ文化センターと名付けられています。去年はこのホールでスワーミージーの肖像画の除幕式も行いました。この肖像画は大使館を訪れる人々に、インドの若者に活力を与え、彼らに気づかせ、創造的なエネルギーを解き放つよう働きかけたスワーミージーの功績を思い起こさせることでしょう。スワーミージーが示したインドらしさはこれまでも私たちを導き鼓舞してきました。そして今も何百万人もの若いインド人を鼓舞し続けています。

 

本日の式典に向け、在日インド大使館とご尽力くださった日本ヴェーダーンタ協会の皆様、ボランティアの皆様、式典実行委員会の皆様、そして本日ご来場の皆様に感謝申し上げ、私のご挨拶とさせていただきます。ありがとうございました。

 

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忘れられない物語

 

「ヴィルワマンガラ 」

スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ作

 

ある村に若い男がいた。その男は別の村の悪い女に恋をした。二つの村は大きな川で隔てられていたので、男は毎日渡し船でその川を渡り、その少女のもとへ通っていた。ある日、彼は父親の葬儀を執り行わなければならなかった。少女のところへ行きたい、行きたくて死にそうだ、それなのに行けない。(ヒンドゥ社会では)絶対に儀式の数々をしなければならない。彼はやきもきイライラしたが、どうしようもない。やっと儀式が終わり、そして夜になった。

 

夜になると、すさまじく唸るような嵐がおこった。土砂降りの雨、川には巨大な波が打ちつける。

川を渡るのはあまりに危険だった。それでも彼は川岸へ行った。渡し船はない。しかし、男のハートは娘への愛で今にも狂いそう。彼は行くことにした。一本の丸太が流れてきたではないか。若い男は丸太をつかみ、それを使って川を渡った。向こう岸につくと、丸太を引きずり上げ、川岸に投げて、館へと向かった。

 

館の扉は閉まっていた。扉をたたいても誰にも聞こえない。そこで男が館の塀沿いをまわると、なんとか塀からぶら下がっているロープらしきものを見つけた。彼はそれをつかみ、そのロープの助けを借りて塀を乗り越え敷地内に入ったものの、足を滑らせて落ちてしまった。その音で館の住人たちが目覚めた。あの少女が出てきて、気を失っている男を見つけた。娘は彼の意識を取り戻させたものの、彼の非常に嫌な臭いに気づき「一体どうしたっていうの? あなたの体、とっても臭いわ」と言った。

「なぜって、そこにロープを置いてくれたのは、愛しの君ではないのかい?」

少女は笑いながら「愛しの何ですって? 私たちはお金のためにやってるの。私があなたのためにロープを下ろしたと思うなんて、馬鹿じゃないの? どうやって川を渡ったの?」と言った。

「丸太につかまってきたんだ」

「じゃあ、行って見てみましょう」

そのロープはコブラで、男はコブラの尻尾をつかんでいたのだ。男はコブラのしっぽをロープだと思った。愛の狂気のなせる業だ。

「その丸太はどこにあったの?」

「川から流れきた」

丸太は腐った死体だった。激流が死体を流れ落とし、男はそれを丸太だと思った。だから男はあんなに臭かったのだ。少女は彼を見つめて言った。

「私は愛なんて信じたことがないの。私たちは愛が何かなんて知らない。でもね、お友達さん、どうしてあなたは私のような女にそのハートを捧げるの? 神様に捧げればいいんじゃない? そうすればあなたは完全になれるのよ」

 

男の頭に雷が落ちたかのような衝撃。

「神はいる?」

「ええ。お友達さん、神様はいらっしゃるわ」

 

それから男は歩き続け、森に入り、泣きながら祈り始めた。

「おお、神様、私はあなたが欲しい。そこにおられるのでしょう。どうか私のところに来てください」

それから男は何年もそこに留まった。数年後、彼は成功したと思った。男は出家僧になり、町々に行った。ある日、川岸に座っていると、その町の商人の妻の美しい若い女がやって来て、そこを通り過ぎた。

 

古い狂気が再び彼の中で目覚めた。その美しい顔にまたもや魅了されたのだ。ヨーギーは若い女をずっと見た。立ち上がると、女の家までついて行った。間もなく夫が出てきて、黄土色の服装の出家僧を見て言った。

「どうぞお入りください。何をして差し上げればいいでしょう?」

「ひどいことをお願いします。私は奥様にお目にかかりたいのです」

夫は言った。「主よ、どういうことでしょう! 私は清らかですし、妻も清らかです。そして主はすべてを守ってくださっています。どうぞ、お入りください」

男が入ってくると、夫は出家僧を妻に紹介した。

「何をして差し上げればいいでしょう?」と妻は尋ねた。

男は何度も若い女を見つめてから言った。

「母よ、あなたの髪のピンを二本ください」

「はい、どうぞ」

男はピンを自分の両目に突き刺して言った。

「立ち去れ、この悪党どもめ! 今後一切、肉体的なものをみるな。もし見たいのなら、魂の目でクリシュナ神を見よ。それがお前が見るすべてだ」

 

彼は森に戻り、そこで再び泣き続けた。真実を得ようと奮闘した男の心の愛の大いなる流れが、彼をついに成功に導いた。彼は愛の川を正しい方向に向け、クリシュナ神のもとにたどり着いた。彼はクリシュナ神のヴィジョンを見たのだ。彼は美しい「愛」の詩編を作った。サンスクリット語のあらゆる本で、著者はまずグルに敬意を表す。彼はあの少女を最初のグルとして敬意を表した。

 

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今月の思想

たとえ偉大な人物の言葉だとしても、正しい人生の観点から批判的に分析しなければならない。

…マルクス・アウレリウス

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