ヴェーダーンタ協会ニュースレター(日本語版)
日本ヴェーターンタ協会の最新情報
2025年4月 第23 巻 第4号
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かく語りき
あらゆる霊的修行は、神に到達するために行われる。神を瞑想すればするほど、世俗の些細なものごとへの執着は薄れるだろう。神の蓮華のみ足への信仰が深まるほど、感覚の対象への欲望は薄れ、物質的な快適さに頓着することも減る。
…シュリー・ラーマクリシュナ
私たちは、神への信仰と献身をもって自分自身を完全に神に捧げ、自分の能力の限り他者に奉仕し、決して誰にとっても悲しみの源になってはなりません。
…ホーリー・マザー・シュリー・サーラダー・デーヴィー
あなたは自分の理想に対して大きな信仰心を持たなければならない。それは一時的な信仰心ではなく、静かで、忍耐強く、安定した信仰心である。
…スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ
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目次
・かく語りき――聖人の言葉
・お知らせ
・2025年6月の生誕日
・「スワーミー・ヴィヴェーカーナンダの生涯とその教え」
スワーミー・メーダサーナンダ
・「ギーターにおけるトリグナのメッセージ」 (パート2)
スワーミー・メーダサーナンダ
・シュリー・ラーマクリシュナ生誕祭のご報告
・忘れられない物語
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お知らせ
・各プログラムに参加を希望される方は、協会までご一報ください。
・日本ヴェーダーンタ協会の行事予定はホームページをご確認ください。
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ヴィシュッダ・シッダーンタ暦で6月の生誕日はありません。
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2025年2月16日 スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ生誕祭 逗子本館
「スワーミー・ヴィヴェーカーナンダの生涯とその教え」
スワーミー・メーダサーナンダ
皆さんの多くは、スワーミー・ヴィヴェーカーナンダの華々しい生涯についてご存知でしょう。スワーミージーの生涯は、幼少期、青年期、シュリー・ラーマクリシュナとの出会い、インド放浪、最初の西洋訪問、ラーマクリシュナ僧院の設立と二度目の西洋訪問、そしてベルル・マトでの最後の日々、という段階に分けられます。これらの段階はすべて彼の人生において重要なものですが、ここではなぜ彼の西洋訪問が非常に重要と考えられているのかを解説します。
シュリー・ラーマクリシュナは最期の日々に一枚の紙にこう書き記しました。
Jôy Rādhē, Prēmmôhi, Nôrēn Shikṣā Dibē, Jôkhôn Ghorē Bāhirē Hāṅk Dibē
ジョーイ・ラーデー、プレーモヒ、ノレーン・シクシャー・ディベー、
ジョコン・ゴレー・バーヒレー・ハーンク・ディベー
「ナレンは教えを説くだろう。その時、彼の声は広く響き渡るだろう」
さて、ナレンドラナートは、自分の意志に反することを説得されてできるような人物ではありませんでした。シュリー・ラーマクリシュナが上記のように予言したとき、ナレンドラナートは強く反対しましたが、シュリー・ラーマクリシュナは「おまえの天性がそうするだろう」と言いました。
最終的にどうなったかは、知ってのとおりです。コロンボのアメリカ大陸発見400周年を祝う大規模な行事が開かれ、その一環として宗教会議の開催が計画されました。当時、スワーミージーはインド各地を州から州へと放浪していました。スワーミージーは、その際立つ人格を隠し切れませんでした。彼の人格には、どこへ行っても人々の注目を集める何かがありました。聖典への深い知識、当時の社会政治情勢に関する知識、彼自身の放棄、すべてを包み込むような愛、純粋さ、祖国への愛、そしてその他の特徴によって、彼はたちまち注目の的になったのです。そして、彼が南インドを旅していたときに、彼の周りに集まっていた若者の中に、宗教会議の開催計画についてある程度の知識を持っている者がいました。彼らはスワーミージーに、「出席してください」と願い出ました。しかし、彼らはスワーミージーをアメリカに派遣するために必要な手続きを知りませんでした。例えば、宗教団体の代表として派遣される必要がありました。宗教会議への参加のために、ブラフモー・サマージと神智学協会はすでに代表団を派遣していました。当初、スワーミージーは行くことに消極的でした。なぜなら、訪問の目的と、そこで果たすべき役割がはっきりしていなかったからです。そのため、若者たちがアメリカへの渡航費を集めたとき、彼は申し出を断り、困窮している人々に分配するよう依頼しました。
これらの出来事は物質界で起こっていたことですが、意識の別の次元では、別のドラマが繰り広げられていました。当時スワーミージーが滞在していた家には、毎晩シュリー・ラーマクリシュナがスワーミージーの前にあらわれ、宗教会議に出席するよう説得するようになりました。来る夜も来る夜も、シュリー・ラーマクリシュナはあらわれました。スワーミージーはベンガル語で、家にいる他の人にも聞こえるほど大きな声でシュリー・ラーマクリシュナと話していました。ある日、主人が尋ねました。「スワーミージー、毎晩どなたと話をされているのですか?」 このことから、それはスワーミージーの単なるヴィジョンではなく、シュリー・ラーマクリシュナとスワーミージーの対話は他の人にも聞こえていたと推測できます。どういうわけか、スワーミージーはその質問に答えることを避けていました。ある日、シュリー・ラーマクリシュナは彼に言いました。「おまえが出席し、世界がそれを聞くために、私は宗教会議という舞台を用意したのだよ。だから、おまえは行かなければならない!」
当時、ホーリー・マザー・シュリー・サーラダー・デーヴィーはまだご存命でした。スワーミージーは兄弟弟子に手紙を書き、アメリカへ渡航すべきかどうかをホーリー・マザーに尋ねるよう依頼しました。その間に、シュリー・ラーマクリシュナがホーリー・マザーの前にあらわれ、スワーミージーがホーリー・マザーに手紙を送って、渡米の同意を求めるかもしれないと説明し、ホーリー・マザーに同意するように求めました。そして数日後、手紙が届き、ホーリー・マザーは快く同意しました。このことがスワーミージーに大きな自信を与えました。
まもなく、アメリカへの航海の手配が整いました。彼はアメリカに到着しましたが、到着後、多くの困難に直面しました。彼はどの宗教団体からも紹介状をもらっていませんでした。しかも、イベント開始日よりもずっと早く到着したため、イベント開始までの生活を維持するための十分なお金もありませんでした。それに加えて、J・H・ライト教授からもらった紹介状を紛失してしまいました。スワーミージーがライト教授に会った際、教授はスワーミージーの深い学識に深く感銘を受け、紹介状を彼に渡したのです。その中で彼はこう記していました。「ここには、この国のすべての教授を合わせたよりも博学な人物がいます。彼に[宗教会議出席の]資格を示せというのは、太陽に輝く資格を求めるようなものです」しかし、残念ながら、スワーミージーはその紹介状を失くしてしまいました。状況はあまりにも悲惨なものとなり、ある日、使われていない列車の車両で寝泊りしなければなりませんでした。
翌日、スワーミージーがどうしたらよいか途方に暮れながら道端のベンチに座っていると、神のご意思により、道の向こう側に住む親切な女性があらわれ、スワーミージーに近づき、あなたが誰で、なぜそこに座っているのかを尋ねました。彼女はスワーミージーが宗教会議への代表として来ていることを知ると、スワーミージーを自宅に泊めるよう招き入れました。さらに、スワーミージーが宗教会議に参加できるように手配してくれました。
宗教会議初日、スワーミージーはわずか5分間の講演しか許されませんでした。そして、スワーミージーは他の講演者たちと共に壇上に着席しました。それは非常に大きな集会で、スワーミージーはこれほど多くの学者が集まっているのを見たことがありませんでした。そのため、彼は緊張していました。自分の番が来ると、彼は他の方々に先に講演してもらい、自分は後で話すように丁寧にお願いしました。このようなことが何度か繰り返されました。ついに議長が、これを逃すともう二度と講演できないとして、最後のチャンスを与えてくれました。そこで、スワーミージーは緊張したまま、心の中でマザー・サラスワティの祝福を祈りながら、演壇に立ちました。彼が聴衆に「アメリカの姉妹、兄弟たち」と呼びかけると、会場全体が立ち上がり、長い拍手が鳴り響きました。拍手はまったく鳴りやむ気配がありませんでした。さて、ここで重要なのは、なぜ聴衆が感銘を受けたのかということです。もし別の誰かが同じ言葉を発したとしても、同じ拍手が起こったでしょうか?言葉の裏に何か魔法があったのでしょうか?何がそんなにユニークだったのでしょうか?
ヴェーダーンタは「存在の単一性」について語ります。スワーミー・ヴィヴェーカーナンダは、すべての存在は神聖であり、私たちが目にする多様性は名前と形に過ぎないことを悟っていました。それは彼にとって単なる理論ではなく、ただ信じるだけでなく、この考えを体現していました。ですから、スワーミージーが聴衆を「姉妹、兄弟」と呼んだとき、彼はハートから、そしてこの悟りからそれを発したのです。それは魂と魂のより深い交わりでした。その言葉はすべての人々のハートに響きました。そこで、聴衆は立ち上がり、長く大きな拍手で応えたのです。しかし、スワーミージーは何か間違ったことを言ったのではないかと少し恥ずかしく思いました。その時です、スワーミージーはシュリー・ラーマクリシュナが彼を押しのけたと感じました。ともかく、スワーミージーは5分間のスピーチを行い、そのスピーチによって彼は有名人になりました。翌日、すべての新聞がスワーミー・ヴィヴェーカーナンダと彼のスピーチについて書きました。タイムズ誌は調査を行い、スワーミー・ヴィヴェーカーナンダのスピーチがすべてのスピーチの中で最高だと宣言しました。なぜなら、内容、言葉、プレゼンテーションの方法のすべてにおいて、彼のスピーチはすべてのスピーチの中で最高だったからです。
こうして、スワーミージーのヴェーダーンタの説教師としての段階が始まりました。それは4年間に及びました。彼の活動的な人生の最高の時期はアメリカで過ごした日々です。最初の訪問後、彼は健康を害しました。二度目も西洋を訪れましたが、あまり活動的ではありませんでした。多くの人々が彼の教えに耳を傾け、多くが彼の信奉者になりました。しかし、彼がおこなった活動は精妙な形で作用しました。彼の活動の効果は徐々に実を結びました。今日では、宗教の調和に関する会議が数多く開催されていますが、宗教の調和という考えの種を蒔いたのはスワーミージーであったことを忘れてはなりません。最近、ルース・ハリス著『世界のグル:スワーミー・ヴィヴェーカーナンダの生涯と遺したもの』という本に出会いました。また最近、あるカトリックの司祭が書いた記事にも出会いました。その司祭は、ハリウッドのヴェーダーンタ・センターのスワーミー・スワハーナンダジー・マハーラージからイニシエーションを授かったと自己紹介していました。以前は、このようなことは考えられませんでした。スワーミージーの言葉を借りれば、ヴェーダーンタを学び実践することで、ヒンドゥ教徒はより優れたヒンドゥ教徒となり、キリスト教徒はより優れたキリスト教徒となることができます。そこで、その司祭はより優れた司祭になるために、イニシエーションを受けたのです。
しかし、スワーミージーの西洋での任務は決して順風満帆ではありませんでした。まず、定住できる場所がなく、健全な食事の問題があり、時には雪が降る極寒の中、何百マイルも旅をしなければならなかったのです。時には週に7~8回も講演をしなければならないこともありました。それに加えて、キリスト教宣教師、唯物論者、功利主義者、神智学者、そして西洋で独自の地位を築こうとしていたインド人団体からの抵抗もありました。
スワーミージー以前にも、他のインド人の中には西洋、特にアメリカに渡った人がいました。しかし、インドの霊性と哲学に対する彼らの立場は、弁解的か防御的でした。彼らは批判されると、防御的になるか、インド人の宗教的・文化的信条の誤りをただ謝罪するだけでした。ですので、インドの栄光、その巨大な哲学的伝統について最初に語ったのはスワーミージーでした。そして、インド人が発展と成長のために世界から物質的な贈り物を受け取ることができるのと同じように、インドには世界に分配できる膨大な霊性の宝庫がある、と語りました。つまり、彼の考えは、西洋とのギブ・アンド・テイクの関係だったのです。
スワーミージーがどのようにしてヴェーダーンタの旗をしっかりと掲げたかについて、説明しましょう。キリスト教宣教師が「キリスト教こそが地上で唯一の真の宗教である」だとか、「イエスこそが神の唯一の子である」と言うと、スワーミージーは「すべての宗教は、聖者や悟りを開いた魂を生み出してきた」と言いました。また、キリスト教宣教師が「人は罪から生まれた」と言うと、スワーミージーは「人を罪人と呼ぶのが罪だ」と言い返しました。キリスト教徒が永遠の地獄や永遠の天国について語ると、スワーミージーは「天国も地獄も永遠ではない、私たちの目標は天国さえも超越して自由になることだ」と反論しました。キリスト教宣教師が「天国に行くには教会の規則に従わなければならない」と主張すると、スワーミージーは「教会で生まれるのは良いことだが、教会で死ぬのは良くない」と言いました。当時、教会は神秘主義を抑圧していましたが、スワーミージーは「神秘主義は非常に大事である」と言い返しました。
スワーミージーはもう一つの困難に直面しました。彼の人柄、神々しい声、そしてハンサムな容姿に惹かれ、多くの美しく裕福な女性が彼に結婚を申し込んだのです。彼は謙虚に「私は僧侶なので結婚できません」と言い、時には「私には結婚の自由がないのです。グルが独身を貫くようにとおっしゃったので、結婚はできません」と答えました。命を脅かされることもありました。ある時、誰かが彼にコーヒーを勧めました。まさに飲もうとしたその時、シュリー・ラーマクリシュナが目の前にあらわれ、飲むことを禁じました。それでも同時に、多くのアメリカ人が彼の信奉者となりました。その中には司祭方もいたので、彼らは教会での講演にスワーミージーを招き、それらの講演は高く評価されました。
当初、スワーミージーは講演料を集めてインドに送る計画を立てていましたが、後に計画を変更しました。彼はよくこう言っていました。「仏陀が世界に伝えるべきメッセージがあったように、私にも世界に伝えるべきメッセージがある」 説教師として、彼はヒンドゥ教の優位性を証明したり、キリスト教徒をヒンドゥ教に改宗させたりすることを目指したのではなく、ひたすらヴェーダーンタの普遍的な真理を説きました。だからこそ、ヴェーダーンタのこのアプローチを好む、心の広いキリスト教徒が多くいたのです。ジョセフィン・マクラウドもその一人です。彼女が初めてスワーミージーの講演を聞いた時のことです。最初の言葉を聞いた時、彼女は「これは真実だ」と思いました。二番目の言葉を聞いた時も、「これは真実だ」という思いが彼女の心に湧き上がりました。そして三番目の言葉を聞いた時も、同じ思いがしました。当時広く蔓延していた宗派主義ではなく、この宗教の普遍性を、誰もが高く評価したのです。
(つづく…)
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2024年夏季リトリート 善通寺
「ギーターにおけるトリグナのメッセージ」 (パート2)
スワーミー・メーダサーナンダ
火があるところには光と熱があります。それらは切り離すことはできません。同様に、ブラフマンとその力(シャクティ)は一つです。聖典にも、蜘蛛と蜘蛛の巣の例が記されています。蜘蛛の巣は、鳥の巣や人間の家とは異なります。鳥も人間も、住処を建てるために外部から材料を運ばなければなりません。
サットワ、ラジャス、タマスはそれぞれ異なる性質ですが、常に作用しあっています。喜びと苦痛は常に隣り合わせです。世俗的な楽しみは常に苦しみと悲惨さをもたらします。例えば、お金が増えれば、資産をどう管理するか、どう失わないか、どう増やすかといった心配が増えるので、ストレスも増えます。
また、純金で装飾品を作ることができないので何らかの合金が必要であるのと同じように、創造が続き、肉体が持続するためには、純粋なサットワだけでは不十分です。同様に、肉体を維持するためには、すべての人、たとえ聖者であっても、サットワ、ラジャス、タマスが必要です。シュリー・ラーマクリシュナの例を考えてみましょう。彼は、サマーディから心をより低い状態へと導くために、何か食べるものを欲しましたが、それはラジャスです。また、彼が寝る必要があると感じるとき、それはタマスです。
サットワ、ラジャス、タマスは、仕事、瞑想、人間関係、思考、識別力(ブッディ)、礼拝、そして食事などの、人生のあらゆる側面に影響を与えます。人は、数学、化学、物理、社会学など、学校のさまざまな科目ごとに成績が異なりますが、これらが合わさったものが、その人の全体的な成績です。
トリグナにも同じことが当てはまります。食べ物に関してはラジャス的であっても、仕事に関してはタマス的な人がいます。また、食に関しては菜食主義でサットワ的であっても、心は非常にラジャス的で欲望に満ちている人もいます。
しかし、トリグナの性質は不変ではないので、例えばタマスからラジャス、そしてサットワへとその優勢度を変化させることができます。もしくは、サットワからタマスへと自らを堕落させることもあります。ボードゲームのように、サイコロを振って少し駒を進めることはできても、注意を怠るとあっという間に最下位に落ちてしまいます。
堕落の原因の一つはエゴです。「『私』は純粋な信者だ」「『私』は多くの聖典を学んできた」などと考えるのは良くありません。話すときは、この「私」を神と結びつけなければなりません。そうすることで、「私」は、「召使いとしての私」や「成熟した私」になります。そうでなければ、ことわざにあるように、「おごれる者久しからず」です。なぜでしょうか?なぜなら、私たちは高慢になると神を忘れてしまうので、神は私たちが神を忘れないような状況を作り出すからです。
なぜトリグナを学ぶ必要があるのか、と疑問に思う人がいるかもしれません。その理由の一つは、宇宙論、宇宙、生物、そして私たち自身について、そしてこれらすべてがどのように作られているのかを知りたいという私たちの関心です。サーンキヤ哲学はこれを分かりやすく説明しています。科学者はこれを「私たちは細胞、心臓、肺、脳などの臓器、そして神経系とニューロンでできている」というように人間の生理学の言葉で説明するでしょう。
しかし、科学は、生と死の神秘や、まったく同じ家族であっても、たとえ双子であっても、また、同じ大学出身であっても性格が異なることなど、人生における多くの現象を説明できません。非常に霊的な人もいれば、非常に世俗的な人もいれば、その中間の人もいます。彼らは仕事、礼拝、食事などにおいて、それぞれ異なる特徴やスタイルを示します。サーンキヤ哲学では、これらの違いをサットワ、ラジャス、タマスの度合いの違いとして説明することができます。
どの宗教も、心の清らかさ、善良さ、理想的な人間になることの重要性を強調しています。しかし、例えば「隣人を自分のように愛しなさい」をどのように実践するかを具体的に示すことはほとんどありません。では、どうすればできるのでしょうか?
サーンキヤのシステムは、サットワ的、ラジャス的、タマス的な行動をチェックするためのチェックリストを提供し、どのように変化すべきかを教えてくれます。このチェックリストを見ることで、自分の状態と比較し、改善に努めることができます。また、人生のさまざまな側面において、自分の理想がどうあるべきか、ということも知っておく必要があります。
霊性の生活に楽な道はありません。先に進むための近道も王道もないのです。それは山登りのようなもので、時には下り、時には登り、頂上を目指してゆっくりと進んでいきます。変容の基本原則は、タマスからラジャスへ、そしてサットワへと進むことです。眠っていて、起きてすぐには走れません。まずは目を開け、起き上がり、速足で歩き、そして走らなければなりません。
スワーミー・ヴィヴェーカーナンダは生前、当時のインドへのメッセージとして、サットワを装うことで、インド人がタマス的になっていることを示唆していました。彼らはギーターに平伏しても、その教えには決して従いませんでした。眠れるレビヤタン(※旧約聖書に登場する海の怪物)のように、まずラジャスを通って目覚める必要がありました。これは、生来非常にラジャス的である西洋諸国へのスワーミージーのメッセージとは対照的でした。彼は西洋諸国の人々に、よりサットワ的になり、怒りと欲望をコントロールするように助言しました。なぜなら、苦しみは常に楽しみと共にやってくるからです。
最高の境地とは、万物を超越し、神聖化し、サットワさえも超越することです。これは、あらゆるもの、あらゆる状況においてブラフマンを見ることを意味します。マーヤーの影響で、私たちは見かけの個人という別の「仮面」を見ています。仮面をかぶっていると、たとえその仮面の向こうにいる人物が同じであっても、私たちは別人だと思い込み、印象が変わります。しかし、その人の仮面を外すと、それはずっと同じ人物であったことが分かるのです。同様に、幻惑という仮面を取り除けば、プルシャ、つまりあらゆるもの、あらゆる生き物の背後に輝く永遠のブラフマンを見ることができます。
さて、先ほど触れたトリグナのチェックリストとは何でしょうか? バガヴァッド・ギーターにはトリグナへの言及が随所に見られ、89節にわたってそのさまざまな働きと顕現が説明されています。トリグナへの言及がある章と節のリストは以下の通りです。
第1章:1節、第3章:5節、第4章:1節、第6章:1節、第7章:3節、第10章:1節、第13章:3節、第14章:27節(全節)、第15章:2節、第17章:20節、第18章:25節
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シュリー・ラーマクリシュナ生誕祭のご報告
3月16日(日)、日本ヴェーダーンタ協会において、シュリー・ラーマクリシュナ生誕を祝う終日プログラムが開催されました。ヴィシュッダ・シッダーンタ暦によると、今年のシュリー・ラーマクリシュナの生誕日は3月1日ですが、例年どおり、第3日曜日の月例リトリートの日に開催されました。
土曜日の夕食後、本館では、アーシュラムと、徒歩圏内にあるマザーハウスの両方に宿泊予定のボランティアたちと、担当リストに記載されている仕事の確認が行われました。翌朝は午前6時から、マンガラ・アーラティ、聖句詠唱、ギーター朗読、バジャンが行われました。その後、別館では祭壇に花と食べ物を供えたり、高座、音響・映像設備、座席などの準備が行われました。
祭壇に飾られたシュリー・ラーマクリシュナ、ホーリー・マザー・シュリー・サーラダー・デーヴィー、スワーミー・ヴィヴェーカーナンダのお写真に花と花輪が飾られ、供物が並べられた後、ほら貝がプージャの始まりを告げました。スワーミー・ディッヴィヤーナターナンダが儀式的なプージャを執り行い、スワーミー・メーダサーナンダがタントラ・ダラクとしてサポートなさいました。プージャは約1時間ほどでした。
続いて、スワーミー・ディッヴィヤーナターナンダ(アニルバン・マハーラージ)が五大要素(土、水、火、風、空)を象徴する供物とともにアーラティをなさり、会衆はシンセサイザー演奏シャンティ泉田さんのリードで、スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ作の賛歌「カンダナ・バヴァ・バンダナ」(この世の鎖を断ち切る者)を歌いました。その後、シャンティ泉田さんが「サルヴァ・マンガラ・マンガリエ」(ホーリー・マザーへの賛歌)を歌いまいた。
儀式の終わりに、ボランティアたちは祭壇に並べられた果物やその他の供え物のトレーを厨房に運び始め、昼食時に配るために切り分けました。同時に、シュリー・ラーマクリシュナに捧げる花や葉のトレーも配られました。(プシュパンジャリ) 全員が立ち上がり、スワーミー・メーダサーナンダがプシュパンジャリ・マントラを唱えながら会衆を導きました。
Om Hrim Esha Sachandana Pushpa Patranjalihi Sangaya Savarnaya Sashaktikaya
Sapashvadaya Sarva Deva Devi Swaroopaya Sri Ramakrishnaya Boshat.
オーム フリム エシャ サチャンダナ プシュパ パトランジャリヒ サンガヤ サヴァルナヤ サシャクティカヤ サパシュヴァダヤ サルヴァ デーヴァ デーヴィ スワルーパヤ
シュリー・ラーマクリシュナーヤ ボシャット。
続けてプラナーム・マントラが唱えられました。
Om Sthapakaya Cha Dharmasya Sarva Dharma Swarupine
Avatara Varishthaya Ramakrishnaya Te Namah.
オーム スタパカヤ チャ ダルマスヤ サルヴァ ダルマ スワルーピネ
アヴァターラ ヴァリシュターヤ ラーマクリシュナーヤ テ ナマハ。
その後、時間を節約するため、全員が個別に花や葉をシュリー・ラーマクリシュナに捧げるのではなく、ボランティアが全員から花や葉を集め、一緒に捧げました。すぐにホーマのための火壇が準備され、スワーミー・メーダサーナンダがホーマを唱えられ、スワーミー・ディッヴィヤーナターナンダがそれをサポートなさいました。ホーマの炎が上がると、マハーラージは会衆に次のマントラを108回唱えるように呼びかけ、踊る炎に儀式をし続けました。
Om Hrim Sarva Deva Devi Swaroopaya Sri Ramakrishnaya Swaha!
オーム フリム サルヴァ デーヴァ デーヴィ スワルーパーヤ
シュリー・ラーマクリシュナーヤ スワーハ!
マハーラージはその後、さらにギー、果物、そしてマントラを炎に捧げました。そして、炎を消すためのヨーグルトミックスが準備されました。マハーラージは容器からくすぶっている灰を少し摘み取り、全員の額につけるヴィブーティ(儀式用の灰)を準備なさいました。その後、全員が列に並び、ヴィブーティを受け取り、シュリー・ラーマクリシュナへの祈りとマハーラージへのプラナームを捧げました。マハーラージは、午後のセッションのために別館に戻る前に、本館でプラサード(神のお下がりの昼食)を受けるよう全員に勧めました。
昼食後、午後3時頃、スワーミー・メーダサーナンダ・マハーラージが会衆を率いてヴェーダの平安のマントラを唱え、プログラムが始まりました。続いて、スワーミー・ディッヴィヤーナンダがタブラ奏者のディネシュ・ディオンディ氏を伴奏に迎え、オープニングの賛歌を歌いました。
He Ramakrishna tvayi bhakti-hīne, kripā-kaṭākṣam kuru deva nityam ...
ヘ ラーマクリシュナ トゥワイ バクティ・ヒーネ クリパー・カタークサム クル デーヴァ ニッティヤム…
ああ、ラーマクリシュナよ、私はあなたへの信仰心を欠いております。それでも、ああ、主よ、どうか常に慈悲深い眼差しを私に向けてください…
続いて、『ラーマクリシュナの福音』が朗読されました。そして、メーダサーナンダ・マハーラージはシュリー・ラーマクリシュナについての講演をなさいました。日本語通訳は、佐々木陽子さんでした。講演の後、日本人信者数名(「チーム・シャンティ」)が賛歌を歌いました。続いてベンガル語の詩が朗読されました。これはベンガル語を理解しない会衆のために、英語と日本語に通訳されました。続いて、インド人信者とスワーミー・ディッヴィヤーナターナンダが数曲歌いました。ディネシュ・ディオンディ氏が再びタブラで伴奏しました。これらの歌の紹介は、アニンディタ氏が英語で、レオナルド氏が日本語でおこないました。
続いてメインの演奏に移り、ディネシュ・ディオンディ氏がスワルマンダルを演奏。続いて西沢信亮氏がサランギーを演奏し、ディオンディ氏がタブラで伴奏しました。これでこの日の予定は終了です。
マハーラージは皆にお茶と軽食をとるようにおっしゃいました。ティータイムの後に、夕方のアーラティがありました。
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忘れられない物語
「バクタ(神の信者)エカナート」
ホールでの話は、ヴィジョン誌に掲載されているクラセカラという名のアルワール(※ヴィシュヌ派の熱心な聖者たち)の物語が中心であった。ハリカタ(※神の物語を語り歌う)の最中、クラセカラは物語の情景に完全に自分を重ね合わせ、ラーマの崇拝者として、直ちにランカ島へ急ぎ、シータを解放することが自分の義務だと感じた。彼は海へ走って行って、ランカ島へ渡ろうと海に入った。すると、ラーマ神がシータとラクシュマナと共にあらわれ、クラセカラに恩寵を注いだ。この出来事を聞いて、ホールにいた他の人々が「あるマラータの聖者にも同じようなことがありました。屋根に飛び上がられたと思います」と言った。すると、シュリー・バガヴァーン・ラマナ・マハリシがその物語を語り出された。
「エカナートがラーマーヤナを執筆中、ハヌマーンが海を越えてランカ島へ飛び移る様子を生き生きと描写する部分に達したとき、彼は自身のヒーローであるハヌマーンと自分を同一視し、無意識のうちに空中に飛び上がり、隣家の屋根に着地しました。
この隣人はエカナートのことを、ペテン師で宗教的偽善者だと考えていたので、いつも彼のことを良く思っていませんでした。屋根にドスンと音がするのを聞き、何事かと外に出てみると、エカナートが片手にカジャンの葉、もう片手に鉄筆を持ち、屋根の上に横たわっていました。カジャンの葉には、ハヌマーンが海を飛び越えた様子を描いた詩節が書かれていました。この出来事によって、隣人はエカナートが真のバクタであることを確信し、彼の弟子になりました」
少し間を置いて、バガヴァーンはこうも語られた。
「神はエカナートの夢にあらわれ、彼にジャネーシュワラの墓を修復するように命じました。エカナートがそれに従ってジャネーシュワラの墓へ行ってみると、すべての作業を行い、最後に支払いをする準備ができている請負人を見つけました。請負人は大きな帳簿をつけ、そこにすべての費用、すべての労働者の名前、支払われた賃金を記入しました。すべては計画的に進みました。修復作業が完了すると、帳簿を調べ、請負人は料金を支払いました。それから、請負人とその大きな帳簿は完全に姿を消しました。その時初めて、エカナートは神が自分の請負人であり、神が仕事をしてくださったことを知りました。このようなことが起こったのです」
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今月の思想
ある時、ラーマチャンドラは召使いのハヌマーンに尋ねた。「おまえは私に対してどのような態度を取っているのか? どのように見て、どのように考え、どのように崇拝しているのか?」
ハヌマーンは答えた。「おお、ラーマ様、私が自分の肉体を意識している時、確かに、あなたは主であり、私はあなたの召使いです。自分自身を個の自己として意識する時、確かにあなたは全体であり、私はその一部です。また、私が純粋な真我であると感じる時、私も真にあなたと同じものであるという確信を持ちます」
…シュリー・ラーマクリシュナ
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発行:日本ヴェーダーンタ協会
249-0001 神奈川県逗子市久木4-18-1
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