今月のニュースレター

 

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ヴェーダーンタ協会

 

日本ヴェーターンタ協会の最新情報

 

20175月 第15巻 第5

 

 

 

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かく語りき-聖人の言葉

 

 

 

「我が子よ、禁欲や礼拝を今すぐ実践しなさい。後でやることなどできるでしょうか。何を成し遂げるのであっても、今すぐやるのです。今が、最適な時なのです」

 

 

 

(ホーリー・マザー シュリー・サーラダー・デーヴィー)

 

 

 

「邪悪な考え、邪悪な言葉、邪悪な行いをやめて自らを浄めようと日々努力すると、夜の後に昼が続いて来るように、善良な考え、善良な言葉、善良な行いが続いて為されるようになる」

 

(ザラスシュトラ)

 

 

 

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今月の目次

 

 

 

・かく語りき-聖人の言葉

 

20176月の予定

 

20174月の逗子例会 午前のプログラム

 

「バクティ(神への愛)を育むには」 スワーミー・メーダサーナンダの講話

 

20174月の逗子例会 午後のプログラム

 

「霊性と人類への奉仕-スワーミー・ヴィヴェーカーナンダとマハトマ・ガンディー」

 

シュリマティ・ショーバナ・ラーダクリシュナ

 

2017年夏期戸外霊性修養会のお知らせ

 

・忘れられない物語

 

・今月の思想

 

 

 

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20176月の予定

 

 

 

・生誕日

 

 

 

Vishuddha Siddhanta暦では、20176月に生誕日はありません。

 

 

 

 

 

・協会の行事

 

 

 

63(土) 10:0012:00

 

東京・インド大使館例会 

 

講義:『バガヴァッド・ギーター』(無料) 

 

場所:インド大使館

 

お申込み・お問合せ: http://www.gita-embassy.com/お問合せ/

 

※入館・受講するには、大使館発行のIDカードが必要です。詳細は協会のウェブサイトの「インド大使館ID」(ホームページ左側のメニューにあります)をご覧ください。

 

※免許証など写真つきの身分証を必ずお持ちください。

 

 

 

6月毎日曜 14:0015:30

 

ハタ・ヨーガ・クラス

 

場所:逗子本部別館

 

お問い合わせ:080-6702-2308(羽成淳)

 

体験レッスンもできます。

 

予定は変更されることもありますのでお問合せください。

 

専用ホームページをご覧ください: http://zushi-hatayoga.jimdo.com/

 

 

 

610日(土) サットサンガin名古屋

 

お問い合わせ:逗子協会 046-873-0428

 

 

 

611日(日) サットサンガin多治見

 

お問い合わせ:上野 090-6363-8558

 

 

 

613日(火) 14:0016:30 予定は変更されることもあります。

 

火曜勉強会

 

場所:逗子協会本館 

 

お問い合わせ&お申込み:benkyo.nvk@gmail.com

 

 

 

617日(土) 10:0012:00

 

『ウパニシャド』 スタディークラス

 

講義:ウパニシャッド(無料)

 

場所:インド大使館

 

お申込み・詳細: http://www.gita-embassy.com/お問合せ/

 

入館・受講するには、大使館発行のIDカードが必要です。詳細は協会のウェブサイトの「インド大使館ID」(ホームページ左側のメニューにあります)をご覧ください。

 

免許証など写真つきの身分証を必ずお持ちください。

 

 

 

618日(日) 10:3016:30

 

逗子例会  ブッダ生誕祝賀会

 

場所:逗子協会本館

 

午前:講話

 

午後:朗誦・輪読・講話

 

お問い合わせ:逗子協会 046-873-0428

 

 

 

623日(金)

 

ホームレス・ナーラーヤナへの奉仕活動

 

現地でのお食事配布など。

 

お問い合わせ:佐藤 090-6544-9304

 

 

 

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20174月の逗子例会

 

「バクティ(神への愛)を育むには」

 

スワーミー・メーダサーナンダの講話

 

 

 

神様への愛を育む方法について話す前に、まず「神様」が何を意味するのかを理解しておきましょう。多くの人にとって「神とは何か」という質問はなかなか答えが見出せないものです。神の概念というものは宗教によって様々です。

 

 

 

神の概念

 

 

 

ヒンドゥ教では神様を包括的に捉えています。神様は「意識」で、この意識には「絶対の存在(サット)」「絶対の知識(チット)」「絶対の至福(アーナンダ)」の3つの特徴があります。ですから、神様は遍在で、全知全能です。

 

 

 

遍在である神様はどのような姿形なのでしょうか。ヒンドゥ教の考えでは、神様は、あらゆる存在に意識という形で内在しています。では、物質やその構成要素の場合はどうでしょうか。ヒンドゥ教では、神様は物のなかにも隠れています。潜在しているのです。ですから、石の中にも神様がいるのです。意識があるのですが潜在しており、目に見えないのです。ご存知のように、原子の中にはエネルギーが潜在しています。外側からは見えませんが、原子11つの中に非常に大きなエネルギーがあります。同様に、電子、陽子、中性子にも大きなエネルギーが潜在していますが、見えません。外からは分からないかもしれませんが、そこにも意識があるのです。

 

 

 

さらに、神様は宇宙の創造者、維持者、破壊者でもあります。

 

 

 

神様である、この同じ意識が、シヴァ、ヴィシュヌ、ドゥルガー、サラスワティ、ガネーシャなど様々な神々になっています。神様は信者に合わせていろいろな神や女神に姿を変えているのです。形のない抽象的な概念として存在する神様に対して愛を育むのは難しいでしょう。だから遍在の意識が具現化し、形のある神や女神になるのです。このようなヒンドゥ教の慣習を偶像崇拝だと批判する人もいますが、写真や像を礼拝する裏にはこのような哲学があるのです。

 

 

 

また、神様が人に化身するという考え方もあります。神様が人間の形をしていれば、神様は信者にとって身近な存在となり、神様に対して愛を感じることが簡単になります。人類を叡智と平和に導くために、神様は神の化身としてこの世に降臨するのです。クリシュナ、ラーマ、お釈迦様、イエス・キリストなどがその例です。ヒンドゥ教では、このような神の化身を「アヴァターラ」と呼びます。

 

 

 

以上の4つは、神様の最も基本的な捉え方ですので、ぜひ覚えておいてください。そして、どれでもいいですから、1番好きな、1番自分に合った捉え方で神様をイメージしてください。

 

 

 

少し違う表現でおさらいすると、まず、神様はマクロ(普遍)のレベルでは純粋意識であり、ミクロ(個)のレベルでは魂、すなわち意識です。2つ目に、神様は創造者、維持者、破壊者であること。これは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教など「アブラハムの宗教」と呼ばれる宗教の考え方に似ています。3つ目に、神様は形のある存在として様々な神や女神の姿を取り、信者が神様に気持ちを向けて愛を育むことができるようにしています。4つ目は、神の化身として人の姿を取ること。このうちどれでも好きな形の神様を愛することがバクティです。これは神様を包括的に定義するもので、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥ教などのあらゆる神様の概念が含まれています。

 

 

 

この考え方は、神への信仰を教義としていないが永続する意識を信仰の対象とする仏教をも含んでいます。仏教では実践上、ブッダを神とみなしていると考えられます。お釈迦様に対して平伏して礼拝し、祈りや花、食べ物を捧げますが、これは他の宗教がその神に対して行うことと同じです。仏教徒にとって、お釈迦様は神様という位置づけになったのです。

 

 

 

バクティの概念

 

 

 

では、バクティについてです。まず、バクティとは何かからお話ししましょう。『ナーラダ・バクティ・スートラ』という素晴らしい箴言集を著したナーラダによると、バクティとは神への計り知れないほど大きな愛、献身的信仰です。『バガヴァッド・ギーター』をその一部とする叙事詩『マハーバーラタ』や、数々の『プラーナ』の著者である聖仙ヴィヤーサは、儀式的礼拝を強く好み実践することがバクティであるとしています。また、聖賢ガルガは、神様の名前を聞いたり、歌ったり、崇めたりすることだとしています。さらに、賢者サンディーリャは、神様を自分自身の魂だと知り、自身への愛を神様に捧げ、神様への愛の障害となるあらゆるものを取り除くことだ、としています。

 

 

 

ナーラダはまた、バクティのより具体的な定義として、儀式や霊的実践など私たちが行うすべてのことを神様に捧げること、としています。さらに、一瞬でも神様から離されると、引き離された恋人たちのように苦しみを感じるとしています。興味深いことです。ナーラダにとって、これがバクティなのです。この時の気持ちは、母親が我が子と離れている時に感じる気持ちのようであると言えます。ラーダーとクリシュナの例で言えば、クリシュナと別れた時にラーダーが感じる大きな痛みです。離れていることで感じるこの感情は「ビラーハ(biraha)」と呼ばれますが、ビラーハはバクティです。

 

 

 

以上の説明から、バクティが単に惹きつけられる気持ちではなく、もっと深い強い愛を指すのが分かりますね。

 

 

 

バクティで神に到達する

 

 

 

神様に到達するにはどのくらいのバクティが必要なのでしょうか。『ラーマクリシュナの福音』の中でシュリー・ラーマクリシュナは、「我が子に対する母親の愛情、貞淑な妻が夫を慕う気持ち、世俗的な男が自身の持ち物に対して抱く所有欲の3つをすべて合わせた程強く神様を求める気持ちがあれば、人は簡単に神様に到達する」と言っています。さらに、シュリー・ラーマクリシュナは、たった3日間だけ、1週間でもなく1ヶ月でもなく、たった3日間だけ、神様を強く愛する気持ちから神様を求めて泣き続ければ、神様は姿を現してくれると言っています。非常に簡単に聞こえますが、本当にそれほど簡単なのでしょうか。

 

 

 

私たちの大半は、神様を求めて3分間泣くこともできません。しかし、自分の子供や、夫や妻のために、失ったお金のためには涙を流します。私たちは石でできているのではありませんから、感情があります。もしその感情を神様に向けることができれば、ゆっくりと愛情が育っていきます。神様から片時でも離れればハートがひどく痛む、というくらい強い愛情になるでしょう。その時、バクティの状態、神様への最大の愛のレベルになったことが分かります。

 

 

 

「一目惚れ」という言葉がありますが、このような愛は安定しておらず、一時的で衝動的な気持ちであることが多いものです。

 

 

 

バクティの9ステップ

 

 

 

聖典『シュリーマッド・バーガヴァタム』に「バクティの9ステップ(Navavidha Bhakti)」が書かれています。1つ目のシュラヴァナは神について聞くことです。2つ目のキールタナは神の御名と栄光を歌うこと、3つ目のスマラナは常に神のことを思い出すこと、4つ目のパードシェーヴァナは神の蓮華の御足にお仕えする、すなわち身体的奉仕をすることです。これは、形のある神についてのことです。形のない意識としての神には足がありませんから。5つ目はアーチャナで、聖典に従った儀式的礼拝を行うこと、6つ目のヴァンダナは神の御前にひれ伏すこと。インド人がこのようにしているのを見たことがある人もいるでしょう。7つ目のダーシャは神の召使いになること、8つ目のサッキヤは神の友人になること、最後のアートマニヴェーダナは自身を神に捧げることです。

 

 

 

まずこの9つのステップの内容をすべて知り、その中からできるものを選んで行えばよいのです。全部をやらなければならないのではなく、やってみたいと思うもの、できそうなものを実践すればいいです。バクティを育む方法のすべてを説明するのは、このような理由からです。

 

 

 

神様は自身の愛と甘さを味わいたいと思って、自分を信者として創造しています。信者がいなければ神様もいません。信者になっているのは神様なのです。バクタとバガヴァーン(神)は、言わば1つのセットで、信者がいなければ神様の栄光を歌う者もいなくなります。タゴールが書いた美しい詩「Tai Tomar Ananda」の中に次のような意味の言葉が様々な表現でうたわれています。「おお神よ、私がここにいなければあなたの愛は無駄になっていただろう」

 

 

 

シュラヴァナ

 

 

 

1つ目のステップであるシュラヴァナは神の御名を聞くことですが、これは神の聖なる性質について聞くという意味です。賛歌や神様の名前を聞くことだけでなく、神様の遊び(リーラ)についての話を聞くこともシュラヴァナです。インドでは、聖典を朗読することを職業としている人がいます。バラナシではガンガーの土手でプロの朗読者が『マハーバーラタ』や『バーガヴァタム』などを読んでいる姿を見かけます。読み、歌い、時には説明をします。信者の人たちがじっと黙ったまま、朗読や説明に耳を傾けているのを目にします。これはインドではよくある光景です。また、誰もがこのような場に行けるわけではありませんから、家庭で朗読を行ったり、勉強会などで朗読したりすることもよく行われます。1人で読むよりも他の人が読むのを聞いた方が印象に残ることがあります。特に聖典の説明を聞いているときは、目と耳の両方を使った方が印象に残るものです。

 

 

 

例えば、シュリ-・クリシュナの子供の頃のいたずらや、牛飼いの少年たちとの遊び、牛飼いの娘たちとの踊りの話、『ラーマーヤナ』に出てくるラーマの偉業の話などは、インド人にとって決して色褪せることのないもので、子供の頃から何度も繰り返し耳にします。以前、『マハーバーラタ』や『ラーマーヤナ』の30分間のテレビドラマが毎週日曜日に放映されたのですが、非常に人気があって皆が見ていたため、その時間になると道路に人影がなくなりました。このようにインドでは、一般に神様の物語を好む傾向があります。では、神様について聞いているとどうなるのでしょうか。だんだん神様を意識するようになり、神様の性質や物語を理解するようになり、そうしているうちに神様への愛が育っていきます。

 

 

 

キールタナ

 

 

 

キールタナは神様の名前と栄光を歌うことで、インドではキールタン、バジャンとも言います。キールタナはたいへんよく行われるもので、歌い手はリズムやメロディーを繰り返して神の栄光を讃えます。

 

 

 

スマラナ

 

 

 

スマラナは神様のことを思い出すことです。初めは時々思い出すのでいいのですが、最終的な目標は常に神様のことを考えることにあります。『ギーター』の中でシュリ-・クリシュナはアルジュナに対し、カルマ・ヨーガについて素晴らしいアドバイスを2つしています。カルマ・ヨーガを実践したい人はこの2つを覚えておいてください。1つ目は「アルジュナよ、戦え!」です。この「戦い」とは象徴的な意味です。私たちは軍隊にいるわけではありませんが、それぞれに為すべき仕事があります。その仕事において「戦え」と言っているのです。サラリーマンの仕事は戦いのようなものです。主婦が日々の生活で繰り返し行う家事も戦いです。医者、教師などあらゆる仕事において誰もが果たすべき義務があります。そしてクリシュナはこう続けます。「自分の義務を行いながら常に私を思い出せ。」この2つ目のアドバイスは、「私」である神様に常につながっていなさいという意味です。神様を思い出すことで神様につながっていることができます。

 

 

 

このスマラナを実践するには、心を2つに分け、1つを仕事に向け、もう1つで神様を思い出すのです。『福音』の中でシュリー・ラーマクリシュナは歯の痛みを例えにしてこれを説明しています。歯が痛い時、仕事をしないでいるわけにはいきませんが、心のどこかで「歯が痛い」と感じています。これは「アヌスマラ(anusmara)」と呼ばれます。これと同じように、仕事をしながら心の一部を神様に向け神様のことを常に思い出しましょう。自分の心をすべて仕事に向けて仕事と同一視してしまうと、執着や不満、落胆、心配、ストレスなどの問題が生じます。だから、心の一部で神様、すなわち実在、至高の真理のことを考えている必要があるのです。こうすることで仕事中も仕事の後も心の落ち着きを保つことができます。

 

 

 

このように心を分けるのは練習次第でできるようになります。大抵の仕事は、心の3割から4割を使ってすれば十分に行うことができると言われています。実際のところ、多くの場合、私たちは心の3割さえも仕事に集中しておらず、あれこれと関係ないことを思い浮かべています。この瞬間あることを考えたかと思うと次の瞬間にはまた違うことを考えているのです。仕事中、関係のないことや否定的なことを考えずに神様のことを考えるようにしてみてはどうでしょうか。

 

 

 

一時的な、移ろいやすい有限のことに100%集中していると、執着や不満、落胆、心配、ストレスに苦しむことになります。至高の真理である神様に集中すれば、心の平安と自由を得ることができます。神様の信者としてスマルナの実践が必要です。

 

 

 

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20174月の逗子例会 午後のプログラム

 

「霊性と人類への奉仕ー

 

 スワーミー・ヴィヴェーカーナンダとマハトマ・ガンディー」

 

シュリマティ・ショーバナ・ラーダクリシュナ

 

 

 

4月の逗子例会では、午後のプログラムにゲストをお招きして、スワーミー・ヴィヴェーカーナンダとマハトマ・ガンディーについての講話をいただきました。

 

 

 

ヴェーダの平和のマントラ(サンスクリットの聖語、真言)を唱えた後、スワーミー・メーダサーナンダジー(マハーラージ)はシュリマティ・ショーバナ・ラーダクリシュナさんを紹介しました。今回ラーダクリシュナさんに逗子にお越しいただくことになったのは、日本ヴェーダーンタ協会の長年の友人である上智大学教授ヴェリヤト・シリル神父から、ラーダクリシュナさんが短期間来日されるので4月の例会で講話をしていただいたらどうかとご連絡いただいたことがきっかけでした。マハーラージは「先駆者であるスワーミー・ヴィヴェーカーナンダ(スワーミージー)の教えをマハトマ・ガンディー(ガンディージー)は自身の人生において実践していましたので、このようなお話をしてもらうのに協会ほど適した場所はないでしょう」と言いました。ガンディージーは1921130日にベルル・マトで開催されたスワーミージーの生誕祝賀会に出席し、短いスピーチをしています。ラーダクリシュナさんのプレゼンテーション用スライドの中にこの時のスピーチの一部が書かれており、この一節がスクリーンに映し出されました。

 

 

 

「スワーミー・ヴィヴェーカーナンダについてのマハトマ・ガンディーのコメント」

 

 

 

本日、スワーミー・ヴィヴェーカーナンダの生誕祝賀会にて敬愛する彼の思い出に敬意を表するために、ここ(ベルル・マト)に参りました。私は彼の著書を丹念に拝読しましたが、読んだ後、私の祖国への愛は千倍になりました。若人の皆さん、スワーミー・ヴィヴェーカーナンダが人生を過ごし、生涯を終えたこの地に宿る精神を少しでも吸収して、決して手ぶらでは帰らないでください。

 

 

 

続いて、ラーダクリシュナさんの略歴が紹介されました。ラーダクリシュナさんはガンディー・アシュラムで生まれました。お父様はガンディージーと21年間一緒におられたそうです。ラーダクリシュナさんは35年間にわたり世界各地でガンディージーについての講話を行っており、来日は今回で4回目です。インド政府(Ministry of Rural Development)のEminent Citizenとしても活動していらっしゃいます。略歴の紹介が終わると、ラーダクリシュナさんが講話を始められました。以下はその講話の日本語訳です。

 

 

 

初めに、私にこの仕事を与えてくださった全能なる神に敬礼いたします。次に、私たちを内から外へと教え導いてくださり、時代を問わず常に私たちの手本となる信念と努力をお示しになったマハトマとスワーミージーに敬礼いたします。そして、私に力を与える皆様のまなざし、皆様のアートマンに敬礼いたします。

 

 

 

私は、インド中央部マハーラーシュトラ州にあるガンディージーのアシュラムで生まれました。私の父は、ガンディージーの2つのアシュラム、セヴァグラム・アシュラムとインド西部のグジャラート州にあるサバルマティ・アシュラムで合わせて21年間過ごしました。そのうち10年間、父はガンディージーと共に働きました。その後の60年あまり、ガンディージーが亡くなった後も、父はガンディージーの仕事を続け、ガンディージーが示された道を歩みました。その道とはスワーミージーから学んだ霊性と奉仕の道にほかならず、スワーミージーの残した遺産をさらに進めるための道です。

 

 

 

私はアシュラム出身ですので、そこで経験したことを少し皆さんにお話ししたいと思います。ガンディージーはアシュラムのすべてのプログラムを祈りと共に始められました。毎日戸外で朝と晩に祈りを唱えました。この祈りの言葉はあらゆる宗教の祈りの言葉でした。これは、宗教の調和を大切にされたパラマハンサ・ラーマクリシュナとスワーミージーの考えを取り入れたものでした。ガンディージーは、すべての宗教が同じ真理を指し示していると言われました。ですから私たちは、すべての宗教の本質を謙虚に学び、様々な宗教を実践する人々に敬意を持たねばなりません。ここで皆さんに、普遍の信仰の祈り「Om Tat Sat Sri Narayana Tu」を聞いていただきたいと思います。これは子供の頃に学校で唱えていたSarvadharmaの祈りです。お聞きになったことがあるかどうか分かりませんが、今から聞いていただくのは日本人のグループが唱えている「Sarva-Dharma Prakta (Om Tat Sat Sri Narayana Tu)」の祈りです。(ここで、録音されたものが流れる)

 

 

 

                     Om Tat Sat Sri Narayana Tu

 

                     Purushottama Guru Tu

 

                     Siddha Buddha Tu Skanda Vinayaka

 

                     Savita Pavaka Tu

 

                     Brahma Mazda Tu Yahve Shakti Tu

 

                     Ishu Pita Prabhu Tu

 

                     Rudra Vishnu Tu Rama Krishna Tu

 

                     Rahima Tao Tu

 

                     Vasudeva Go-Vishvarupa Tu

 

                     Chidananda Hari Tu

 

                     Advitiya Tu Akala Nirbhaya

 

                     Atmalinga Shiva Tu

 

 

 

ガンディージーはアシュラムのルールを文字にして、「エーカーダシャ・ヴラタ(Ekadasha Vrata11の決まり)」と呼んでいました。ガンディージーは子供の頃とても内気で気が小さく、暗闇を怖がっていました。世話をしてくれていたランバ(Ramba)という人からラーマナームのマントラを教わり、それでガンディージーに信仰心が芽生えました。母親のプトリーバイ(Putlibai)は大変信仰心の篤い人で、息子に守るべき誓いを与えました。この誓いをガンディージーは生涯守り、この誓いと共に真理を追求したのです。プトリーバイはチャットルマーサ(Cāturmāsa、ヒンドゥ教における聖なる期間)の間は非常に厳しい誓いを立て、年間を通じて厳格なヴラタ(vrata、断食)の誓いを毎月実践していました。後にガンディージーは、母親は自身のモクシャ(moksha、解脱)のためにこのような実践をしていたのだとよくおっしゃっていました。ガンディージーは個々の救いだけでなく社会全体の救いを求めており、個人的な美徳を社会的価値観にすることに興味がありました。

 

 

 

ガンディージーがアシュラムのために定めた11の決まりの原則は、「自分自身にするように他人にもする」というものでした。エーカーダシャ・ヴラタの最初の5つの決まりは次のようなものでした。

 

 

 

1. アヒンサー(Ahimsa、非暴力)

 

2. サッティヤ(Satyam、真実)

 

3. アステーヤ(Asteya、不盗)

 

4. ブラフマチャーリヤ(Brahmacharya、禁欲・自己修練)

 

5. アサングラハ(Asangraha、不所持)

 

 

 

ヴェーダの文献ではこれらをマハーブラタ(Mahabrata)と呼び、パタンジャリはパンチャヤマ(Panchayama)と呼んでいます。ジャイナ教の文献ではパンチャマハーヤマ(Panch Mahayama)と呼んでいます。仏教ではパンチャシーラ(Pancha Shila、五戒) と呼んでおり、キリスト教の文献でも言及しているのが見られます。このマハーブラタは世界の主な宗教のほぼすべてで言及されています。この5つに加えて、ガンディージーはさらに補助的な決まりを2つ定めました。

 

 

 

6. アバヤ(Abhaya、恐れないこと)

 

7. アスワーダ(Āswāda、嗜好の抑制)

 

 

 

アバヤがないと、5つのマハーブラタの実践は全くできません。アスワーダはブラフマチャーリヤの実践と最高の知識を追求するのにとても重要です。このような理由からガンディージーはこの2つの補助的なブラタを加えました。

 

 

 

南アフリカで20年過ごした後、1915年、ガンディージーはインドに帰国しました。スワーミー・ヴィヴェーカーナンダの祝福をいただくにはもちろん遅すぎたのですが、スワーミージーのダリッドラ・ナーラーヤナ(Daridra Narayana、貧しい人々への奉仕)を実践しようという呼びかけにガンディージーはインスピレーションを得、この考えをさらに発展させて当時のインド国民に仕えようと考えました。

 

 

 

8. サルヴァ・ダルマ・サマーナットワ(Sarva Dharme Samānatva、すべての宗教の平等)

 

9. シャリルシャルマ(Sharirshrama、生きるために自らが働く)

 

10. スワデーシー(Swadeshi、祖国への愛)

 

11. スパールシュ・バヴァナ(Sparsh Bhavana、不可触民制の廃止)

 

 

 

ガンディージーの11の決まりの中でこの最後の4つはすべて、スワーミージーがインド国民に対し「立ち上がれ、目覚めよ、ゴールに達するまで立ち止まるな」と高らかに呼びかけた時のメッセージに含まれているものです。

 

 

 

何という素晴らしい遺産を私たちは受け継いたのでしょう。 私はスワーミージーとガンディージーの共通点をたどってお話ししていきますが、先ほどメーダサーナンダジーが指摘されたように、ガンディージーはスワーミージーの霊性と奉仕の遺産を受け継がれました。この点については、私自身が経験したことから申し上げるのが最も良いでしょう。

 

 

 

(スライド上の言葉)

 

「他者のために行動を起こし善を為すことが多いほど、我々の魂は浄められ神がそこに住まわれる。……スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ」

 

 

 

セヴァグラム・アシュラムでどのようなペースで物事が進んでいたか簡単にお話しします。キリスト教のある司祭がガンディージーに会いにセヴァグラムに来ました。その司祭はアメリカの代表としてマドラス(現在のチェンナイ)の万国宗教会議に出席するためにインドに到着したのです。セヴァグラムまで来たもののガンディージーにはすでに多くの予定が入っていたため、司祭は3日間待たねばなりませんでした。

 

 

 

(スライド上の言葉)

 

「自分を見出す最も良い方法は、他者への奉仕に没頭して我を忘れることである……マハトマ・ガンディー」

 

 

 

ガンディージーは、隠し事をせず誰の意見にでも耳を傾けました。誰でもアシュラムに来ることができましたし、ガンディージーとの面談を申し込んだり手紙を書いたりすることができました。ガンディージーは、誰もが直接話をすることのできる身近な存在でした。

 

 

 

(スライド上の言葉)

 

「スワーミー・ヴィヴェーカーナンダの著書は誰も何も紹介する必要がない。著書そのものに抗しがたい魅力があるからだ……マハトマ・ガンディー」

 

 

 

さて、そのキリスト教の司祭ですが、やっとガンディージーに会ってもらえた時、人生の本質とは何かと尋ねました。ガンディージーの答えは次の2語でした。「放棄と喜びです(Renounce and Rejoice)」

 

 

 

『イーシャー・ウパニシャド』には次のように書いてあります。

 

 

 

śāvāsyamidaṃ sarvaṃ yatkiñca jagatyāṃ jagat

 

tena tyaktena bhuñjīthā mā gṛdhaḥ kasyasviddhanam’

 

 

 

この意味は

 

・神は遍在で宇宙の所有者であり、すべては神のものである。私たちの所有するものは何一つとしてない。

 

・完全に無執着の態度でこの世のものを楽しめ。犠牲の感覚を持って自分に必要な程度まで楽しめ。そして残りは社会の他者のために残せ。本当は、何一つとして私達のものではない。

 

・他者の持ち物を決して欲しがってはならない。

 

 

 

スワーミージーが非常に懸念されていたことですが、私たちは、ウパニシャドやヴェーダなどの偉大な聖典で明らかにされていることを忘れていました。自分の強さ、受け継いだ遺産や文化を忘れていました。しかし私たちの長い歴史のすべてを万一忘れたとしても、「放棄と喜び」は私たちと共にあり、私たちの文化の一部として残っていくでしょう。

 

 

 

時間も少なくなってきましたので、アシュラムでの経験についての話はここまでにして、スワーミージーとガンディージーの信念や実践における多くの共通点に移りましょう。

 

 

 

2人は、人間には本来的に神の性質があるとするヒンドゥ教の本質、あらゆる存在は1つであること、すべての宗教は真理・平安・調和という同じ霊的ゴールに辿り着くための異なる道であること、を信じていた。

 

2人とも『バガヴァット・ギーター』に影響を受け、それに従って生きていた。

 

・宗教間の調和、平和、霊的に皆が兄弟であること、について繰り返し語っていた。

 

・すべての宗教が同じ真理を指し示していると主張していた。

 

・祖国への愛と献身において根底の部分で深く結びついていた。

 

・数百万人のインド人が悲惨な状況に置かれている状況を心から憂慮し、彼らのために誠心誠意奉仕した。

 

・非常に愛国心が強かった。

 

・恐れを知らず、勇敢で、真理からそれることがなかった。

 

・明るく、ユーモアのある楽しい人だった。

 

・低いカーストのヒンドゥ教徒に対する非人間的な扱いを非難した。

 

・貧しい人々に対し無私無欲で奉仕した。

 

 

 

ガンディージーのユーモアのセンスについて、次のような逸話があります。1931年、ガンディージーは、インドの独立の在り方について討議するためにロンドンで開催された英印円卓会議に参加しました。この時ガンディージーは、英国ならびに海外自治領国王、インド皇帝のジョージ5世により拝謁が許されました。正装するようにとの要請を無視して、ガンディージーは腰巻きを身につけただけで、寒くないようにショールをかけていました。レポーターに寒くないかと尋ねられると、「皇帝が私の分も服を着ていらっしゃいましたから」と答えました。また、ロンドンを去るときに西洋文明をどう思うかとレポーターに尋ねられ、こう答えました。「それはいいアイディアですね(西洋文明と呼べるようなものはないことを示唆している)」

 

 

 

ガンディージーには大いなるユーモア精神があったことが分かります。事実、ガンディージーは、ユーモア精神がなければ本当に惨めに感じたことだろうと言っていました。このユーモア精神と明るい心と笑顔で、ガンディージーは数々の困難を乗り越えることができたのです。

 

 

 

2人とも、低いカーストの人々に対する非人間的な扱いを非難しました。最も神の子らしからぬ扱いを受けている人々に奉仕することで、神に仕える共通の手段を見出したという点で、2人の考えは一致していました。スワーミージーは彼らを「ダリッドラ・ナーラーヤナ」(貧者の姿をした神の化身)と呼び、ガンディージーは彼らを「ハリジャン」(神に愛される者)と呼びました。さらに、2人は女性に対する非人間的な扱いも非難していたことを、付け加えておきます。

 

 

 

2人ともインドに対して無私無欲で奉仕し、私たちにとって素晴らしい手本となりました。ここにいる皆さんはスワーミージーについてはご存知でしょうし、私がここにいる時間は限られていますから、ガンディージーについてもう少しお話ししたいと思います。

 

 

 

(スライド上の言葉)

 

「私がこの世界を通るのは1度だけだ。だから、人間に対して私が善を為すことができ、優しさを示すことができるのなら、今すぐやらせてほしい。先延ばししたりおろそかにしたりさせないでほしい。この道は2度と通らないのだから……マハトマ・ガンディー」

 

 

 

ガンディージーの生涯は、信念と努力の織りなす壮大な物語だったと私は思います。信念が強ければ強いほど、大きな努力をすることができるものです。ガンディージーの信念の根底にあったものは神への信仰心でした。自分は神の道具に他ならない、神が導く所へどこにでも導かれるのだと認識していました。そして、あらゆる仕事を神の仕事だと考え、仕事の大きさに関わらず等しく礼拝する気持ちを持ってその仕事を行いました。

 

 

 

ガンディージーはまた、私たちの誰にでも善の要素があると分っていました。神の現れである私たちには皆、善の要素があるのです。人々の中にあるその善を呼び覚まし、育て、維持することにガンディージーは尽力しました。さらに、人類の歴史には何度となく大きな変化があったけれど、人類は良い方向へ進んでいると信じていました。なぜなら、真理すなわち神はその創造物の幸福にのみ興味があるからです。

 

 

 

ガンディージーは、 自分が世界の人々に対し新たに教えることができるものはない、と言いました。真理、非暴力、不純な手段を用いないことなどは、はるか昔からある概念で聖者賢者が実践していることです。ガンディージーは先人から学んだだけ、ということです。このように、見習うべき模範はありましたが、危機に面した時は自分を導く内なる声に耳を傾けねばなりませんでした。

 

 

 

(スライド上の言葉)

 

「変化を遂げることで、人は誰でもリーダーになることができる。誰もがリーダーになる可能性を秘めている……マハトマ・ガンディー」

 

 

 

「人々の尊敬を得ること、人々に愛されること、自分のために犠牲になってもらうこと。これらは、頼んでもなかなか応じてもらえない注文だ……マハトマ・ガンディー」

 

 

 

この2人は大変偉大な人物ですから、2人のように立ち上がってリーダーになるなど自分には不可能だと思うかもしれません。ここで、私たちを変えることのできる11のポイントについてお話ししたいと思います。ガンディージーは私や皆さんと同じような普通の人でしたが、偉大な賢者らから学び、内省を習慣にして内なる声に耳を傾け、『ギーター』などの聖典を読み、あのような人物に変化したのです。

 

 

 

変わるために非常に大切なのは、自分の支えとなる霊的価値観を持つことです。世界各地の偉大な霊性の師がこのことの大切さを示してきました。彼らの優れた特質から私たちは学ぶことができます。スワーミージーとガンディージーの特徴の1つ目は、無私の奉仕を行ったことです。何の見返りも地位も欲せず、ただそうするのが好きだったから行ったのです。

 

 

 

2つ目は神の叡智です。この叡智を基礎とし、この叡智に従って生き、この叡智を美しく語るだけではなくしっかりと受け止めてもらえるよう伝えられなければなりません。この叡智は偉大な聖典を通じて私たちにすでに明らかにされていますから、後は私たちがそれを学ぶだけです。今日ここにいらっしゃる皆さんはスワーミー・メーダサーナンダジーの指導のもとこの叡智への道を歩んでいらっしゃいます。皆さんに敬意を表します。

 

 

 

次に、非の打ち所のない人格となることです。自己の利益を顧みず、人々に献身的に仕えねばなりません。

 

 

 

自分の為すべき仕事、義務(Swadharma 、自分のしたいことは何かを見極め、それに注力してください。これのために、神は私たちに2つの素晴らしい道具を授けてくださいました。心と知性です。心を使い始めると、好き嫌いの影響を受けるようになります。感情に振り回されていると誤った選択をしてしまいがちです。しかし知性を養い知性を働かせれば、明確に考えて正しい決断を下すことができます。すると、自制心を働かせ、迅速に行動し、時間を守る習慣が自然にできます。

 

 

 

次の特質は、行動、果たすべき義務です。『ギーター』には3種類の義務(Niyatam KarmaKamya KarmaNishiddha Karma)が挙げられていますが、2人のどちらもこれらの義務を果たしていました。やらなければならないことをリーダーはやるのです。これらの義務は私たちにとっても義務であり、それを執着なく行わねばなりません。リーダーは私利私欲のためではなくヤッギャー(奉仕と犠牲)の精神を持って、より高いビジョン、より大きな発想を土台として前進して行かねばなりません。

 

 

 

すべての人が「ひとつである」と知り、感じることもリーダーには必要です。2人にはこれが備わっていました。自己のうちに神性を感じ、他者への愛を感じて、人としての愛のハートを差し伸べる無限の能力がありました。私たちは何をする時にも心を込めて行わねばなりません。

 

 

 

リーダーには客観性も必要です。私たちは一生のうちに様々な役割を果たします。女性であれば、家庭では母であり妻であり娘であり孫であります。ここでは信者です。社会では職業人です。客観性をもって、私たちの役割をパーフェクトに、最大限の努力をして務めるようにしましょう。1つの役割が終わったら、それから離れます。そのようにして霊的に進歩します。

 

 

 

次の特質はサットワ、すなわち浄らかさであり、心の強さ、静けさをもたらすものです。私たちに欲望がなくなった時この性質が得られます。欲望という名の網に掛かると、心の平静は失われ心は落ち着きをなくします。そのような状態では自分の周りで起きていることから自分を切り離すことができません。

 

 

 

最後の特質は、言うべきことを言い、やるべきことをやることです。ガンディージーは、考えたことを話し、話したことを実行せねばならないとおっしゃいました。考えと言葉と行動は一致していなければなりません。

 

 

 

あらゆる時代の偉大な指導者がこれらの教えを示しています。スワーミージーとガンディージーの2人には古代の霊性の師らと同じ血が流れているのが分かります。私たちは2人から大きな恩恵を受けています。

 

 

 

本日こうして皆さんにお話しする機会をいただけたことをメーダサーナンダジーに心からお礼を申し上げます。また、イースター・サンデー(キリスト教で最も重要な祭りを行う日)であるためこの場においでになることができなかったヴェリヤト神父にも、日本ヴェーダーンタ協会をご紹介いただいたことを感謝しております。皆さんありがとうございました。

 

(講話終了)

 

 

 

最後にメーダサーナンダジーは、ラーダクリシュナさんと、講話の間スライドを操作されたご主人のラヴィ・チョプラさんに心からお礼を言いました。また、講話の素晴らしい通訳をされた佐々木陽子さんにも感謝の言葉を述べました。

 

 

 

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2017年夏期戸外霊性修養会のお知らせ

 

 

 

日程:2017715日(土)~17日(月・祝)

 

宿泊場所:奥琵琶湖マキノグランドパークホテル(滋賀県高島市) http://www.gphotels.jp

 

内容:スワーミー・メーダサーナンダジー特別講話「より高い生き方への気づきと実践」と質疑応答

 

その他、比叡山延暦寺参拝、湖畔での早朝の瞑想・ヨーガなど

 

 

 

参加申込締切 617日(土)

 

お問い合わせ:<vedantaharmony@gmail.com>

 

https://www.vedantajp.com/活動/戸外夏季リトリート/2017琵琶湖

 

 

 

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忘れられない物語

 

 

 

財布の物語

 

 

 

ある時、1人の老人が汽車でブリンダーヴァンへの巡礼に向かっていた。ある夜、寝ている間に財布がポケットから落ちた。翌朝、他の乗客がそれを見つけてこの財布は誰のものかと尋ねた。老人は自分のものだと答えた。財布の中にシュリ-・クリシュナの写真が入っていたのがその証拠だった。

 

 

 

老人はその財布にまつわる話を始めた。すぐに彼の周りに何人か集まってきて彼の話に聞き入った。老人は皆に見えるように財布を持ち上げると、こう言った。「この財布には長い歴史があるんだ。ずっと昔、私がまだ子供の頃、この財布を親父がくれたんだ。お小遣いと両親の写真を中に入れて使っていたよ」

 

 

 

「やがて大学に入ると、自分の容姿が気になり始めてね。若者は皆そうだろう。だから、財布には両親の写真ではなく自分の写真を入れたんだ。よくその写真を見ては、自画自賛したものさ」

 

 

 

「結婚すると、興味の対象は自分自身から家族に変わった。財布の中には自分の写真ではなく妻の写真を入れたよ。日中、その写真を何度も取り出して見つめたんだ。そうすると疲れなんか吹き飛んで、また仕事に集中して取り組めたんだ」

 

 

 

「そして子供が生まれた。父親になることがあれほど嬉しいことだなんて!毎日仕事が終わると家に飛んで帰って、赤ん坊と遊んだものさ。言うまでもなく、財布の中身は妻の写真から子供の写真に変わった」

 

 

 

老人の言葉が途切れた。目に浮かべた涙を拭いながら、老人は皆を見回して悲しげな声で言った。「皆さん、私の両親はずいぶん前に亡くなり、妻も5年前に先立った。一人息子は結婚したが、仕事と家族で忙しくて私と会う時間はない。私はもう先は長くないし、これから何があることやら。愛した人や自分のものだと思っていたものは、すべて私からなくなったよ。」

 

 

 

「今、私の財布の中には主クリシュナの写真が入っている。彼はこれからも決して私のもとを去らない。初めから彼の写真をいつも持ち歩いていればよかった。彼だけが真実、他はすべて過ぎ行く影だ」

 

 

 

ホーリー・マザー シュリー・サーラダー・デーヴィーはこうおっしゃっています。「わが子よ、恐れてはなりません。この世での結びつきは一時的なものです。今日、これこそ人生で最も大切だと思えるものが、明日は消えて無くなります。本当の結びつきは神との結びつきです。神はあなた自身のもので、永遠の関係です。神はいつも、いつまでも、あなたの世話をしてくださいます。全宇宙に遍在する主に呼びかけなさい。主があなたを祝福してくださいます」

 

 

 

(出典『Dipika』南アフリカ・ラーマクリシュナ・センター(Sri Ramakrishna Centre of South Africa))

 

 

 

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今月の思想

 

 

 

「海を見て立っているだけでは、海を渡ることはできない」

 

 

 

(ラビンドラナート・タゴール)

 

 

 

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発行:日本ヴェーダーンタ協会

 

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