今月のニュースレター

 

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ヴェーダーンタ協会ニュースレター

日本ヴェーターンタ協会の最新情報

2018年9月 第16巻 第9号

 

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かく語りき―聖人の言葉

 

「花が咲くと、呼ばれなくともハチはやって来る」

 

…シュリー・ラーマクリシュナ

 

「あなたがたは、その実で彼らを見分ける。茨(いばら)からぶどうが、あざみからいちじくが採れるだろうか」

 

…抜粋:マタイによる福音書 7章16節。『和英対照聖書 新共同訳』日本聖書協会、2001年

 

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目次

 

・かく語りき―聖人の言葉

・2018年10月の予定

・2018年8月の逗子例会 講話
「アーナンダ(第1部)」 スワーミー・メーダサーナンダ

・名古屋サットサンガ

・浜松サットサンガ

・今治サットサンガ

・忘れられない物語

・今月の思想

 

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2018年10月の予定

 

・10月の生誕日

 

スワーミー・アベダーナンダ 10月3日(水)

スワーミー・アカンダーナンダ 10月9日(火)



・10月の協会の行事

 

スワーミー・メーダサーナンダジー(マハーラージ)は、9月26日~10月23日に訪印のため協会を不在にします。

 

10月26日(金)

ホームレス・ナーラーヤナへの奉仕活動

現地でのお食事配布など

お問い合わせ:佐藤 090-6544-9304 または urara5599@gmail.com

 

10月27日(土)

山形サットサンガ

お問い合わせ:高橋 023-645-3282

 

10月28日(日)

仙台サットサンガ

お問い合わせ:佐藤美弥子miyadevi@m6.gyao.ne.jp

 

10月 毎土曜日 10:15~11:45

ハタ・ヨーガ・クラス

場所:逗子協会別館

お問い合わせ:羽成淳(はなり すなお) 080-6702-2308

体験レッスンもできます。

予定は変更されることもありますので、日程は直接お問い合わせください。

専用ウェブサイトをご覧ください。 http://zushi-hatayoga.jimdo.com/

 

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2018年8月の逗子例会 講話

「アーナンダ(第1部)」

スワーミー・メーダサーナンダ

 

今日のテーマは「アーナンダ(Ananda)」です。この言葉を日本語に翻訳すると「楽しみ」「喜び」(どちらも英語のjoy)、「快楽」(pleasure)、「至福」(bliss)などになります。霊性に関する話では通常「至福」と訳されますが、私は 初めのうちは「楽しみ」という言葉で説明するのがいいのではないかと思います。誰でも生活の中で楽しい経験はしたことがあるものですから、イメージしやすいでしょう。

 

楽しみを求めるのは誰か

 

誰もが楽しくありたいと思い、楽しみを求めます。年齢に関係なく幼い子供も高齢の方も、また、日本人、インド人などどこの国の人でも、仏教、ヒンドゥ教、イスラム教などどんな宗教を信仰していても、世界中の誰もが楽しみを欲します。さらに、人間だけでなく動物もそうですね。例えば、動物にも食べる楽しみがあることは明らかです。

 

このように、私たちは楽しむことが大好きで、楽しみたいと願い、楽しみを求めますが、何を楽しいと感じるかは人それぞれです。人は趣味を楽しみますが、ハイキングが好き、音楽が好き、などさまさまです。では、なぜ人は楽しむことが好きで、楽しみを求めるのでしょうか。単純な質問ですが、どうでしょうか。楽しいことをしたいのは心がそう考えるからだ、など、心理学的な因果関係を論ずることもできますが、一言で言えば、それが心の性質であり、心はそのように働くからです。

 

さらに深いところで言うと、心の性質は魂の性質につながりがあります。ヒンドゥ哲学では、心の土台は魂で、この魂の性質が「サチダーナンダ(Sat Chit Ananda)」、すなわち「絶対なる実在」「絶対なる知識」「絶対なる至福」だとされています。つまり、魂の至福に満ちた性質に影響されて、心は楽しみを好み、楽しみを得ようとするのです。

 

感覚の楽しみ

 

人が求める楽しみにはどのようなものがあるでしょうか。典型的なものとして、感覚レベルの楽しみがあります。 視覚(風景など目で見るもの)、聴覚(音楽など耳で聞くもの)、味覚(舌で味わうもの)、触覚(触感など皮膚で感じるもの)、嗅覚(匂いなど鼻で嗅ぐもの)の五感の楽しみで、日本語ではこれらをまとめて「快楽」と読んでも良いでしょう。端的に言えば、このような快楽はほとんどの人が求めています。他の種類の楽しみには、心のレベルでの楽しみや知的な楽しみ、さらにはもっと深いところで霊的な楽しみもあります。心や知性の楽しみを求める人は多くはないですし、霊的な楽しみを求める人はさらに少ないでしょう。

 

このように、多くの人が求めるのは感覚的快楽ですが、このような楽しみを求めた結果はどうなるでしょうか。子供は経験しても忘れるものですが、私たち大人は経験から学びますね。私たちは経験から、普通の楽しみには始まりと終わりがあることを知っています。

 

また、初めは楽しみであってもやがて悲しみになることが多いことも、私たちは経験から知っています。「楽しみが1オンス(28.35g)あれば苦しみは1パウンド(453.60g)ある」ということわざもあります。しかし、なぜ私たちは経験から学ぶことをせず、繰り返し同じ結果を追い求めて繰り返し苦しむのでしょうか。結果は楽しみより苦しみが多いのに、それでも繰り返すことにどんな楽しみがあるというのでしょうか。

 

期待の楽しみ

 

一言で言うと、「期待の楽しみ」が原動力になっています。心は言います。「前回は満足のいく結果でなかったけれど、次はきっと期待通りの結果になるにちがいない」『ムンダカ・ウパニシャド』の中に、二羽の鳥の例え話があります。同じ木にいつも一緒にいるこの鳥は、一羽は高い枝にもう一羽は低い枝に止まっています。低い方の枝には甘い実と苦い実がなっていて、食べてみるまでその味は分からないので、低い枝の鳥は両方の実を食べます。苦い実を食べると後悔するのですがすぐにその気持ちを忘れてしまい、低い枝の鳥は甘い実を期待して次の実をついばみます。その実もやはり苦くて鳥はがっかりするのですが、また次の実を食べます。ときどき甘い実にぶつかることもあるので、鳥は「次の実はきっと甘い」といつも考えています。

 

食べてみないと甘いか苦いか鳥には分からないので、甘い実への期待が原動力となって苦い実を食べることになります。同じように私たちも、楽しみへの期待があることから不快な結果を忘れてしまうのです。このような誤った期待の裏には、感覚の楽しみ、感覚的快楽への無限の欲求が隠れています。

 

快楽に対し私たちが根源的な欲求を持っていることについて、仏教にこんな例え話があります。旅人がある森に入りました。この森にはトラが住んでいて、旅人は突然、トラがこっちに向かってくるのに気付き、当然のことながら逃げようとしました。 近くに井戸があるのに気付くとその中へ入り、底に向かって下り始めました。しかし、井戸の底に毒ヘビの巣があるのが見えたので、井戸の壁をはう蔓(つる)をつかみ、そこから身動きできなくなりました。上にはトラ、下にはヘビという状況で、やがて蔓を握る手が疲れてきました。ちょうどその時、頭上のミツバチの巣からハチミツが滴り落ちているのを目にしました。すると旅人は危険な状況に置かれているのも忘れ、甘い滴を飲もうと舌を突き出しました。

 

想像する楽しみ

 

私たちには、これまでの数多くの前世で経験した感覚的な楽しみの記憶がたくさん蓄積されています。私たちが、心のレベルや知性のレベル、霊性のレベルではなく、感覚のレベルの楽しみを追い求める理由はここにあります。

 

また、こういう楽しみは実際の楽しみではなく想像する楽しみであることが多いものです。例えば、インドやアメリカなどへの旅行を計画している時、旅行を想像することに楽しみを感じます。ところが実際に旅が始まると、トラブルが起きたりして楽しみが半減することがあります。また、ショッピングモールなどにあるフードコートに行くと、たくさんお店があって店頭に食品サンプルが並んでいますね。おいしそうなサンプルをあれこれ見比べるのは楽しいものですが、いざ自分の食べるものを注文して食べ物が出てくると、それほど楽しくなくなってしまうことがよくあります。これは、感覚器官が知覚することから生じる楽しみで、ほとんどは想像上の楽しみです。このような楽しみは、現実になると実はそれほど楽しくなかった、ということがほとんどです。そればかりか、予想や期待とかなり違っていた、ということもあります。例えば、結婚したばかりの新郎新婦は喜びいっぱいで、これから二人が築いていく家庭ではどんなに素晴らしい日々が待っているだろうかと期待します。数年後、結婚の現実は期待していた通りではないことを経験から知ります。

 

楽しみの対象も常に変化します。ある例え話をしましょう。おじいさんが電車の中で財布を落とします。財布の中には主クリシュナの写真が入っていて、この写真に気づいた周りの乗客が、クリシュナへの強い信仰心と愛について尋ねます。おじいさんは、今は写真を持ち歩くほど主クリシュナを愛しているが、いつもそうだったわけではない、というところから財布の写真にまつわる話を始めます。

 

子供の頃は財布に両親の写真を入れていたが、やがて写真は映画のヒーローに変わったこと。彼女ができると財布の写真は彼女に変わり、その写真を眺めては楽しんだこと。その後別の女性と結婚すると今度は妻であるその女性の写真になったこと。息子が生まれると写真は息子になり、何年もの間その写真が楽しみとなったが、やがて息子が成人し、結婚し、巣立っていき、妻も亡くなると、自分が一人ぼっちになったこと。こうして家族も友人もいなくなった時、これまでの人々はすべて一時的な「仲間」に過ぎず、真の友人、永遠の仲間、永遠の避難所は主であると気づいたこと。おじいさんは周りの乗客に「その時からずっと、主クリシュナの写真を財布に入れて持ち歩いているんだ」と言います。私たちの楽しみはなぜ最後に苦しみとなるのでしょうか。普通の楽しみは本物の楽しみではなく、鏡に映った姿のように、楽しみが反射して映った物、楽しみの反映に過ぎません。真の楽しみは私たちの中にあるのです。外の刺激を受けて感じる楽しみは、楽しみの単なる反映です。

 

3種類の楽しみ

 

楽しみ(Sukha)にはサットワ的(Sattvic)な楽しみ、ラジャス的(Rajasic)な楽しみ、タマス的(Tamasic)な楽しみ、の3種類があります。簡単に説明すると、サットワ的楽しみは自然に得られるものではなく、事前準備として訓練が必要です。一方、ラジャス的楽しみやタマス的楽しみは自然に経験するものであり事前準備はいりません。例えば、ラジャス的楽しみは、レストランに行って食事をしたり良い映画を見たりしたときに感じる楽しさです。タマス的楽しみは、眠い時に寝ることで感じる喜びです。眠りを楽しむのに特別な準備は必要ありませんね。

 

サットワ的楽しみ

 

『バガヴァッド・ギーター』の第18章36節に「Abhyāsād Ramate Yatra」とありますが、これはサットワ的幸福のことで、「長い修練を経てそれを獲得することができ、それによって苦しみが消えてしまう」 ものです。例えば、瞑想を始めたばかりの頃は楽しくありません。眠いのに早起きをし、背筋を伸ばして座り、居眠りをせず神様のことを考えなければなりません。これは簡単ではありませんし、楽しくもないですから、多くの人はやめてしまいます。

 

『ギーター』の第18章37節では、サットワ的な喜びを「初めは毒薬」のようでも続けていれば「甘露となる」と例えています。瞑想を例にして言えば、続けていればうまくできるようになりますし、仕事への集中力も高まり心に平安を感じるようになります。同じく『ギーター』の第18章37節には、「ātma-buddhi-prasāda-jam」すなわちサットワ的な喜びは「真我を悟る」こと、言い換えると、真我とつながることから生じると書いてあります。つまり、サットワ的楽しみの源は自分の内にあるのです。

 

ラジャス的楽しみ

 

『ギーター』の第18章38節にラジャス的楽しみの説明があり、二つの特徴が書いてあります。まずこの楽しみは「感覚とその対象との接触から生じる」ものであること、そして「初めは甘露のようであっても、終わりには」私たちの命を脅かすような「毒薬となる」ことです。

 

タマス的楽しみ

 

また、第18章39節では、タマス的楽しみを「初めから終わりまで妄想を抱き、惰眠や怠惰や怠慢(nidrālasya)から生じる」ものであると記述しています。具合が悪いからではなく、今日は休みたいからという理由で休みを取るのも怠惰です。時には何もしたくなくて、丸1日寝ていたいと思うこともあります。仕事したくない、つまり自分の義務を無視したい。これがタマス的楽しみです。

 

(第1部終わり。第2部は11月号に掲載の予定)

 

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名古屋サットサンガ

 

6月23日(土)午前10時45分~午後4時、マハーラージは名古屋市の得源寺で開催されたサットサンガで、三つのテーマについて講話を行いました。主催は日本ヨーガ療法士協会愛岐支部で、参加者は35名。以下は事務局の前野有里さんからのレポートの抜粋です。

 

「瞑想の方法」のテーマでは瞑想の具体的な対象や効果などを、「バガヴァッド・ギーター」では神様とつながっていることの重要性や仕事に対する姿勢を論じられました。また、「プラティヤーハーラ〈制感)感覚器官の制御、心の制御の学び」では、ヨーガの八支則と、特にその五つ目のプラティヤーハーラについて言葉の意味も含めて詳述されました。

 

講話の後には質疑応答が行われ、「瞑想で集中するにはどうすれば良いか」、「心を静め、その状態を安定させるにはどうすれば良いか」などの質問が出ました。

 

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浜松サットサンガ

 

8月26日(日)午後1時30分~4時30分、静岡県浜松市福祉交流センターで日本ヨーガ療法士協会主催のサットサンガが開催され、マハーラージは「Who am I?」をテーマに講話と質疑応答を行いました。以下は、山内亜紀子さんと加藤則子さん共作のレポートの要約です。

 

ジャコウジカは素晴らしい香りの源が自分の内にあることに気付かぬまま、香りを追って森を走り回る。人も同じく、楽しみの源や本当の知性、自由は自分の外にあると思い込んでいる。「Who am I?」(私は誰か)、その答えは「魂」である。「私」の本性である魂は、永遠・絶対の存在で無限の至福の源だ。自分の本性を悟ると、人は至福に満たされて生きていける。自分の意識を外の世界から引き戻して自分の内側に意識を向けること、自分の本性を捜すこと、本当の至福は外ではなく内側を捜すことが大事なポイントである。

 

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今治サットサンガ

 

(塩路法子さん寄稿・一部編集)

 

9月8日(土)~9日(日)に愛媛県今治市にマハーラージをお迎えしてリトリートを行いました。今回で7回目になります。

 

8日は午後4時から、40人ほどが参加、郊外の緑がきれいで静かな市の施設で「生きる目的」についてマハーラージのお話を聞き、瞑想をしました。当日は大雨警報が出るほどの雨の中、愛媛県外からも多数来ていただきました。

 

翌日9日は24人ほどが、朝5時からの瞑想、聖典の朗読。軽くヨーガを行いました。恒例になりました朝食後のマハーラージとの散歩は雨のためかないませんでした。

 

講義は午前10時と午後2時の2回に分けて「アーサナ、プラーナーヤーマ、プラティヤーハーラ」について学びました。パタンジャリの『ヨーガ・スートラ』、アシュタンガ(8支則)の中の3部門で、なぜそれらをするかを分かりやすくお話しくださいました。ヨーガを学んでいる者には興味深く、参加者は真剣に耳を傾けていました。理由が分かれば実践はもっと真剣に取り組めます。マハーラージのお言葉をそれぞれに心に刻み、持ち帰ったことと思います。

 

午後4時、マハーラージは、空海が生まれ幼少期を過ごしたと言われる香川県の善通寺へと出発されました。四国に親しんでくださり嬉しく思います。

 

たくさんの方が愛媛・今治へ集まってくださったことに感謝。

マハーラージが7回も今治に来てくださったことに感謝。

ありがとうございました。

 

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忘れられない物語

 

グルと泥棒弟子

 

僧院に盗み癖のある若い弟子がいた。この若弟子は、兄弟弟子のお金を盗ったり、僧院にある小さな物を盗んだりしていたので、弟子全員が師に苦情を言った。「師よ、あいつは私たちの物を盗むのです。どうか諭してやってください」

 

賢者たる師は答えた。「もう少しすれば、奴も分かるだろう。私から話してみよう」皆がいなくなったところで、師は若弟子を呼んでこう言った。 「こんなつまらないものを盗んでどうするのだ。お前が本当に求めているものは正しい修行を積むことでしか手に入らぬのだぞ。盗むのはやめて、修行に専念しなさい」

 

若弟子は師に敬意を表して五体投地をし、その場を去った。自分の盗み癖を恥ずかしく思い、もうやらないようにしようと心に決めた。道を歩む者のほとんどがそうであるように、若弟子もまた知性のある良い人間であった。が、考え方を変えるのは簡単ではなかった。(誰にとっても、考え方を変えるのは難しいものではないだろうか。)

 

数日の間は問題なかったが、若弟子は盗みの衝動をそう長い間は抑えていられなかった。再び盗みを働き、運の悪いことにそれを見られてしまった。弟子達は若弟子を師のところに連れて行ったが、師は「もう少しすれば、奴も分かるだろう」と言って皆を下がらせた。

 

弟子たちはその後も数回、若弟子が盗んでいるところを見つけ、師の前に連れて行って正義を求めたが、師はただ「こいつを気にせず、自身の修行に励みなさい。こいつもそのうち分かるだろうから」と言って皆を下がらせるだけだった。弟子たちには、師がなぜこんな振る舞いを許すのか、なぜこの泥棒弟子を破門して僧院から追い出さないのか理解できなかった。

 

若弟子は再び盗みを働き、他の弟子たちはもう我慢できなかった。これを最後に、どうするのか師に決めていただこう。そう決心した弟子たちは、声をそろえて師に言った。「師よ、もう我慢できません。私たちを取るか、この泥棒を取るかです。こいつがここにいるのなら、私たちは出て行きます」

 

「そうか、分かった。お前たち、ここを出て行って良いぞ。私はこいつを追い出すつもりはない」予想もしなかった答えに、 弟子たちは皆大変驚いた。

 

「そんな、師よ、どうかお願いです」 皆、声を和らげて嘆願した。

 

「お前たちは皆良い弟子だから、どこの僧院に行っても受け入れてもらえるだろう。だが、こいつは他では無理だ。だから私はこいつを見捨てるわけにはいかない」慈悲深き師はこう答えた。

 

この騒動を見ていた若弟子は、偉大な師の慈悲心に心を動かされ、それ以降二度と盗みを働くことはなかった。

 

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今月の思想

 

「人は大抵、どこまで幸せになるか、自分の決めた分だけ幸せになるものだ」

 

…エイブラハム・リンカーン

 

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発行:日本ヴェーダーンタ協会

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