今月のニュースレター

 

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ヴェーダーンタ協会ニュースレター(日本語版)

日本ヴェーターンタ協会の最新情報

20205 月 第18巻 第5

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かく語りき――聖人の言葉

 

立ち上がれ、勇敢であれ、強くあれ。すべての責任を自分が背負うのだ。そして自分が自分自身の運命の創り主であることを知りなさい。あなたが必要とする全ての力と援軍は、あなたの内にあるのだから。ですから自分の未来をつくりなさい。

…スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ

 

 

すべては無知によってつくられ、「知識」によって解消する。

…シュリー・シャンカラ

 

                                                       

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目次

 

・かく語りき――聖人の言葉

20207月の予定

20204月逗子例会 

「生活における毎日のスケジュールの重要性」

スワーミー・メーダサーナンダ

・忘れられない物語

・今月の思想

 

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20207月の予定

日本ヴェーダーンタ協会では、引き続きすべての講話をライブ配信いたしますので、

ご自宅のパソコンやスマートフォンでご覧いただくことができます。 

(こちらからご覧になることもできます。ライブストリーミング

また7月より、逗子協会で開催されるイベントに再びご参加いただけるようになりました。

 

7月の生誕日

グル・プールニマ  75日(日)

スワーミー・ラーマクリシュナーナンダ   718日(土)

 

7月の協会の行事

 

74日(土)14:0016:00 (日本語のみ)

インド大使館バガヴァッド・ギーター聖典講義 

場所:逗子協会

講話者:スワーミー・メーダサーナンダ 

*参加ご希望の方は、3日前までに、benkyo.nvk@gmail.comまでご連絡ください。

*過去のテキストデータはこちら

 

712日(日)14:0016:00 (日本語のみ)

『ラーマクリシュナの福音』勉強会

講話者:スワーミー・メーダサーナンダ 

*過去のテキストデータはこちら

 

719日(日)14:0016:30 (日本語と英語) ※午後からに変更になりました

逗子例会 

講話テーマ「霊的生活での学びを身に付ける必要性」

講話者:スワーミー・メーダサーナンダ

*参加をご希望の方は3日前までに、benkyo.nvk@gmail.comまでご連絡下さい。

 

726日 (日)14:0016:00 (日本語のみ)

逗子午後例会

講話内容:『瞑想と霊性の生活Ⅰ』 スワーミー・ヤティシュワラーナンダ著

講話者:スワーミー・メーダサーナンダ

*過去のテキストデータは☞こちら

 

<ハタヨガ・クラス>

日程:通常 毎月 第1、第2、第4土曜日

時間:10301200

レッスンが変更になる可能性もございますので直接、担当講師にご連絡ください。

お問い合わせ:080-6702-2308(荒井弘人)

メール: ochanomizuyoga@gmail.com

*専用ホームページはこちら☞ヨガ教室ホームページ

 

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4月逗子例会

2020419日 逗子本館よりライブストリーミング

「生活における毎日のスケジュールの重要性」

スワーミー・メーダサーナンダ

  

 

この論説のタイトルそのものが示しているように、私たちのテーマは「生活における毎日のスケジュールの重要性」です。まず、私たちの生活と深いつながりがあるので、私たちの心の特徴と性格についてお話しします。次に、スケジュールと私たちの生活との関係について説明します。

 

心の定義

 

パタンジャリのヨーガスートラには、さまざまな種類の心についての説明があります。たとえば、ある種類の心は、鳥やサルのようにまったく集中できません。別の種類の心は、時々集中することができても、また落ち着かなくなります。また、より長い間集中することができても、再びその状態から堕落する心、などがあります。ヴェーダーンタ哲学では、心は包括的な意味で考えられ、マナス(心)、ブッディ(知性)、チッタ(記憶)、アハンカーラ(自我)として説明されています。

 

心は、思考、欲望、感情を持つものとして個別に説明することもできます。また、知性:識別能力・物事を決定する、記憶:過去の経験の記憶、自我:「私」意識と「私の」意識が続く心の部分、とともに、心:思考、欲望、感情を持つもの、としてまとめて見ることもできます。

 

西洋の心理学によると、心は主に顕在意識と無意識(潜在意識)の二つに分けられます。また、潜在意識は顕在意識よりもはるかに大きいです。顕在意識は氷山の一角にすぎず、潜在意識はすべて海面下にあります。西洋の心理学者、特にジークムント・フロイトは、このテーマについて広範囲にわたる研究を行い、潜在意識の中身について多くを明らかにしてきました。

 

インド心理学も心の顕在意識と潜在意識について述べていますが、インドと西洋の心理学の違いは、ほとんどの西洋の心理学者が賛成しない超意識的な心の状態を、インドの心理学者は前提としていることです。この超意識的な心の状態とは、魂のことです。魂の本性を悟ることと、心の超意識状態に入ることとは同じ意味です。

 

心に関する心理学者の見解を簡単に説明しました。今、みなさんの経験に照らし合わせて、心に焦点を合わせましょう。魂の存在を疑う人はいるかもしれませんが、自分の心の存在を疑う人はいません。心の特徴、印象、経験は、多少の差はあれ、私たち全員に似たようなものです。

 

心の特徴

 

まず第一に、心と考えは一つの同じものなので、考えのない心も、心のない考えも、想像できない、ということを理解してください。それらは同義語なのですから。心の主要な特徴の一つとして、落ち着きがないことが挙げられます。心は常に、集中する対象、注意を向ける対象を変えます。これは「サルの心」と呼ばれます。なぜなら、観察してみると分かるように、サルは一瞬も静止することができず、絶えずあちこちに動くからです。スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ(スワーミージー)は、落ち着きがない心の状態を、一匹のサルに例えました。ある人がそのサルにワインを飲ませると、サルは余計に落ち着きを失いました。さらに悲惨なことに、そのサルは幽霊に取りつかれ、もっと落ち着きを失いました。それからそのサルは虫に刺され、耐えがたい痛みに襲われました。これらすべての結果として、そのサルの落ち着きのなさがどれだけ強烈であるか、ということしか想像できませんね。

 

さらに、スワーミージーの話には含まれていませんが、付け加えさせてください。ある人がふざけてサルにモバイル機器やスマートフォンをあげたとします。そのサルの心の状態を想像してみてください。もし私たち全員が自分の心を分析し、深く内省してみると、私たちの心も、お話ししたようなサルの心に似ていることが分かりませんか?

 

心は、「今、ここ」に集中することはめったありません。心はしばしば、過去に引き寄せられ、遠く離れた過去や最近の楽しかった時や辛かった時のことを思い出します。もしくは、将来についての心配ごとを思い浮かべたり、将来の計画について思案することもあります。

 

心が、今この瞬間、に集中することはめったにないので、結果として、今この瞬間は、しばしば私たちから脱け落ちています。さらに、私たちの心は本当に体と感覚を同一視しており、魂を同一視していません。心は、ほとんど絶えず一時的なもの、例えば、家族、お金、仕事、娯楽について考え、「永遠」や「無限」については、たとえ考えるとしても、まれに考えるだけです。

 

以下のことも心の反応です。私たちが好きなものを受け取ると、心は幸せになり、嫌いなものを受け取ると、心は困ったり悲しかったりします。心は絶えず、好きと嫌いの間、喜びと苦しみの間で揺れ動いています。サンスクリット語に、「サンカルパ」と「ヴィカルパ」という二つの言葉があります。意味は、「これをしましょうか」(Shall I do this)と「あれをしましょうか」(Shall I do that)で、心はこれら二つの間を絶えず行ったり来たりします。私たちの心の考えのほとんどは否定的か中立的で、肯定的であることはめったにありません。一つの例として、一般的な心は、他の人の長所を見るのではなく、たいていは短所を見つけます

 

務めるのが大変な仕事があるとき、心の最初の反応は「私はこれをしたくない!」です。また、心は、プライド、怒り、執着、貪欲、心配、恐れなどの否定的な感情でいっぱいです。 「サムスカーラ」もあります。「サムスカーラ」とは、前世と今生で得た習慣的な心の傾向のことで、繰り返される考えと行為によって形成されます。傾向には良いものもありますが、多くは否定的です。

 

上記のような幻惑された心の状態で、仕事をしたり、人間関係を築いたりすると、私たちが間違いを犯したり、誤った決断をくだすことも無理はありません。結果として、私たちは苦しみ、持続的な幸せや平安を経験できないのです。確かな事実として、私たちは嫌いな人からは離れることができますが、自分の幻惑された心が自分自身の敵だとわかったところで、自分を心から引き離すことはできません。このことは、しばしば私たちに無力感と苦痛をもたらし、私たちはどのようにそれを改善するか途方に暮れます。

 

そのような状態のとき、心が私に属しているのか、それとも私が心に属しているのか、という混乱があります。 私は、心の主人ですか、それとも心の召使いですか?今の私たちの状態は、私たちは心の奴隷で、心が私たちの主人です。今、この望ましくない状態の根本原因が何であるか、そして自分が置かれているこの哀れな状態を変化させる方法はあるのか、という疑問がわくかもしれません。

 

ある時、スワーミージー(スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ)は「心はマーヤーである」(大いなる幻覚)と述べました。この言明を少し深く検証すると、マーヤーとプラクリティ(根本エネルギー)は一つのものである、という結論に達します。そしてこのプラクリティは、この宇宙のすべてのものとすべての存在において、三つのグナ(属性または性質)を包含しています。三つのグナとは、サットワ(穏やかな性質、平安)、ラジャス(落ち着きのない性質、欲望、執着、活動、野心)、タマス(怠惰、鈍さ、無知、暴力)です。そして、心の中のラジャスとタマスの割合は、少ない割合のサットワよりも、はるかに大きいです。そのせいで私たちの一般的な心は、上記で説明したように現在ふるまっているのです。

 

私たちの心は、環境にも影響されます。田舎と都会を比較すると、都会に住んでいる人の心には、大変多くの娯楽の機会があります。

 

時間を有効に使う

 

個人的にみると、心の気まぐれを「自由意志」と誤って主張する人もいれば、心をコントロールすることをまったく気にしない人もいれば、気にかけてもそれを達成するために必要な実践をしたがらない人もいます。さらに、明白な効果を得られないような不用意で表面的な実践だけをする人もいます。

 

もう一つの問題は、私たちが目指す心の状態と、私たちの行動が完全に反対だということです。一方で心の平安と静けさを望み、他方で、さらなる落ち着きのなさやストレスにつながる類の行動にたびたび携わるのは、皮肉なことです。

 

情けないことに私たちが認めも理解もしていないこの状態の責任を負うのは、自分以外の誰だというのですか? 食い違ったまま仕事を続ければ、私たちは決して平安を見いだすことはできないでしょう。このことは、私たちが最初に理解し、自分の中の発想の転換をする必要があることです。肯定的な観点で、私たちは心をコントロールするために熱心に実践せねばなりません。否定的な観点では、目標と方法が矛盾しないように注意する必要があります。そうでなければ、神様もグル(グルがいる場合)も、聖典も、私たちを心から応援してくれる人々も、この世界の誰も私たちを助けることができません。

 

心をコントロールしようと努力する一方で、時間は人生において非常に貴重であることも認識してください。時間はこの世の私たちのどんな所有物よりも貴重です。私たちはお金を使うことには大変気を使いますが、寿命という制限のある時間を過ごすことにはそれほど注意を払いません。お金を使ったり失くしたりしても、再び働いて取り戻すことも、節約することもできますが、時間はかけがえのないものです。時間は、一度過ぎ去ると永遠に過ぎ去り、取り戻すことはできません。それなのにほとんどの人はあまり時間に注意を払いません。私たちの生活に関して私たちの時間を最大限に活用する方法もこの論説で説明します。

 

自己成長

 

この論説の3番目の話題は、自己成長についてです。ほとんどの深く考えている人たちは、自分の現在の状態に満足していません。彼らはより良い存在状態を望み、体も心も知性もさらには霊性も成長させたいと望んでいます。しかし、多くの人はそのような目標を達成するために必要なことをする準備ができていないので、そこで止まり、それは切なる希望のままです。もう一つの問題は、人々が一晩で偉大になることを期待していることです。これはほとんど不可能です。なぜなら、あらゆる種類の業績の背後には、熱心で持続的な実践や奮闘があるからです。したがって、より高い状態に到達したいなら、求められている条件を満たす準備ができていなければならない、言葉を変えると、代価を払う準備ができている必要があるのです。

 

上で説明した三つの話題のすべて、つまり、心をコントロールする方法、時間を有効に使う方法、自己成長する方法、を実現させる手段はあるでしょうか。ここでの答えは、毎日のスケジュールを作成してそれに従う、です。基本的だが理想的な1日のスケジュールを作成し、それを熱心に実行すれば、ほぼ絶対その三つすべての目的を満足させることができます。これは最も効果的な方法であり、信者だけでなく、より高く良い生活を目指すすべての人にとって大事なことです。

 

たとえば、ラーマクリシュナ僧団の創設者であるスワーミージーは、僧侶たちは規律ある生活を送るために、また、段階的で全般的な自己成長のために、朝から晩までスケジュールに従わなければならない、と主張しました。現在、ラーマクリシュナ僧団のすべての支部の僧侶は、大体似たような系統の毎日のスケジュールに従っています。ここ、私たちの逗子の協会でも、信者の皆さんがご存じの毎日のスケジュールに従っています。朝拝では、瞑想、ヴェーダの祈り、バガヴァッド・ギーターの朗読と続きます。朝食後、聖典を読み、時々それについて話し合います。今は、『瞑想と霊性の生活』を読んでいますね。その後、協会にいる人は散歩に出かけます。昼食前の正午には、シュリー・ラーマクリシュナへの供物奉献があり、そのときも短い瞑想をします。夕拝では、『ラーマクリシュナの福音』を朗読し、その後に瞑想もします。最後に、夕食後に再び、シュリー・ラーマクリシュナ―ヴィヴェーカーナンダ文献からの朗読があります。今は、スワーミー・トゥリヤーナンダジーの伝記を読んでいるところです。このように毎日少しずつ読むことで、私たちは『ラーマクリシュナの福音』も『バガヴァッド・ギーター』も何度も何度も読み終えました。そして徐々に他の霊的な本を読み終えていっています。よってスケジュールに従うことで、私たちはこれらの貴重な霊的な本から少しずつ学んでいるのです。これらのスケジュールの合間に、協会にいる者は、「主」への奉仕の精神をもって仕事を行い、また休息とリラックスのための時間も見つけます。

 

私たちの先輩で非常に尊敬されている僧侶であるスワーミー・プレメシャーナンダジーは、かなり多くの求道者に僧や尼僧になるよう鼓舞した方ですが、その方は私たちのアーシュラムのスケジュールについて重要な発言をされました。彼は「我々僧侶は、光明を得るためにヒマラヤに行って熱心に霊的修行をする必要はありません。アーシュラムのスケジュールを、心を込めて、理解と信仰を持って規則正しく守っていれば、ここでも同じ経験をすることができます」と言いました。

 

理想的なスケジュールを作って従う

 

次に、スケジュールに従う際の大事なポイントについてお話します。まず、1日の理想的なスケジュールを作ってください。肉体的、心的、知的、霊的な成長のための時間をそのスケジュールに組み込みます。例えば、祈りの時間を作ってください。平安と幸福のための祈り、自分と家族のためだけでなく、人類全体のための祈りです。瞑想と神様の名前を繰り返し唱え、時折の自己分析と内省をしてください。私たちが過ごしたい人生と、これまで私たちが過ごしてきた人生について、さらに人生の本当の目的とそれを達成するために何をしてきたか、についての自己分析と内省です。そのような霊的実践によって、自分自身を私たちの存在全体の基礎である超意識の心、つまり魂と結びつけることができます。したがって、体、心と魂は統合し、完全な人格になります。聖典を学ぶ時間を作ってください。『バガヴァッド・ギーター』や『ラーマクリシュナの福音』などの聖典の勉強では、真理とは何か、真理を悟るためには何が必要か、真理を悟ることの障害は何か、そして真理を悟った結果とは何か、が明白になります。日常生活、仕事、人間関係などの道案内となる道徳的、霊的なアドバイスがたくさんあります。

 

また、自分自身を豊かにするための、鼓舞し高めてくれる本を読む時間を持ってください。ヨーガ、水泳、散歩、ジムへ行く、またはこれらの組み合わせなど、身体的な運動の時間を作ってください。スワーミージーがアメリカにいる時、アランバザールの僧団に住む僧たちに対して、毎日の運動をすることを勧める手紙を送りました。その運動は、スワーミージー自身がほぼ最後の日まで行っていたものです。スワーミージーの著名な兄弟弟子の1人であるスワーミー・ブラフマーナンダジーも、小さなダンベルを使うというスワーミージーの教えに従っていたので、ブラフマーナンダジーがどこへ行くときも、ダンベルも一緒に運ばれました!

 

宗教の名著『瞑想と霊性の生活』の著者で、ブラフマーナンダジーの弟子の1人であるスワーミー・ヤティシュワラーナンダジーも、グルの助言に従って定期的に運動をしました。私たちの僧団のもう一人の僧侶であるスワーミー・ブテーシャーナンダジーは、後に僧団長となられた方ですが、彼がヤティシュワラーナンダジーと一緒に列車で旅行したときのことを回顧しています。ヤティシュワラーナンダジーは、朝の決まった時間に、他の乗客にどう見られてどう反応されるかなど心配することなく、電車の中でダンベルを持ち出して運動を始めました。ヤティシュワラーナンダジーの身に起こった様に、グルの言葉に従うことは、文字通り弟子を偉大にします。

 

もちろん、食事、睡眠、リラックス、趣味、そして仕事の時間もスケジュールに入れてください。このような毎日のスケジュールを作成し、毎日それに従ってください。スケジュールを作成する際には、大望を抱きすぎたり、目標をすごく高く設定してはいけません。例えば、長い瞑想のためにものすごく早く起床するのではなく、より控えめで現実的なスケジュールから始めてください。仕事に行く平日用と、時間に余裕がある休日用の2種類のスケジュールを作るのが良いでしょう。さらに、スケジュールにどれだけ厳密に従っているかを確認し、従わない場合はその理由を確認して、改善策を見つけなければなりません。

 

数十の毎日の義務に関して言うと、効率的な方法で仕事をするために、仕事別の毎日のスケジュールを作るべきです。さらに、これらの仕事をやり遂げるためにいつも大変長い時間とエネルギーを費やしているので、最初にそれらを人生の目的と関係づける必要があります。次に私たちが特別な注意を払わなければならないのは、本当にすべき用事以外で自分を忙しくしないことです。これは上記で説明したように、私たちが仕事の渦中でも穏やかさを保ち、そして人生の大事な使命をやり続けるのに役立ちます。このように、私たちはより実りある時間を過ごすために、貴重な時間とエネルギーも節約します。そうしないと、残念ながら現代の生活の共通の特徴であり、さまざまなマイナスの結果をもたらす、仕事中毒になる恐れがあるからです。

 

『カルマ・ヨーガ』の中のスワーミー・ヴィヴェーカーナンダの観察は注目に値します。下記の観察はこの習性の影響をあらわす人々に関するものです:

 

「義務は私たちの病弊となり、私たちを絶えず引きずっていきます。私たちを捕まえて、私たちの人生全体を不幸にします。それは人生の災いのもとです。この義務、義務という観念は、人類の最奥の魂を焦がす真昼の夏の太陽です。哀れな義務の奴隷たちをごらんなさい。義務は彼らに祈りを唱える時間も沐浴の時間も残しはしません。義務は常に彼らのうえにあるのです。彼らは出かけ、そして働きます。義務が彼らに上にあるから。彼らは家に帰り、そして次の日の仕事のことを考えます。義務が彼らの上にあるから!それは奴隷の人生を生きることです。まるで馬のように、最後には路上に倒れ、働きながら息絶えるのです。これが理解されている義務です。唯一の真の義務とは、何にも属さず自由な存在として働き、全ての働きを神様に明け渡すことです。私たちのすべての義務は『彼』のものなのですから」

 

 

この毎日のスケジュールに関係するポイントがもう一つあります。以下の理由で、瞑想、聖典の勉強、ヨーガの練習の時間は、朝に割り当ててください。:まず、夜よく眠ると、心も体もリフレッシュされるので、良い瞑想の助けとなります。二つ目に、早朝の自然は穏やかで、周りも騒がしくないため、これらの実践に集中してより良い結果が得られます。三つ目に、仕事やその他の作業の間、その日一日中、それらの恩恵を受けることができます。最後に、早い時間に忙しくなる可能性は少ないので、実践の時間を短縮したり、完全に省略する可能性も低くなります。ただし、学校へ通う子供たちの朝食や昼食の準備に忙しい主婦は例外です。日中に自由な時間のある主婦は、それに合わせて実践のスケジュールを立ててください。大事なことは、自己成長のための実践はたった一日でも省略することはできない、たとえ心があれこれ理由をつけて、一日くらい省略しても大したことはない、という印象を与えようとしても、ということです。だから、省略しないでください。なぜなら、もしあなたが1日省略すると、次の日も省略する可能性があるからです。ただし、例外として、しかるべき理由がある場合は、特定の実践の時間を減らし、時間調整をしなおすことがあります。

 

スケジュールを作るとはどういうことでしょうか?毎日の活動を順序付け、開始から終了までのそれぞれの時間を割り当てます。このスケジュールを作成するにあたり、従うべき三つの重要なポイントがあります。一つ目は、活動の順序です。例えば、寝て朝起きて、それから瞑想、聖書を読む、運動、の後に朝食をとる、というような適切な順番を守りつづけてください。二つ目は、日々の活動の開始時間です。起床と就寝時間はきっちりと守ってください。これら二つのうちより重要なのは、就寝時間です。なぜなら、前夜の就寝時間を前後させると、翌朝の起床時間が前後し、1日のスケジュール全体も混乱する可能性があるからです!

 

ただし、例外的なケースもあります。たとえば、マハートマー・ガンジーは非常に強い意欲を持っていたので、どれだけ夜遅くまで働いても、毎日のスケジュールに従っていました。私たちは何か面白いことや娯楽に夢中になると、予定の就寝時間を守れず、その結果、翌日の予定に影響します。したがって、当日のスケジュールは実際には前日の夜に始まる!ということを覚えておいてください。私たちのスケジュールを守るには、心の訓練と意志の力が必要です。なぜなら、そのような訓練と意志の力がなければ、私たちは心のコントロールができず、人生にいかなる真の変化ももたらすことができないからです。私たちは今いるところに永遠にとどまるでしょう。

 

仕事の約束の時間を守るのに非常に几帳面な人がいます。もし、約束が午後35分だったら、大体午後3時までには到着し、指定された時間になるまで待ちます。これは非常に優れた特性ですが、彼らは個人レベルでも日常生活を送っている際に、同じように実践しているでしょうか?この問題についての内省は非常に大事です。

 

偉大な僧侶であり学者のスワーミー・ガンビラーナンダジーは、毎日午後4時に付き人と散歩に行く習慣がありました。ある日、この付き人が2分ほど遅れて来たので、スワーミー・ガンビラーナンダジーが遅刻を指摘すると、付き人は「まあ、マハーラージ、たった1分か2分ですよ。そんなにいけないことですか?」と言いました。ガムビラーナンダジーは、1分間の大事さを強調するために、航空機が2分間で何マイル移動するか知っているかどうか尋ねました。スワーミー・ガンビラーナンダジーがラーマクリシュナ僧団長(1985–1988)になる前は、副僧長と書記長を務めていたため多忙を極めていましたが、厳密にスケジュールを守ることで多くの学術書を書くのに十分な時間を見つけました。適切な順序のスケジュールに従うこと、次にスケジュールの時間をしっかり守ること、について話をしました。三つ目は、今、この瞬間に集中して注意深くなることです

 

「今」に集中する

 

この例のために、スワーミー・プレマーナンダジーがベルル・マトでブラフマチャーリ(見習い僧)の養成を担当していたときにまでさかのぼりましょう。当時の財政状態では多くの補助員を雇うことができなかったので、さまざまな霊的訓練や実践のほかに、毎日の多くの雑用も兼務しなければなりませんでした。プレマーナンダジーは、見習い僧たちが、自分が行っている仕事に十分な注意を払うように何度も強調しました。ある見習い僧が牛の餌用の藁を切るように言われたとき、彼は誤って自分の指を切ってしまいました。プレマーナンダジーが来てその見習い僧に、君はまだ僧侶になる準備ができていない、と言って叱りました。なぜなら、もし目前の仕事に集中できなければ、どうやって瞑想中に集中し、僧としての生活を築くことができるというのでしょう。

 

目の前の仕事に集中できれば、よく瞑想することができます。運動をするときは運動に集中してください。家事をしているときは、家事に集中してください。勉強をしているときは、目の前の科目に集中してください。このことは、私たちの心をコントロールすることや、より良い瞑想をするのに役立ちます。大事なことは、今日この瞬間に行っていることに集中することです。過去は過ぎ去ったので、取り戻すことも、置き換えることもできません。明日はまだ来ていません。だから今だけに集中してください。

 

私たちのモットーを、「心よ、今、ここに」(Mind, Here and Now)としましょう。そして、これを絶えず思い出し、可能な限り実践してください。

 

この考えを非常に強調している古代インドの名高い詩人カーリダーサの有名な「新しい日」(Look to This Dayという詩があります。

 

「新しい日」

 

今日を良く生きなさい、

何故なら今日こそは命、命の命です。

 

早く過ぎ去っていく今日には、

生命のすべての可能性、すべての真理、

そして、成長する喜び、活動の輝き、力の栄光が潜んでいます。

 

昨日はただの思い出、

 

明日はただのヴィジョンにすぎません。

 

しかし、今日を良く生きていれば、

 

昨日のすべては幸せの思い出になり、

 

明日も、希望のヴィジョンになります。

 

ですから、今日を良く生きなさい。

 

レフ・トルストイの「三つの質問」という美しい物語があります。その教訓は次のようなものです:大切な時は今です。最も大切な人は、今、接している人です。さらに最も大切なことは、その人を幸せにすることです。

 

「今」に集中する実践と同時に、さらに関連する二つの実践が、非常に重要で役立ちます。 一つ目は「一度に一つの作業!」です。つまり、一つの作業に参加しているときに、中途半端にそれをやめて、別の作業をするべきではありません。 二つ目は「急がない! もう少しゆっくりと!」です。急ぐという傾向は、常に私たちの内なる落ち着きのなさをあらわしています。もし、これを改善したいならば、私たちはそれを身体レベルでチェックする必要があります。「今」に集中すると、さまざまなプラスの効果があります。第一に、そうやって集中することで、過去、未来、想像にとらわれなくなり、時間とエネルギーの浪費を防ぎ、その時間とエネルギーをより良い目的に利用できます。第二に、私達は非常に完璧に目の前の仕事をすることができます。第三に、「現在」の時間を上手に活用することで、より良い未来を築くことができます。第四に、思いもよらない考えが突然現れるのを止めることはほとんど不可能ですが、心がそれらをくよくよ考えることで自分をみじめに感じるか否かは自分次第です。この点について、前述の実践は、心がそのような考えを思い続けることを防止するのに役立ちます。最後に、スケジュールを作成するもう一つの大きなメリットは、心に従うように求め、そうしているかどうかを再確認することで、実のところ、私たちが心に命令し監督している、という点です。したがって、心との現在の立場を逆転させ、私たちはその主人になることができます。

 

お釈迦様もこれに関連した所見を次のように述べました。「心身の健康の秘訣は、過去を嘆くことでも、取り越し苦労をすることでもありません。今を賢明に真剣に生きることです」

 

しかし、時々、十分な注意を必要とするものが目前に特に何もないときに、心は思いをさまよいます。このことは心のコントロールに対して有害です。そのような時間帯、たとえば朝の散歩、バスや電車での移動中、または運転中でも、聖なる名前やマントラを復誦したり、神聖な詠唱や癒しの音楽などを聞いて、心が無目的にさまようことを防ぐのがいいでしょう。

 

今日だけは

 

デール・カーネギーの『道は開ける』という有名な本では、1856年に書かれた、シスター・メアリー・ザビエルとしても知られる、カトリックの修道女・シビル・F・パートリッジの『今日だけは』(Just for Today)という詩を引用しています。それ以降、彼女の詩節は、他のキリスト教の宗派の賛美歌に含まれたり、オンライン上では編集者らが詩節を借用し、好みに合うように用語を現代的にしている例があります。私も、『今日だけは』(Just for Todayが伝えるアイデアが好きなので、このタイトルと詩の一部をお借りしつつ、今日お話ししたアイデアを伝えるために随所に追加しました。

 

「今日だけは」

 

1) 今日だけは、朝起きるときから寝るまでスケジュールに従うように努力します。

 

このスケジュールには、私の身体的、知性的、道徳的及び、霊的な成長の時間を設けておきます。

 

2) 今日だけは、神様と結ばれますように、朝と午後の215分ずつ瞑想して、神様の名前を唱えるように努めます。仕事のときも、出かける時も、風呂に入る時も、神様の名前を少なくとも10回ほど繰り返します。そして私は、食べ物も飲み物もすべてを神様に心で捧げます。

 

3) 今日だけは、自分、他人、そして宇宙の本性について深く考えるようにします。

 

4) 今日だけは、自分の人生の意味とその目的、そして自分の人生の目的を実現するために何をしてきたかについて深く考えるようにします。

 

5) 今日だけは、霊的で思索の糧となる本を読んで、新しい学びを得るようにします。なぜなら日々新しく学ぶことは大事だからです。

 

6) 今日だけは、息を吸って吐いて、吸って吐いて、吸って吐いて、体を伸ばして、伸ばして、伸ばして、外に散歩、一歩、二歩、三歩するようにします。

 

7) 今日だけは、何があっても、私は決してイライラしない、動じない、不満を抱かない。愚痴をこぼさない、文句を言わない、口答えしない。ただすべての問題を冷静に解決しようとします。

 

8) 今日だけは、他人を一切批判しない、改善させようとしない。むしろ他人を褒めて励まして、彼らの良い性質に着目するようにします。

 

9) 今日だけは、今日のことだけに集中します。あたかも過去も将来も存在しないように、自由に使える今日こそは、できるだけ理想的に、よく生きるようにします。

 

10) 今日だけは、私は神様の代行者であり、自分の仕事を通して他人の中に宿る神様に仕えていることを意識しながら働きます。そして一日が終わると、私はこの日のすべての仕事を神様に捧げます。

 

11) 今日だけは、聞かれないと話をしない。テレビを見ない。新聞を読まない。携帯を見ない。パソコンで仕事をしません。

 

12) 今日だけは、他人や母なる大地にどれほど恩恵をいただいているか、そして私を支えるために、どれほど貢献していただいているかに気づくようにします。私は、他人及び母なる大地の福利のために祈り、他人を助けるように努力します。

 

 

この12『今日だけは』には、総合的な成長と完全な変革のための、すべての優れた実践が含まれています。 『今日だけは』というフレーズが、さまざまな実践とともに何度も繰り返されますが、それは文字通りの、私たちが一生に一度今日だけに実践を行う、ということを意味しているわけではありません。むしろ、少なくともそのような実践を最初は1日だけから始め、その後、毎日続ける努力をすることを意味します。 「聞かれたときだけ話す、携帯電話で話すのを控える」などの実践は、一部の人には不可能かもしれません。しかし、1週間、2週間、ひと月に1回なら、我慢することも、それをしないということも可能です。言うまでもなく、『今日だけは』を実践するには、上記で説明したスケジュールを作成する必要があります。

 

欲望を抑制し、節度ある生活をする

 

こんにちの、特に中産階級に属する人々は、常により高い生活水準に夢中で、キリがありません。このことは、際限ない欲望、野心、競争、利己主義を生み出し、心の平安の欠如を引き起こします。したがって、さまざまな利他主義の手段を実践することに加えて、節度ある生活様式に満足するために、満足の実践をすることが不可欠です。これらの二つの実践なしに、単にスケジュールに従うだけでは、心の完全なコントロールを成し遂げ、平安にとどまるのを楽しむことは、困難です。

 

これに関して、バガヴァッド・ギーター(第617節)では次のように述べています:「適度に食べ、適度に体を動かし、適度に仕事をし、適度に眠り、適度に目覚め、そしてヨーガを実践すれば、苦悩はすべて取り除くことができる」

 

私たちは、自分自身を変革するためのさまざまな実践に対する主要な障害にも注意する必要があります。その障害とは、私たちが誤って外部だと思っている、環境、仕事、親戚、友人などです。私たちの障害は、内部にあります。なぜなら、私たち自身の心は、これまで楽しんできた自由を減らすどんな訓練に対しても、強い抵抗をするからです。また心は、いかなる新しい前向きな実践を取り入れることにも消極的で無気力です。なぜなら心は、それが後ろ向きなことであっても、古い習慣や古い生き方をとても心地よいと感じるからです。

 

生きる価値のある人生

 

結論として、毎日のスケジュールに従い「今」に集中することは、すでにお話ししたような大きなメリットがある、ということを重ねて申し上げます。ここで、もう一つ重要なメリットを追加させてください。私の経験から、これらの実践は、困難な状況なときに大きな助けとなる、ということを申しあげましょう。例えば、私たちの霊性が非常に低く、魂の「暗闇」の期間はもちろんのこと、失敗したり、さまざまな種類の苦しみのせいで困難な状況のときに助けとなるのです。 そのような状況でも、機械的に実践をただ行いましょう。たとえ体と心がそうすることを嫌がり、実際に不快を催したとしても。ただ、実践を続けてください。そうすれば、困難な状況は確実に終わりを迎え、暗いトンネルの終わりに光が見えるでしょう。これらすべての実践は、私たちの人生の最大のチャレンジに立ち向かうこと、つまり、見事に心をコントロールすることに役立ちます。こうして、聖書にある「善きサマリア人」のように行動することで、無数の苦しみを作り出す「敵」の心は、「友」の心に変わり、私たちの激動の人生の大きな助けとなるでしょう。そのような心は私たちを正しい方向に導き、人生の目標である「霊的光明」にまでも導くでしょう。これに関連して、バガヴァッド・ギーターからの二つの非常に重要な詩節(第656節)を簡単に見てみましょう

 

ウッダレード アートマナートマーナン ナートマーナン アヴァサーダイェート 

アートマイヴァ ヒ アートマノー バンドゥル アートマイヴァ リプル アートマナハ //

 

 

バンドゥル アートマートマナス タッシヤ イェーナートマイヴァートマナー ジタハ /

アナートマナス トゥ シャットルットヴェー ヴァルテータートマイヴァ シャットルヴァト //

 

この詩節の考え:

 

人は心の力で自分を向上させ、決して下落させてはならない。何故なら、心は自分にとっての親友でもあり、かつまた同時に仇敵でもあるからだ。自我心を克服した人にとって、心は最良の友であるが、それを克服できない人にとっては、心こそ最大の敵となる。

 

このように実践することは、単調で機械的なようですが、スケジュールを守り、それに集中する実践を続ければ、それは私たちの性質の一部になります。実際、私たちはこの手順どおりの生活を楽しむようになり、「人生は理想的で、生きる価値あるものとなるでしょう」。

 

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—忘れられない物語

 

百人の子供のお話

 

ある街に、ラーマとクリシュナという少年が隣同士で住んでいた。彼らは友達だった。彼らが成人すると、ラーマは可愛く魅力的な女性と結婚したが、クリシュナは長年独身を通した。ラーマもクリシュナも両親から多くの財産を引き継いだ。ラーマはその財産を増やし、百万長者になった。一方、クリシュナは、彼の霊的な友であり、導師でもある者の息子を養子にとり、彼のやり方でとても幸せに暮らした。

 

財産が増えたにもかかわらず、ラーマの家庭には幸せはなかった。子だくさんが、彼と彼の妻をいつも困らせる原因であった。彼らはどの子供にも十分な気配りをすることができなかった。子供たちはきまって乱暴で荒々しく成長し、すぐにラーマの財産を使い果たした。どんなに収入があっても、ラーマは生計を維持することができずにいた。

 

ある日、彼はクリシュナに近づき、彼の幸せと彼の家庭のすばらしさの背後にある秘密について尋ねた。するとクリシュナは「私には息子が一人しかいないからね」と答えた。

 

ラーマとクリシュナは人間の心を表している。 心が好きなことに夢中になると、その結果、千の欲望が生じる。それらの欲望は、心がわずかばかりの集中と瞑想で日々温存しているエネルギーを早々に枯らす。多くの欲望のせいで、心は弱体化する。同じ理由で、特定の欲望に集中できず、目的に達することはできない。

 

グルの息子を養子とするクリシュナは、グルの確かな思想を吸収する心、また、エネルギーと力を成長のために集結させる心、に匹敵する。

 

千もの欲望があるところには、心の平安も、心的エネルギーの集結も、心的強さを維持することも、望めるはずがない。欲望が1つしかなければ、心はそれに十分に集中することができる。

 

欲望の数が多ければ多いほど、平安と幸せは少なくなる。欲望が少ないほど、心の平安は大きくなる。

 

あなたの欲望の数を減らすことを学びなさい。 1つのことを1つだけのままにしておき、それを神聖になさい。それに心を集中させなさい。そうすれば、あなたは平安と至福を楽しみ、すぐにゴールに達するだろう。

 

…シヴァナンダの寓話

ディヴァイン ライフ ソサイエティ発行

 

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―今月の思想

 

歩くときは歩く。食べるときは食べる。

 

…禅の格言

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